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■ 五月の風 | 2017. 6. 1 |
今年の5月もそろそろ終わろうとしている。 来月は梅雨だ。 例年どおりならば毎日のように雨が降る・・・憂鬱な季節と言えるがそれほど嫌いではない。 今年の5月は晴天が続き毎日絶好のバイク日和であった。 おかげでゴールデンウィークから始まって毎週のようにオートバイにまたがった。 ウンザリするくらい乗ったのでもう辟易する・・・という風にツーリングの最中に思うけれどもいったんバイクを降りて2〜3日するとまた乗りたくなる。 まるで麻薬である。 かつてはトライアスロンとかバスケットボールがそうであったけれど肉体的にも年齢的にもそれらのスポーツから縁遠くなっている。 当然の流れであるが少し寂しいあるネ。 日本の5月、とりわけご当地・九州地方では一年のウチでも相当の良季である。 暑くも寒くもない。 絶好の行楽シーズンと言える。 ついでに明るい時間も長くなって陽光もそれほど灼熱というほどではなく、野外での遊びにはもってこいの季節である。 丁度ロンドンの6月と似ているがロンドンの方がチョット涼しくて夜も10時くらいまで明るいので、くらべると日本の5月よりロンドンの6月の方がより快適である。 北海道の7月〜8月が同じ感じなのかなあと想像しているが、その時期には一度8月に行ったきりなので良く分からない。 こちらでは田植えの準備とかで農家は忙しいらしい・・・。 その煽りで半農の家では若い勤め人も駆り出されて飲食店や病院は少し暇になる。 まあ例外はあるにしても概ねそんな感じである。 当科では結構多忙であった。 5月病というくらいで体調の悪化や精神状態が不安定になる人が多いようで病室は満杯である。 こんなに気候が良いのに・・・何で・・・とも思えるが筆者自身も今年の5月は何かと不調がつづいている。 オートバイの乗り過ぎか多忙のせいか懸念や懸案の多さかアタマもココロもいっぱいいっぱい・・・てな態だ。 今年初めからつづけている一日一食のダイエット生活、減量15kg成功のおかげか何とか気分の落ち込みもさほどではないのが有難いが・・・それも或る朝ふっと5月29日の今日になってふっきれたように良い気分が戻って来た。 そのキッカケというのがやはり言葉である。 夜中に寝室から移動して神棚の前の廊下で眠っていたら突然天の啓示のように「そんなに心配するな」「うれしい、たのしい、ありがとう、しあわせ」という言葉を灯に毎日を送れ・・・というような嘘みたいなメッセージが頭の中に浮かび、急に世の中が、アタマの中が明るくなった。 ご存知のように小林正観という旅行作家の方が提唱されて発会されていた「うたし会」なる会があって、何回か参会したことがある。 「う・た・し」というのは「うれしい・たのしい・しあわせ」の頭を取ったものだ。 ついでに「ありがとう」「ついている」という言葉を絶えず口にしていると運が良くなる・・・というか健康になる、幸福になるらしいので実行してみたら確かに気分も良くなるし行動力も増すし良く眠れるし、何よりも思考や感情がポジティブになる。 人間の発する言葉には侮れないチカラが宿っているようで、あだやおろそかに使ってはイケナイが、昨今の一部の注意深くない政治家の失言騒動もあったり、たった一言で人生が大きく変化してしまうこともあったりしてくれぐれも用心を重ねるべきがこの言葉というものであろう。 至極プライベートで個人的に「オレ(ワタシ)って最高」とか「私は神である」とか前記した「うれしい・・・」とかを坊さんのお題目とかマントラのように口ずさむことに何の差し障りもない筈だ。 これは度々述べて来たことであるが、世の中というもの、世間というもの、マスメディアというものは出来事のマイナスの面を強調する傾向があるように思える。 所謂ドキュメンタリーとか報道番組とか週刊誌とか新聞とか明るいニュースというものは少ない。 そのうえ小説や物語でも気分の悪くなるような内容のモノも決して少なくない。 多くの人々が、とりわけ日本人がその情報公害のような状態の中で溺死したり瀕死の態になったりせずに概ねマットウな生活をなさっていることに大いなる尊敬の念を禁じえない。 たいしたものである。 五月の風はとても心地良く街路を、山を、川を、草原を渡ってゆく。 それら爽風のように心地良い、愛のある優しい言葉を少しでも自らは発して行きたいものである。 それが微かなそよそよとした風であってもそれらのもたらす愉悦にハッキリと意識を向けた時に心に生じるさざ波がささくれだった神経やアタマを綺麗に洗濯してくれるような気がする。 ありがとうございました M田朋玖 |