[戻る] |
■ 思いは重い | 2020.10. 4 |
9月28日の夜。 あまりに精神的に不調なので試しに9年前の同月頃の我がコラムを読んでみた。 結果は何ともはや年まわりが同じなのか書いている内容が似ている。 そして自分で書いた文章ながら作品として良質でもあり心を深く癒やす。 初めての試みで3つのことを確認できた。 1.昔(57歳頃・平成23年)の方がアタマが良い。 2.年まわり(易的)が同じだと同様の苦しみや経験を味わう。 同じ課題を抱えている。 3.解決の糸口は他者より自分の中の方が優れているように見える。 「答えはいつも自分の中にある」という文を何かの本で読んだ。 などを知った次第。 自分の文章を自画自賛してはイケナイと常識的には思うが内容として今の自分の心に最もフィットして、尚且つ知識としても割と良質な類を得られた。 それで今後「悩んだ時」は自分自身の同じ年まわり即ち9年前のコラム「振り返り」しようと考えている。 「日記」をつけておられる方なら同様な類を何らかの有益な解決の糸口を発見できるかも知れない。 そういう習慣をお持ちの方なら是非お試しいただけたら良いだろう。 あらためて「人間はそれほど変化」しない(これは4つ目の発見)ということにも気づかされた。 自分はいったい全体「成長しているのか」というのかと微かな不安さえ抱く。 今年2020年は年頭から大荒れの様相。 世間ではご存知「コロナ禍」と称する人心の騒乱。 7月4日には当地人吉地方「洪水被災」。 そしてプライベートにおける色恋沙汰の急展開。 これは個人的には「相も変わらず」のようで、我が愚コラムの文章からそのことが読み取れる。 当時(9年前)はもっと深刻な仕事上の窮地にあって実に悩ましい時期にあったようだ。 今でもその時の自らの苦衷がありありと思い出される。 表題の「思い」は「想い」と言い換えても良い。 「念い」ではない。 時々「想念」という言葉があって少し紛らわしいが、意味として微妙に違う。 そのことは後述したい。 「語感」として「重い」というのがある。 これはイコールと考えても良い。 「思い」=「想い」=「重い」のだ。 人間の欲望・欲求・恋着・執着や過去の出来事についての追憶・恋慕・懐旧・将来・未来への不安・期待、即ちポジティブな類もネガティブな類も全て結果として脳や心にあるそれらの集合体は人間の苦しみの「元」になる。 勿論「懐旧」、良い「思い出」という類は心を深く癒やしてくれるともあり、概念として感覚として混同してしまう人が多いのでこのあたりはキッチリ分けて考えておきたい。 結果的にそれらの記憶や言語的に構成された概念やイメージなどすべて苦悩や「心の痛み」として感じられることが多いし、毎日を「楽しく生きて」行くのに極めて有害ではないかと考えている。 一方「念」は「今の心」と表記する。 敬愛する詩人の故坂村真民先生の言葉で「念ずれば花ひらく」という真言がある。 願望や祈願は成就するという意味であるが「念ずる」というのはどういうことであろうか。 「今の心」とは。 「念ずる」「祈る」などの意味は。 単なる自分都合の欲望願望に基づいた類とは明らかに違う。 純粋な「今ここ」には思考や感情、欲望などの「思い」はない。 それらは過去と未来を往来する身勝手なイメージや幻想に過ぎない。 「今ここの心」はもっと純粋で微細で軽く、所謂悟道者や覚者の「無心」に近い。 軽く、明るく、微細で精緻で透明で清らかで美しいものなのだ。 それらの重くも暗くもない、軽い「今の心」で生きる時全てが順調に行く。 令和2年の9月から10月、宇宙的な大転換が起こると唱える人々、主として「精神世界」を生きている人々達が同様のメッセージを持っていて、要約すると @情報を峻別する Aマインドを空にして宇宙のギフトを受け取ること となる。 @Aは今後の新しい時代を生き抜くのに必要不可欠な「心構え」ではないかと考えている。 とにかくマインド(心、思い)の空虚な人々はとても調子がよさそうだ。 どんな種類であれ個人的にも集団的にも「思い」の強い人々は気の毒なくらい「苦しんで」おられる。 とりあえず「苦しい」のが嫌ならば「心を空」にすることを強くお勧めする。 物の断捨離と同時に人間関係などのリセットなどよりもはるかに大切な断捨離は「心」のソレで「いっさいがっさい」の今までと未来を捨てて赤裸の空虚にすれば宇宙の全ての宝物が、ギフトがその広々とスッキリした心の空間に飛び込んで来てその当人を幸福にする。 因みに「気が重い」と何事も上手く進まない。これからこれがさららに起こりやすくなるのが宇宙のトレンドらしい。元々「良い気」は軽く透明で微細、繊細な波動を持ちとても「清らか」であるらしい。つまり「爽やかな涼風」ののようなモノだ。それらの「良い気」に乗って順調に物事を進めたいなら、まずマインド即ち「心」を重い「思い」から軽い「念い」に切り替える必要があるだろう。 「今の心」に。逆にそれが重ければ「思い」であり軽ければ「念い」と判定しても良い。一つのヒントとして提案してみた。 ありがとうございました M田朋玖 |