コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 春情2013. 4.10

雨上がりの湿り気をたっぷりと含んだ夜気が澄みきった月光でさらに冷やされて、はだけた春の薄着の肌を吹き流れ、山清水のように冷たく心地良い。

思春期という言葉もあるくらいで、少年の発情は良しとしても、60才でも春には情欲が高まるものらしい。
着衣の女性のひらひらとした明るい春色の衣装が、年甲斐もなく桃色の妄想を湧き立たせる。

人間にも春と秋には発情期があるらしい。
毎年同じようにというワケではないが、春の鬱気もこの性欲の亢進が原因しているのかも知れない。
つまり高まった性欲がそのハケ口を見いだせず、適切に解消されなければ何らかの心の苦しみを生み出すのではないかと考えられる。
性欲の亢進と鬱病の悪化が逆比例することがままある・・・というより、それは正の相関よりも多い気がする。

満たされない欲求は、心身にさまざまな悪影響を及ぼす。
お釈迦様のように無欲になれる筈もない我々煩悩凡夫、それも爆発的な生命エネルギーを発生させる性欲の亢進とその抑圧が心とカラダに有害でない筈がない。

悶々としてそれらの欲望を抑え込み、火照ったカラダを持て余すのは良くないことなので、色々な手段を使ってそのエネルギーを、湿地帯が砂漠に様変わりするくらい、つまり春情が枯れ果てる・・・と思えるくらい出し切ってしまうと、逆に生命のエネルギーを高めることができるような気がする。

気学という学問にもあるように気(エネルギー)は、ある程度出し切った方が心身には良いらしい。
お金や財産やストレスのように溜め込むのは良くないのだ。
一日に生じたエネルギーは、一日のウチに出し切ってスッキリと眠り、翌日はまた新しい気(エネルギー)を取り込み、またそれを出し切る。
このような生き方は一見貯金のできない貧乏性の金銭感覚で、エネルギー需給・発散関係と思えるかも知れないが、こと性的エネルギー、つまり生命エネルギーの根元的「気」に付いてはその収支関係は、預貯金感覚ではなく無限生産活動、自転車走行のように常に走り続ける、常に発散解消しつづけるのが正当であるのだ。
多分・・・。

春情の処理については、このように多少荒っぽく積極的に発情し解消するという作業をしていくことが望ましいように思える。勘違いかなあ?
あ〜それでも春は悩ましいなぁ・・・。
嬉しい悩ましさではあるけれど・・・。

ありがとうございました
M田朋久


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