コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ ノレン2020.10. 7

「極道の妻たち」という東映のヤクザ映画の人気シリーズがある。
「十朱幸代」主演の2作目だけが面白い。
個人的には。
連作された「岩下志麻」さんより数段好もしい。
シリーズ主演はこの2作目だけであった十朱さんの演技は見事であった。
可憐清楚などの「極妻」にふさわしからざる容姿のミスマッチをモノともしない堂々たる「極道の妻」であられた。
このミスマッチが「冷血」を地でいく岩下さんより格段に好感だ。

対立する大所帯・バンダイ組の豪勢な事務所で極道の親分であった夫の借金、風呂敷に包んできた数億円の「札タバ」をテーブルに積みあげて切った「タンカ」は何度観ても感動する。
スカッとする。

秘かに想いを寄せる正真正銘のイケメン博徒(村上弘明演じる)とその妻を殺され復讐心に燃えたランランとした目で敵対する屈強の男達の勢ぞろいしたテーブルの奥の「傲岸不遜」そのもので鎮座する神山繁演じる組長を激高させ、脅えさせ、カッコヨク立ち去る。
十朱さんの着物姿が永遠に目に焼きつくくらい何回もその場面をリピートして観たものである。

ラストは数人の子分達と大事な「組の看板」を軽トラの荷台に抱き寄せ、街に乗り出していくシーン。
和田アキ子の主題歌が明るく流れる・・・。
ノレンや看板というモノは国旗みたいなアイテムであろう。
商売にはとても大事なモノである。

また「ノレン分け」という言葉もあり、それは今で言う「ブランド」のことであるが実際にはノレンや看板そのものに価値があるのではなく、それは単なる名称・呼称・シンボルに過ぎない。
それはそれに関係する人々の精神的につながりやネットワークなどで構成され、本質的には「目に見えないモノ」を表現している。
また法的、会計学的には「無形の資産」と言える。
それでノレンやブランドの資産価値や財産価値を測定することも或る程度可能であろうけれど広義には非常に難しい。
その価値の真実味、評価の高低について。

今年、令和2年7月4日の当地の大水害はこの「ノレン」を持った数々の店舗やホテルを打ちのめした。
殆んどが町の中心部に位置するそれらの「ノレン」の数々があえなく水没したとことになる。
ところが元々無形で目に見えない「ノレン」はいくらでも「延命」させることができる筈だ。
それなのにこの大洪水を機にそれこそ「ノレンを下ろす」或いは「ノレンをたたむ」ことを決断した商店主も少なくない。
「廃業します」
この一言で終わってしまうのは誠にモッタイナイと思うのだが・・・。

これからはモノや土地や財産ではない真の意味の「心の時代」。 
実相として人と人の繋がり、即ち「ネットワーク」が益々重要になってくると思う。
そのネットワークの中心に据えておくべき言葉がノレンでありブランドであり看板なのではないだろうか。

この世界の人間の諸活動において名称の無い類は殆んど全くない。
逆に「名前」だけの店やショップ、ブランドもあるくらいだ。
最初のノレンや看板だけをカタチとして持ち歩くこともできる。
当地人吉市でも店の再開の意思表示を「ノレン」だけでしている老舗小料理屋もある。
天晴れと言いたい。
無から有を生み出す作業。
その際、先に旗やノレンや垂れ幕・のぼりや看板など実のところ極めて重要なそれらのパフォーマンスのツールで、これに「元気の出る」類、たとえば「がんばろう」などの「のぼり」など言葉を掲げて人々に知らしめる・・・という行動は単なる広報や周知という意味をこえて人間の心や魂を揺り動かし、人々をして「よろしき方向」へ導く良い手立てではないかと思える。

ノレン。漢字での「暖簾」よりはるかに深い意味を含包している言葉だ。それは「ブランド」より広義で、日本人的。良質な熟成時間と歴史を作る「心意気」を要求する。その関係者や継承者に。

ありがとうございました
M田朋玖



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