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■ ウォーキング | 2017. 3.24 |
運動が体に良いかどうかその程度によると思われるが、軽度の適当な運動は健康と長寿に良いらしい。 NHKのBSで「ウォーキングはスポーツだ」というような内容の特集を観て、その歩き方がとてもキモチ良さそうに見えたのでひとつ試してみるべと挑戦してみた。 トシのせいか早朝4時とか5時に目覚める。 よし、この時間帯だとばかりにクルマを運転して近くの運動公園まで出かけ、そこの遊歩道みたいな周回コース約1000mを早足で歩くことにしてみた。 手を後方に大きく振り上げ、背筋を伸ばし、大股で素早く歩くのが良いらしい。 確かにカラダの手応えとしては何だかスポーツらしい。 また気温が3〜4℃と低いので汗こそかかないがたった1000mほどでも運動した気になる。 この距離は割と厳格に守っている・・・。 というのは欲張って2000mにしてみたところ左膝(持病)が痛くなってしまった。 要はつづけることが肝腎だ。 とにかく雨の日も風の日も毎日歩きつづけて1週間になる。 約10分もかからないので、帰って来て何をするかと言うと読書や勉強もチラッとした後はやっぱり2度寝である。 これがやたらにキモチイイ。 最近は春なので明るい陽光と鳥の声で目覚めるのであるが、これは我が家の良い家相のお陰でナカナカの目覚めである。 その上、やや自己満足的であるものの下半身の、イヤ全身の躍動感、リズムみたいな感覚が微かにカラダに残っていて心地良い。 早暁の春とは言え、結構暗いのであるがその公園には街灯がともり、何よりも自動車や自転車におびえる必要がないのが有難い。 心おきなく「歩ける」のだ。 心の中に運動の為に歩くなんてカッコ悪いみたいな印象があったのだけれども、実際に歩いてみてもその感覚があるにはあるが「走る」より「歩く」方がはるかに健康的であるそうで、実のところ走りたくて仕方がないのを抑えながら一生懸命歩いている。 筆者が10年以上つづけているチベット体操にくらべたら歩くくらいなんてことはない。 それでも歩けるのに歩かないのはモッタイナイ・・・という喜ばしい実感もある。 今は歩くのが嫌で、田舎に行くほどほんのそこまでもクルマでの移動であるが、年齢とか病気とか色々な事情があって歩きたいのに歩けない人のことを思うと、まだ「歩ける」自分が嬉しいではないか。 これは字が読めるのに「読まない」、書けるのに「書かない」、見える眼を持っているのに素晴らしい芸術や景色を「見ようとしない」・・・、聴こえる耳を持っているのに美しい音楽や愛する人の声や為になる話を「聴かない」・・・人々のことに思いを馳せる。 歩くこと、歩けることは実は素晴らしいことなのだ。 一日の始まりに歩くことがどんなに良い気分にさせるかお伝えしたくて一筆してみた。 (或る本によると夕方に歩くほうが良いと書いてあったのでこれも一度は試してみたい・・・気は進まないけれど・・・)。 ありがとうございました M田朋玖 |