コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 楽しい人生2009. 2.14

人生生活というもの、生活を純粋に楽しむ為には目的や理想や目標を持たないことである。
筆者の仕事は医者であるので、自然的に病者の苦しみを取り去る、病者を慰める、適切な助言をする、検査をする、時に病を治すという「目的」を持って仕事をしているが、この「仕事」を生活の手段と捉えずに生活の一部、というより生活そのものとあらためて考えるようにすれば良いのではないかと思っている。
つまり仕事を生活として楽しむ為には、その目的があるにしても、ひとつひとつの行為行動を、自らの意志を明瞭に選択した日常の生活として、心理的に独立させ生活の為の「仕事」とはせずに「仕事」=「生活」という風に考えておれば、そこに楽しみ方の工夫というものが生じるような気がする。
多くの達人とか、仕事好きの人々を見て、色々と研究してみるとますますこのことが明瞭になるようだ。

このような人々は結果として仕事で成功をおさめることも多々あるようであるが、何しろの仕事が人生生活そのものであり、目的であり、手段であり、丸ごと全部人生であるような人もいて、これらの人にとって余暇とかバカンスとか休日というのは仕事の為のエネルギー充電か、もしくは仕事と殆んど同じレベルの人生生活上の楽しみなのではないかと思える。

バカンスが楽しみで仕事をしているというような成功した経営者というものを見たことがない。
そういう人は有能なスーパービジネスマンにはひょっとしておられるかも知れないが・・・。

成功している経営者と同じように真の意味でのプロフェッショナルという部類の人々とはそういう考え方が多いのではないだろうか。
仕事には人生の時間の大部分の時間とエネルギーを費やすというのが一般に普通の人々のレベルであろうけれども、そこに楽しみとか喜びとかやりがいとかではなく、人生そのものであると言い切れる人が人生の達人で真の意味での職業人であり、幸福な人間なのではないだろうか。

これは子育て中の母親や、家族の為に人生の殆んどすべてを捧げている専業の主婦についても言えることなので、それらの身分の人も或る意味で立派な職業人と言えるかも知れない。

仕事にしろ趣味にしろ、家事にしろその他諸々の雑用にしろ今現在自分の行っていることすべてが人生の楽しみそのものであるならば、その楽しみを感じている人というのは誠に幸福そのものであり、特にその人生に実りがなくても大変な満足を人生から得ていることになるが、逆説的にそういう人は自然にしていて「人生の実り」「成果」というものを自然に受けとるようだ。

ありがとうございました

濱田朋久


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