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■ 空を見上げて | 2017. 1.16 |
冬の夜。 クルマを闇雲に走らせていると、盆地の田舎町の悲しさか必ず山の上か谷に行き当たる。 南側に向けては国道が2本通っていて真南に宮崎県えびの市、やや南西端には鹿児島県伊佐市がある。 えびの市には高速道路が通じ、伊佐市には長いトンネルが山を貫いて通され、時間的にも空間的にも両市とも同距離にあると言って良い。 街の北西に向かって球磨川が流れ、それは蛇行しながら八代市に向かい八代海へと放たれる。 八代方面には九州山脈を貫いて高速道路があり、また国道219号線が球磨川の沿岸を川と絡み合い寄り添うように通されていたが、ダム湖の為か土壌が侵食されがけ崩れや山崩れが降雨や台風の度に生じさせられ、工事中の絶える時がない道路だ。 北東側に向かっては子守歌で有名な五木村に通じる山道が新しく、いくつかのトンネルが通され県北に向けて登っている。 町の東側に向かって先述した国道219号線が球磨郡の広々とした盆地を横切って宮崎方面に向かって山筋を這い登って行く。 ハーッ、地図を文章にするのは難しい。 前ふりが長くなったが筆者の好む星空ルートはこの南側の2本の道路の中間に位置する山道である。 矢岳高原というえびの盆地を見下ろすように南側に開けた見晴らしの良い丘があって、ここで見る星空はまた格別である。 眼下にえびの市の夜景。 見上げれば漆黒の天空に広がる粒子の小さい星がまさに星屑と呼べるほどの数量を持って散りばめられている。 まさに絶景である。 冷たい空気がしんしんと身を凍らし、頭は冴え冴えと張り詰め、星々の光の粒子が眼球を通り抜け、脳髄を心地良く刺激する。 クルマに乗ったままサンルーフを開け、シートに寝そべって両手枕で思う存分自然のプラネタリウムを眺められる幸福を味わえるのだからこの田舎住まいはやはりこたえられない。 都会に住んでいる人には悪いけれど・・・ 東京には空はないのだ。 それはいつも灰色にどんよりと厚手の緞帳のように垂れ下がり、個人的には夢も希望も打ち砕くように心を重苦しく沈ませる。 「よくこんな街に住めるものだ・・・」 これが正直な感想だ。 星空が見れないというのが冬は特にゆるせない。 冴え冴えとした冬の星空を眺めるのは健康な人間として生まれて来て、目が見える人間として最低限の権利と思っていたが、それは現代ではひとつの贅沢なのである・・・多分。 星なんぞどうでも良いという人々が殆どなのであるけれど、個人的には、毎日空を見上げ青空や星空を眺め、曇天の日は雲の流れ、その絶妙のまだら模様を眺めることがある種の懐かしさを含んだ喜びを得ることができるのはとてもありがたいことだ。 大都会に住む人々は夜景という星空に代替する妙景があるにはあるが、それは高層のマンションやビルに起居しなければ得られない。いずれにしても、「空を見上げる」という行為には何らかの癒やしの効果が潜んでいるように思える。 何の根拠も理由もないのであるが・・・。 ありがとうございました M田朋玖 |