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■ 妻の写真 | 2020. 9.26 |
「寝ても覚めても君のことばかりが頭を去らない。この気持ちは入隊して特に著しい。会いたい、語りたい願いは君に劣らぬほど切だと思う。君の体は自分の体のように気になり、こうして離れているほどに気に懸る。 (中略) 狭く小さく君とそれから直接血の継る家庭とを守って巷にかくれた町医になり、貧しい不幸な病人の友となって正しいつつましい生活が送れればそれが何よりの幸福であろうが・・・」 「今日でここに来て十日になるが未だ落ち着かぬ気持ちだ。何十枚、何百枚でも邦子の写真が見たい。毎日同じ文句でも良いから手紙が読みたい。 さみしい心を救ってくれるのはただ手紙と写真だけだ。こうして十五夜の月を見、邦子の写真を前にしていると写真がきっと「しっかり頑張れ」と言う。ああ、また夜がふけて来た」 上記二つの文章は日本戦没学生記念会編「きけ わだつみのこえ」からの抜粋だ。 前者は田坂徳太郎氏、日大医学部出身。 28歳、スマトラ沖で戦死。 千鶴子夫人に宛てた手紙。 後者は宇田川達氏、早稲田大学出身。 鹿児島県坊津沖海上で戦死、24歳。 邦子夫人に送られた手紙。 「きけ わだつみのこえ」は1995年、平成7年に映画化もされたらしい。 それで同年に出版された岩波新書で読んでいるが編集者が「侵略戦争」とか日本国の「軍備不要」とかの言葉を使っていて今時は「石でも投げられそうな」被洗脳的言質になっている。 また「内容の良さ」を貶めているようにも見える。 日本国の為、同胞の為、愛する家族の為に死んで行った戦没者に対していかにも無礼ではないかと思えるのだ。 内容は若者らしい当時の日本人の感性や考え方が込められていて、どれを読んでも胸を打たれる。 中でも親や兄弟姉妹や恩師に宛てた手紙や日記などより文頭に挙げた「妻」への手紙が印象的だ。 元々筆者がそういう「星」なので仕方ないが「絆」についての重みが「親子」や「血族」より「他人」にその中心軸があるようで、そのような文章に「心惹かれる」のかも知れない。 ことに「妻」の写真へのこだわりは近々の戦争映画でも明確に表現されており、邦画「空母いぶき」や今上映中のハリウッド映画「ミッドウェイ」でもあの大ヒットした名作「トップガン」でもパイロットがその妻の写真をコクピットの計器盤の上に挿し込んで出撃するシーンが定型的に映し出されている。 誠に興味深い習慣で、考えてみるととてもよく理解できる。 男心として・・・。 同じ立場になれば最愛の人の写真を同じように眼前に飾りつけるに違いない。 知人の「船乗り」の奥さんは乗船中の夫からの「画像」の要求が激しいらしい。 夫の言によるとそれがないと「死にたくなるそう」である。 妻の仕事として愛してくれる夫への「画像奉仕」という大切な作業もあるようだ。 先の世界大戦の、どちらかというと大学卒或いは学生、所謂「学徒出陣」の若者ですらその心の内を吐露する文章にその欲求を切々とリアルに語っている。 男は「視覚」で幸福感を得る生き物らしく、それが生々しい人生の「よすが」になっているとしたら、大変重大な問題を包含していると思える。 男の場合、50数秒に1回は性的妄想をするらしく、その手がかりとしての「愛妻」の写真は大変身近で貴重なモノになる。 昨今は女性の職場進出によって女性のヌード写真が「ご法度」になっているらしく、益々「妻の写真」の重要性が増しているそうだ。 アメリカ製の昔の戦争映画には必ず女性のピンナップ写真が飛行機や潜水艦や軍艦の室内に貼ってあって、以前は不思議な気持ちになったが今はチャンとした理屈として脳裏に納まっている。 男性ばかりの「集い」で狭い室内で行われる場合には女性のカレンダーやポスターや絵画を貼っておくだけで場が和むそうである。 ごく個人的にも「妻の写真」を持ち歩くのは普通の男性、それも愛するパートナーのいる男達については大変切実な行動であろう。 そのことが冒頭に掲げた生々しい遺言のような「手紙」から強く窺い知ることができる。 心に留めて置きたい事実だ。 男女間の理解、その愛の為に。 しかしそういうモノを持ち歩く男は大変な幸福者にちがいない。 少なくとも「生きたい」と強く思うであろうし、そこには「愛する人がいる」という人生最高の喜びがある。 ありがとうございました M田朋玖 |