コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 読書の秋2017. 9.26

この年になると自分に対して率直に、正直に進言や助言をしてくれる人が少なくなり、職業上、立場上も人からの助言や苦言を述べられにくい身分にあるので、できるだけ謙虚に人の話を聴くように心がけている。それがどんな身分立場の人の愚かと思えるような、まともでない苦言暴言であっても、「裸の王様」になるよりは、はるかにマシである。。

故松下幸之助翁(パナソニック創業者)の提唱されていた「素直道」という考え方に従っているワケであるけれど、その求める結果というのが「運の良さ」であるので、これは本気で自戒し取り組んでいる心構えである。
件の松下さんに言わせると「運が良い」とは「宇宙の波動に乗ること」であり、具体的には「人の話を素直に聴くこと」だそうである。
稀代の成功者、本田宗一郎と並び称される日本有数の大実業家の弁とあれば真実味があろうと思えるではないか。

明治維新の立役者で「海援隊」のリーダーであった坂本龍馬は名だたる剣豪の一人でもあったが、お龍という愛人がいた。
ご当地、人吉市の南には霧島温泉があって、この龍馬とお竜の投宿した由緒ある旅館(今はホテル)がある。そこは鹿児島空港に畳4畳ほどの巨大な電光の掲示板まで設置できるほどの賑わいを誇っている。

ご存知のように坂本龍馬は31才で京都近江屋にて何者かに暗殺された[現在でも犯人は謎である。諸説あって、幕府船と衝突沈没した自社船(亀山社中・海援隊)の賠償金が高額で強い恨みを買った結果という説が有力である]
それはともかく残された龍馬亡き後のお龍の人生が結構悲惨であったそうで、或る意味、有徳の著名人の伴侶であるからその関係者からある程度厚遇されてもおかしくはないと思えるのに、あちこち頼り歩いても殆ど冷遇されたとのことであった。
その理由というのが「品行が悪く、人の言うことを聞かない」のでダメだと表現されているような人物であったそうである。

「人の話を聞かない」「人の言うことを聞かない」ということの害悪については何度も繰り返し述べて来たが、その悪例の列挙には紙面がいくらあっても足りない。
殆んど絶対的に悪運であり、人生での良きこと、素晴らしきことから縁遠く置かれる羽目に至ることを覚悟して生きていかねばならないと知るべきであろう。

知人友人の中にも少なからずこのようなタイプは色々な良縁が遠ざかる・・・というか殆んど縁がない。
2,3度話してみて上記のタイプであったならば、もう「為になる話」はしない。
言っても無駄だからである。
逆に恨みを買うこともあるのでかえって用心深く会話するようにしている。
周囲の人々も全く無意識に助言・進言めいた話は避けるようになり、会話を通じて「成長する」ことがないので誠にお気の毒である。
本人の自覚がないだけに傍から見ていると或る意味、悲劇的であり滑稽であり無残でもある。

お龍さんもそんな女性であった可能性がある。
所謂「ツマラナイ人間」というのは、人の話が「詰まらない(入って行かない)」と捉えて語る方もおられた。

先述した理由から人の話は全てよく聴くように心がけている。
それを実行するかどうかの決定権はあくまで自分にあるのであるから、ありていに言えば「ハイ」とか「そうですネ」とか「ナルホド」とか適当に相槌を打ちながら聞いておけば良いのである。
中には聞いたことを良いと思ったら即断即決で実行する人がいるがマチガイナク成功者である。
または成功しやすい人である。

筆者の場合、人の話を聴くという機会に恵まれていない(時間的、体力的)ので、やはりどうしても本屋に出かけることになる。
本にはその著者の精神、考え方、アイデア、魂が詰まっている(そうでもない本もあるが)。

それを千円から数百円で手に入れられるのであるから本屋というものが何と有難く心浮き立つ場所であるかがあらためて強く認識される。

秋の夕暮れは早い。
夕刻から入浴をそそくさと終えて、気に入った本を読書灯を点けて読み耽る喜びに勝る楽しみ事はそれほど多くはない。

最近手にしたサマセット・モームの「月と六ペンス」。
ミシェル・ウエルベックの「服従」は白眉であった。

それぞれイギリス人、フランス人であるが語り口が似ている。
後者は我らが日本人作家、村上春樹であり前者は筆者の文章である。
内容ではない。
世紀の大文豪(サマセット・マモーム)と自分を引き比べるなんてあまりにもドン・キホーテであるが、個人の感覚では凄く似ている・・・というか筆者と読者が一体化する感触があって読んでいるとうっとりするほど心地良い。
その上、その機知と警句とユーモア、人間と世界についての深い洞察が得られてとても為になる。

「服従」から一説。
「男にとって愛は与えられた快楽に対する感謝にほかならず・・・」フムフム、そういう側面はたしかにあるな。
「月と六ペンス」より「作家の喜びは書くという行為そのものにあり、書くことで心の重荷をおろすことにある。ほかには何も期待してはいけない。称賛も批判も、成功も不成功も気にしてはならない」
大したものですネ。
文筆家という職業の人、それも後世に残る不朽の名作を書ける人というのは・・・

ありがとうございました
M田朋玖



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