コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 都民ファースト2017. 7.12

カナダ出身の経済学者、ジョン・ケネス・ガルブレイズによれば幕末、即ち江戸時代の末期には日本国というのを主語に活躍した人物が60人近くいて、それらの人々が成し得た業績が明治維新というものであるらしい。

都民ファーストなる都議会の会派が選挙で自民党に圧勝したようだ。
同会派は小池現東京都知事を中心とした派閥で、確かに自民党都議連の小池氏に対する態度も大人気ないが、それらの人々との競い争いでは小池氏の勝ちということらしい。
ここ1〜2ヶ月で東京出張の折にタクシーの運転手さんに尋ねたところ小池都知事の人気は格別なものであるらしく、地方の人間からすると一種異様な感覚を持ったものだ。
これは大阪の橋下徹氏についても言えることで、どうしても地元人気というものがあるようだ。

しかし「都民ファースト」なんて呼称は国際的に少し恥ずかしいと思わないのだろうか。
日本国の首都・東京は言うならば国際都市である。
イギリスのロンドン、フランスのパリ、ドイツのベルリン、中国の北京みたいな大都市である。
それが市民ファーストなる議会の派閥が最大勢力になったと聞いて奇異に思われないだろうか。
筆者は思う。

森友学園、加計学園問題というスキャンダルで追い詰められている自民党も情けないが、問い詰めている野党も恥ずかしい。
都民ファーストと同じく日本国が主語でないからだ。

現在の緊張した国際情勢の中でさらなる国難の到来が予想される時代において政権の不安定、即ち政権与党を潰しにかかる勢力というのはどうしても国賊に見えるのである。
つまり国家国民に少しも益しないという意味で。

日本海にバンバン北朝鮮のミサイルが撃ち込まれ、中国・韓国との外交問題を抱え、アメリカとロシアと中国の狭間で北方領土問題、日本国の安全保障を盤石なものにするのに今の政権与党以外にどの党がまっとうに取り組むことができるというのだ。

かつて民進党が国を率いていた頃の体たらくをもう既に忘れかけているのだ。
多くの国民やメディアは・・・。
自民党支持率低下を喜んでいるのはマチガイナク国賊であると睨んでいる。
意識的か無意識的か不明であるが。

都民ファーストとかの「こっぱずかしくなる」呼称で浮かれている女性都知事も同根である。
お陰で九州の田舎から見るとどうしても東京は昔のような憧れの都市というより、個人的には軽い違和感と不快感の対象となってしまった。残念なことだ。
東京都の人々は日本国とか世界とかが、逆に見えなくなってしまっているのではないかと、そんなことを考えてしまう。それこそ芯からエゴイスト、まさしく都民ファースト・・・になってしまったのか。今や流行になっている大衆迎合主義ポピュリズムに染まってしまったのか?情けない限りだ。

熊本県民ファースト・・・なんて・・・絶対ありえへんよろう・・言葉として、常識として。東京なら許されるのかと、全国国民に問いたいものだ。

東日本大震災における福島の原発問題、かなりの高確率で起こると言われている大地震の問題、喫緊の外交問題などなど、2020年のオリンピックも多分他人事なのだ。
そんな風な印象を持ってしまう。

とても危機感が希薄で国際感覚に乏しいような気がする。それもトランプ大統領のスローガン「アメリカファースト」が国際的に顰蹙を買っている、このご時世にである。

一方、九州の田舎とはいえ対馬沖には敵国か同盟国か不明の反日国・韓国があり、その背後には北朝鮮、さらに沖縄から南方には南シナ海に台湾、中国、香港と危険地帯がひかえている。
ドキドキするほど怖いと思う時がある。

確かに地理的に東京は太平洋に開いており、東京湾という豊穣でおだやかな内海を持っている。
地勢的にも北方や西方を山に囲まれ、東方の海に開いているので何となく呑気でいられる土地柄なのかもしれない。
どことなくノーテンキに見えるのは筆者だけであろうか。

日本の実業家で現在最も成功した人物と言えば孫正義、柳井正、盛重和夫であるけれど、それぞれの出身地を見ると福岡県、山口県、鹿児島県となりやはり薩摩、長州、肥前、日本電電の永守重信も京都出身となる。
楽天の三木谷浩史も神戸市出身だ。
当の東京都知事の小池さんからして神戸出身らしい。
皆さんそろいもそろって「地方」出身者である。

いずれにしても現政権を現時点で脅かそうとする人々は繰り返すようだが国賊、裏切り者とみなしてよいと思う。

戦前の文化や制度の全否定というのはアメリカ占領時、GHQの政策として行われた思想教育の流れであるし、自虐的歴史観というのも同じである。
今の平和憲法ですらGHQ民生局のケーディス大佐(日本人の人妻と不倫していた人物)の作品であろうという説もある。

森友学園問題で話題になった「教育勅語」というのを何人の人が読んだことがあるのか。
現代でも通用する素晴らしい内容である。
国民と政府の分断化を狙う非国民が結構いるのだ。
少なくとも国会議員の中でお金の計算ばかりしている人とか、党利党益、政権奪取だけを目的として日本国、日本国民を主語としない、中心に据えない議論をしている人々を決して信用してはイケナイと思う。
別に国粋主義者と呼ばれても(これは言葉だけの問題であるので何の羞恥心も抱く必要がないと思えるが・・・)都民ファーストより恥ずかしくない言葉に感じる。

ありがとうございました
M田朋玖



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