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■ テロについて | 2017. 6.21 |
世界の平和が容易には・・・と言うよりは永遠に実現できそうにないことは多くの日本人には信じられないかも知れないが、それは宗教についての感じ方・考え方が今ひとつピンと来ないからだと思える。 日本人の場合、基本的に99%色々な宗教を是認容認する文化を持っていて、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教に対して多神教的な寛容さがあれば良いのに・・・というような無邪気な宗教観があるような気がする。 多神教と言うとギリシャ時代の神話的なソレ以外、現在でもインドのヒンドゥー教などが存在するが、先述した一神教徒の人々の他の宗教への対処の仕方とかを見ると極めて苛烈であって、異教徒即邪教、そしてそれらを殺すことは正義となるのであるからとにかく凄い。 考えられない。 織田信長はキリスト教に宗旨替えしたワケではないがキリスト教徒の人々が日本に持ち込んだ鉄砲を上手に戦に取り入れ天下人となった。 それでそのキリスト教の影響と考えられるが比叡山延暦寺など多くの仏教系の施設を焼き払った。 これは後世、日本における宗教的勢力の政治介入をタブー化させたという意味で功績とする識者も多い。 戦国時代までは寺社仏閣は大きな力を持ち、武力はおろか女まで内に抱え公家や武士に対する強い影響力を持っていたのであるからそれを強引に抑え込んでしまったということが後々まで日本国における宗教者の地位を異常に高めることを良しとしなかったという文化として根強くある。 ユダヤ教の神はエホバ(ヤファエ)、キリスト教の神は三位一体{エホバ(父)・キリスト(子)・聖霊}。 イスラム教の神はアッラー(ムハンマドは神のメッセージを告げた預言者である。ユダヤ教におけるモーゼのような存在)。 カトリックとプロテスタントの違いであるが、これは聖書を読むこと、それに従うことは同じであるがローマ法王をそのトップにしてその考えや命令や解釈を絶対とするかそうでない(プロテスタント)かの差異である。 したがってカトリック教徒は世界に10億人もいるがその考え方・思想は殆んど統一されていると言って良い。 一方プロテスタントの側は聖書の解釈においてまちまちであって、様々な流派が存在する。 また同じく10億人もの信者を誇るイスラム教徒もその経典であるコーランの解釈の仕方でさまざまな宗派に分かれ、スンニ派、シーア派、ワッハーブ派などがしょっちゅうマスコミで取り沙汰されている。 そして争っている。 ちなみにユダヤ教と言えばその存在感には素晴らしいものがあるが、信徒は僅かに1500万人で他の2教と違い民族宗教である。 即ちユダヤ人イコールユダヤ教徒と言っても良い。 日本人イコール神道者ではないが神道ももちろん日本人固有の民族神道である。 仏教を創めイスラム教、キリスト教は世界宗教ということになる。 いずれにしても宗教による対立というのはとても根が深く、単なる感情論では片づけられないようだ。 民族紛争もそうであるが相手への憎悪というものが宗教という強い思い込み、それも全く訂正不可能な固い信念のような思い込みが「正義」とか「聖戦、ジハード」とかと飾り立てられ平気で異教徒を殺すというようなことをやってのける。 まさに狂気の沙汰である。 これが世界中で頻発しているテロの正体である。 主としてイスラム教過激派とされる狂信的な人々による無差別の殺人事件は現時点で防ぎようがないように見えるのは残念なことである。 それも爆弾テロについては人間として許し難いレベルの犯罪なのにである。 今公開中の「パトリオット・デイ」では2013年の4月に行われたボストンマラソンでの爆弾テロ事件の実話をややドキュメントタッチで描いてあったが、普通のフィクションと違いFBIも地元ボストン警察も犯人たちも全くカッコよくない。 ドタバタ喜劇のようなマヌケなアクションだらけであるが、それこそがリアル感を醸し出し奇妙なオソロシサが心に湧いてくる。 アメリカ人においてすら普通の市民にとってテロリズムとはまだまだ遠い存在なのである・・・と感じさせてくれる映画であった。 「愛の力」で乗り越えるしかない「団結だ」みたいなオチであったが結構感情移入できた。 主演のマーク・ウォルバーグは相変わらず眉間にしわを寄せてマジ顔で演技していてもどこかしらコミカルでお笑い系だ。 一方FBI特別捜査官役のケヴィン・ベーコンが年を取って益々渋くなった。 いずれにしてもテロの怖さを知るうえで、この「パトリオット・デイ」は一見の価値がある。 ニューヨークという街がユダヤ人の街ジュー(ユダヤ人)ヨークと揶揄されるとおり金融とマスメディアに対して犯人たちの抱くイメージというのがやはりユダヤ憎しからきていると思える会話があったりして興味深い。 ボストンでのテロの後、爆弾を持って車でニューヨークに行こうとするところが出ている。 警察はともかく犯人たちが恐ろしくマヌケなのにナカナカ捕まらないところがイライラする。 しかしアメリカの警察官というのも結構勇敢でアタマが良いというのもこの映画で知ることができた。 悪人警察官ばかりが映画で、フィクションではあるが何回も出てくるのでこのような実話をとおして警察礼賛を煽っているというのは市民意識を善良に保つという意味で悪いことではないと思える。 相変わらず何かメチャクチャな文章になってしまいました。 読んで下さってありがとうございました。 M田朋玖 |