コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 薬は毒2017. 8. 3

薬を毒と言ってはばからない人々がいる。
モチロンそのような側面が多少あるのは否定できない。
けれどもこのような思い込みを強く持っている医療関係者、特に医師、薬剤師、看護師などの存在は時にかなり有害ではないかと思える。
これは筆者が内科医で元々薬師(くすし)・・・薬を上手に使って患者さんを治療する・・・という職業であるから多少自己弁護的な論にならざるを得ないという前提を考慮に入れて承知の上でこれを書いている。

知人が2人、7月下旬に事故に遭った。
一人は自転車転倒による頭部外傷と坐骨骨折、一人は自動車事故による熱傷(エアバッグによるものらしい)。
7月下旬というと土用の時期(土用丑の日の土用だ)。
事故やら事件が多いと警察の方からも聞いている。
そう言えば毎日のように救急車が行き交っている。
それこそヤバイ時期なのである。
生命を落とすこともある。
精神的に不安定になる。
隠し事が露見しやすい時期でもある。
用心用心だ。

それはともかく前者、自転車事故の知人の場合、怪我は幸い軽傷であったが外傷の性質上某病院、薬について極めてネガティブな信念をお持ちの某外科医が担当になったものだから悲惨であったそうだ。
何しろ「薬は毒」と言い切って精神安定剤、睡眠薬をはじめ鎮痛剤、抗生剤すら処方しない方針のドクターであったらしい。
元々精神疾患を持っていて治療中の神経の幾分か細い人物であったから、入院治療になって薬を一切断たされた結果、発狂寸前まで状態が悪化したようだが、父親が子供(受傷者)のただならぬ精神の気配を感じ取り大急ぎで服用していた薬を家からこっそりと病院に持ち込み事なきを得た・・・というような嘘のような本当の話を聞いた。

一方で後者の受傷者の場合は同じように精神疾患をお持ちの方であったが、同じ脳外科医でもいくらか薬について理解のあるドクターで、何の問題もなく服用を継続できて比較的に快適な治療経過(入院通院)を過ごされたようである。

このような例は幾分極端な印象を持たれる方も多いと思うが、仕事柄どうしても薬物療法について家族をはじめ周囲の人の理解を得る必要が絶対的にあり「薬は毒」という思い込みを強く持たれている方、それも先述した医療関係者がいる場合にはその職業的な影響力もあり治療上支障をきたすことが時々あるようで結構悩ましい問題である。
まるで他人事のような表現で恐縮であるが、要は本人の人生観の問題と考えているのでそのような思い込みをお持ちの方にはあまり強く説得するようなことはしないようにしている。

これは宗教上の理由で「牛肉を食べない」「豚肉を食べない」「輸血はしない」・・・というのとよく似ていて、基本的に訂正不可能な問題ではないかと思えるからだ。
ご存知のように人生は有限である。
人生は時間そのものと言っても良い。

その人生を快適に過ごすか不快適に過ごすかは本人の選択である。
不快適の原因が人間関係であるとか環境であるとか肉体の種々の不調不具合であるとか本人の考え方の問題であるとか色々とマチマチであるとは思うが、その不快適(不眠、痛み、精神不穏、落ち込み、焦燥感などなど)が一気に軽快消失するならば筆者の場合迷うことなく薬物の使用を選択する。
人生の時間の節約、気分の良い時間を多くするという目的の為でもあるし、そもそも痛かったり苦しかったりするのは真っ平御免被りたいからである。

ここでよく多くの人が「薬」と呼称する場合、メディスン(治療薬)とドラッグ(違法薬物)を混同、同一視しているケースが多々あるのではないかと思える。
麻薬(ヘロイン・コカイン・アヘン)、覚醒剤、マリファナなどは日本では大変な御法度薬物で飲酒運転と同じく厳罰に処される普通の人が簡単に犯しやすい二大犯罪である。
強烈な依存(覚醒剤)と耽溺(麻薬)と脳の劣化をきたし、逮捕されれば刑務所に行かねばならず、薬物依存から脱け出る為の治療プログラムも受けなければならない結構面倒臭い薬物なのである。
それらと比べて医療機関で処方される薬物というと、まずそれが合法であること、その安全性が国の治験で確認されていること、基本的に国家資格を持った医師や薬剤師がコントロールしていることなどの点で全く別物であることは周知のことである。

そういう背景や前提があるにも拘らず最近では精神安定剤や睡眠薬などについて国や行政府は抑制する方向に舵をとっているようである。
これは良く理由が分からない。
現代社会のようなストレスフルな環境において普通の社会人がどこに癒しや安息、心の安らぎを求めれば良いというのだ。

モチロン、酒やSEX、ギャンブルなどが社会的にも経済的にも健康被害的にもとてもよろしくない・・・ということは合点承知の助なのである。

アルコールに至っては違法ドラッグではないが、いったん依存症になると脱出するには麻薬よりも骨が折れる。
アルコール依存症は決して完治しないと言い切っている成書もあるくらいだ。
このような現状を鑑みて、良質な睡眠が、若さを保ち認知症を予防するという最近の検証結果も考慮し、精神の安定が血圧を下げ肩凝りや頭痛、抑うつ気分も取り去るという事実に目を向けるとお薬の有り難さの方がはるかにその副作用や危険性を上回っていると思うがいかがであろうか。

筆者の父親の時代、多くの内科の開業医はその直感的見立てから多くの患者さんの症状が精神的ストレスに起因すると診断し、比較的安全とされているベンゾジアゼピン系の精神安定剤を処方し、患者さんの苦痛を取り除いていた。

最近ではこれらの薬物の依存について問題視する方向にあるが、これを禁止したら多分裏社会において高値で取引され、地下組織の大きな収入源になることは間違いない。
これは筆者の妄想に違いないが筆者の個人的な経験では鎮痛剤、精神安定剤、睡眠薬、降圧剤、抗うつ剤など多くの薬物は人間の健康寿命を延ばすと考えている。
何しろ心身共に「楽」になるのだから・・・。

やっぱり薬は薬であって毒などではないのである。
そもそもその摂取物質のからだに益するをもって「薬」と呼ぶのであって、害するのであれば「毒」と呼んでも良いと思うが先述した二つの事故の例でも確かなように患者さんを苦しいままの状態で我慢させるのはまっとうな医師の所業ではないと考えている。
モチロン例外はあるが・・・。

ありがとうございました
M田朋玖



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