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■ 糸 | 2017. 8.22 |
中島みゆきの歌曲のタイトルである。 正直言って嫌いな歌だ。 メロディーも歌詞もみゆきさんの声も嫌いである。 腹の底から唸るような歌い方が苦手だ。 人気はあるらしい。 シンガーソングライターのビッグネームだ。 縦の糸は貴方♪、横の糸は私♪、織りなす糸の♪・・・何のことか分からない。 心理的な捉え方として筆者の思案したものであるが 縦糸:親子関係(血縁) 横糸:パートナー関係(他人) カウンセリングの時のイメージとしていつも頭の中に用意している。 それで縦糸、つまり親子関係を重視する人と横糸、パートナーや他人との関係を重視する人がいるようである。 九星術で言うと六白金星を筆頭に三碧木星にこの傾向の強い人が見受けられる。 特に結婚している六白金星は一般的にパートナーや結婚相手よりも親や子供を大事にする人が多い。 ただし元々性欲の強い星なので性的結びつきの強いパートナーは大事にすることがある。 それでも親や子を差し置いて・・・とまではいかない。 何故か嫌われる。 元々、人の好悪をあまり気にしない星だ。 ファッションセンスも自分主体であるから「人からどう見られるか」をあまり意識しない傾向があり、男女共ダサい感じの人が多い気がする。 女性の場合、子供を産むと夫を含め男性との性交渉に嫌悪感を一時的に強く抱くことがあり離婚問題に発展することもままあるようだ。 それほどでなくても子供一辺倒になり夫のことを全く顧慮しなくなるか、ぞんざいになってしまうケースもあって結構悩ましい。 以前にも書いたが、妻が夫に子育てへの参画を強く望むケースがあるが、この妻はタイプとしては多く縦糸型であり、親や子の面倒を見て兄弟関係の絆もかなり深いが本人の自覚が全くないことがある。 自分は充分に夫の面倒を見ていて良き妻であると思い込んでいる。 けれどもよく観察すると子育ての能力とそのエネルギー傾注度は高くても夫やパートナーへの配慮はどうしても手薄になるようだ。 最近ではこの縦糸型の男女が増えている・・・という印象がある。 これは多くの女性が多産型でない環境、子供の少ない家庭すなわち兄弟の少ない家庭に育った場合には自然に親子の結びつきが強くなり家からの脱出、つまり結婚に至ることが難しくなっているという現状を生み出しているのではないかと考えている。 赤の他人と睦み合うよりも一生実の親子のままでいた方が安楽で楽しいという思い込みがあるのだ。 また真の大人になることへの恐れもあると想像される。 男性ならば妻を持ち子供を持って一家をなし、それを養い育んでいく甲斐性とか力があるかどうか自信がないのだ。 多くの健康な男女ではお互いを求め合う強い欲求がそれらへの心配に打ち克ってはじき飛ばすのであるが、その欲求(主に性欲)が少なく軟弱であるとこれらの生物の自然の流れがとまってしまうことがあるようだ。 人間の成長の過程というものはこの縦糸(親子の絆)から横糸(パートナー、他人との絆)へと移行していく物語なのではないかと考えている。 子供が幼い時、パートナーとの深い絆(横糸)を軸に子育てが進行する。 両親同士のお互いの愛情が子供らの安心感の強い後ろ盾であるのだ。 つまり両親の仲の良さと同時にその延長線上に子供への愛情があるというのが理想的な家庭環境なのではないかと思える。 そして子育ては「愛情深く厳しく」。 この厳しい愛情を「大愛」と呼び、優しい愛情を「小愛」と呼ぶそうだ。 さもありなんだ。 優しく甘く育てられた子供の末路、行く末は全くもって悲惨極まりない。 ここで重要になるのは「縦糸は厳しく」「横糸は優しく」だ。 これは憶えておくととても便利だ。 パートナーや他人同士では優しく甘くが基本。 モチロン職場でも経営者と従業員の関係が親子の絆と同じくらい深い愛情、即ち「大愛」に基づいていたら多少の厳しさも許さるかもしれない。 けれども多くの大人同士のコミュニケーションでは出来得る限り優しく穏やかで細やかな心配りを要するものなのだ。 それは夫婦関係も然りだ。 自分の配偶者を自分の持ち物のように乱雑に扱ったらすぐにその関係性は壊れてしまう。 現代では尚更だ。 一方、縦の糸(親子の関係)はちがう。 まさしくそれは一種の戦いだ。 格闘だ。 或る種の暴力に近い「しつけ」というものが必要になる。 父親の「説教」も大事だ。 これらがバランスよく子供の本性を心理的に把握しながら進められるのが立派な子育てというものだ。 ところで「子どもは育てたように育つ」という本がかつてあったが、これは全部ではないが「マチガイ」だ。 そんなことは決してない。 子供の天来持っている本性というのがあって、それほど生易しいものではない。 ここでは子育て論を持ち出すつもりはないが、この人間関係における縦糸、横糸を意識しておくことがいかに物事を考えやすいかというアイデアを提示してみた。 今、野党第一党の民進党の代表選挙であるそうな。 枝野氏、前原氏の一騎打ち。 そのプレゼンを聴く時に以前のコラムで披露したように日本国、日本国民をいかに主語にしているかを基準に聴いていたらやっぱりとても残念であった。 「党」という言葉が目立ったからだ。 国会議員という人々の多くは何か勘違いしている。 自分たちは公僕、国に、国民に仕える身であることを忘れている。 自分たちの党利党略、ましてや自分たちの描く思想、理想を押しつけるための人種ではない筈である。 少なくとも「原発ゼロ」や「憲法改悪阻止」「情報公開」などの彼らの言う理想が必ずしも今の国際情勢にも国民感情にもマッチしないように思えるし、国や国民の幸福や安全を深考しているとも思えない。 親子関係、夫婦関係、社会や職場での人間関係についての思考の材料になればと思い一筆してみた。 「君が代は千代に八千代にさざれ石の・・・こけむすまで」 日本の国歌はご存知のように万葉集の歌である。 意味は平和な世の中が永くつづきますように・・・という意味だ。 縦糸、横糸が紡ぎ合って経える世・・・。中島みゆきの歌う唄のようにそれが、男と女と捉えても良いかも知れない。そういう一面は確かにあるにはある。 ありがとうございました M田朋玖 |