コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 偉大な国2017. 3.16

世界の超大国アメリカの現在の大統領、ドナルド・トランプ氏の選挙中のスローガンが「Make America Great Again(再びアメリカを偉大な国にしよう)」であった。
かつても今もアメリカは偉大な国であったのだろうか。
greatの訳がただ単に「大きな」なのか「素晴らしい」なのか英語なので不詳であるが、少なくとも日本人の感覚では「偉大な」に聞こえる。

アメリカ合衆国の歴史は浅い。
せいぜい230年ほどである。
その歴史も諸外国に向かって決して大きく声高に誇れるものではない。

元々住んでいた多くの原住民(インディアン)を大量に殺戮して創り上げた、言うならば略奪建国による国家である。
日本国を例にあげるならば、例えば縄文時代・弥生時代に原始日本人がいたとして(実際にいた)、朝鮮や中国或いはインドなど当時の文明国から人々が大挙して日本列島に訪れ植民地化し、多くの日本人を虐殺して自分たちで勝手に国を造ったとしたら・・・などと想像してみられたら、その主張・存在の理不尽さが理解できる思われる。
その上、植民や移民によって成り立っている“自由の国”アメリカに移民・難民は許さないというのも問題ではなかろうか。

そもそもそのような移民難民流入について寛容で、形だけでも人種差別を克服し、「世界の警察」を自他共に認じ、国連などに多額の拠出金を出して世界中の多くの人権蹂躙国家や不自由な国、たとえば共産主義国や独裁国家を解放し、豊かな理想国家に新しく創り上げることをもってして世界中から偉大な国と呼ばしめたのではなかったのか・・・。

世界中で勃興している反グローバリズムの嵐に便乗するかのように自らが創り上げたNAFTA(北米自由貿易協定)を一旦見直します・・・とか、NATO(北大西洋条約機構)への米国の関与の仕方を考慮します・・・というような言動によってバルト三国をはじめ東欧の反ロシア国(ロシアを心から恐れている国)の激しい動揺を誘う・・・などなど。また既に永久に“やめる”と断言したTPP(環太平洋経済連携協定)をはじめ世界における米国のプレゼンスの変容はいかに彼の国が強く大きな影響力を持っていたことをあらためて知らしめたと同時に、あらたな混乱をもまた招来させている。

言葉の意味だけであるが「偉大な国を再び」どころか、まるで逆行、後退しているようなありさまではないか・・・と筆者には思える。

国家と個人では視点が違うのかも知れないが、こと個人に限ってみても偉大な人とは例えばマザー・テレサであるし、インドのマハトマ・ガンジーであろうし、エイブラハム・リンカーンであろうし、南アフリカのネルソン・マンデラであろうことに多くの人は異論を唱えないと思える。
そのような人々がドナルド・トランプ大統領のような言行をするであろうか。
国家としてのアメリカを、彼の人の言うように導いていくであろうか。

 高い品性と知性を兼ね備えた思慮深い人物が、人類愛に基づいた言葉や行動を発信していくのが偉大な国家の偉大な指導者というものではないだろうか。

過去にも現在にも最も指導者として優れている・・・というか適性がある人物はネルソン・マンデラ氏であるそうだ。

クリント・イーストウッド監督の作品で「インビクタス/負けざる者たち」というのがある。その映画で、マンデラ氏の素晴らしいリーダーシップ、人間性を垣間見ることができるが、それは「羊飼いのリーダーシップ」というらしい。
俺が俺が・・・ではなく人々を、優れた羊飼いのように前に進ませ国民を善導していく・・・というスタイルである。確かにかつて「人種差別」のシンボルとして世界中から非難を浴び続けたアフリカ大陸の南端の混乱した国、南アフリカ共和国を見事にまとめ上げ世界中の尊敬を集めたネルソン・マンデラ大統領と対極にあるのが現在のアメリカ大統領のドナルド・トランプ氏なのではないか・・・と思える。

アメリカファースト・・・なんて自国のことを最優先する国家が偉大なはずはなく、これは個人にしても同じである。
自分のことしか考えない人間が尊敬されるワケはなく、また幸福に生きていけるワケではない。
世界があってこその国家であり、社会があってこその個人なのではないか。何かしら基本的な原理原則を忘れてしまったかのような最近の世界のトレンドだ。そのことをオカシイとも感じなくなった大衆迎合主義(ポピュリズム)。それを当たり前のようにしてしまった政治家とか国家とか国際情勢を見ていると、人類というものは進化発展するだけでなく退歩幼稚化もする可能性もあることを胆に銘じておいた方が賢明かも知れない。

人類の歴史の叡知がいくら蓄積されても、それは科学技術に限られるようで、政治や国家や社会体制には反映されないかに見える。個人の歴史は長くてもおよそ100年。どんなに素晴らしい人生もそうでない人生も、一旦はリセットされてしまう・・・。悲しむべきか人間の凄まじいまでのエゴと愚かさだけが露呈されているように見えるこの世界も、どうしようもないことなのだ・・・恐らく・・・。

ありがとうございました
M田朋玖



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