コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 専門家2020. 5.16

重要な問題を所謂「専門家」に任せがちなのは常人の癖である。
難しい問題なら特に素人は考えたくない。
筆者とて例外ではなくかつてそのような傾向があったが、これは或る大きな事件によって「改心」している。
つまり、たとえ門外漢であってもとりあえず「自分で考えてみる」ということを意識している。
少なくとも「専門家に丸投げ」だけはしないように用心するようにしている。

現代の「経営の神様」とされる稲盛和夫氏の経営法は「アメーバ経営」として有名だが、誰かから学んだり「受け売り」であったりではなく彼の人のオリジナルであるそうだ。
創業期の研究者と経営者の二足のワラジを履いておられる時代にご自身で考え出されたらしい。
内容は結構難しく、会計士も税理士も取り組むのに大変らしい。
しかし理屈はご本人から拝聴する限りとてもシンプルに思える。
「売り上げを最大限に、経費を最小限に。
決して利益を求めてはならない。
利益は結果だ」
・・・そうだ。
これを各部門ごとに計算して社員全員で共有し、創意工夫をして毎日実践実行しておられるらしく、大変と言えば大変そうだ。
稲盛氏は鹿児島大学工学部出身。
根っからの技術者上がりであられる。
創業時には当時の時の人「本田宗一郎」の講演会にも出席しておられたらしい。
まだホンダが二輪で世界一になったばかりの頃で、まだまだ御両人共に発展途上であられた時代である。
考えてみれば本田氏も稲盛氏も技術者。
本田氏には「経営者」として一緒に仕事をした藤沢武夫がいた。
自らの実印も預けていたそうであるから大変な信頼のしようである。
一方で稲盛氏は独りで経営を考えられたようだ。
個人的には本田氏のスタイルで医療経営も信頼する右腕に任せて「医療」の仕事だけに専心しようと丸投げで「任せて」非道い目に遭った。
以来、懲りてしまって稲盛スタイルを貫こうと考えているが実際には非常に難しいと感じる。
会計事務所や事務方の男性に殆んど任せている始末で少し情けない。
とは言え経営のセンスが全く無いかというと「そうでもない」という理由のない自負がある。
商売で成功した母親の実家の遺伝子であろうが、医者を辞めて経営に専心すればもう少し「やれる」のではないかと妄想している。
面倒臭いしそれほどの「欲」も衰えてしまった。
気楽に医者をやっている。
元々医者の仕事が好きなのでナカナカそこから抜けきれない。
経営者なんて真平だという想いもある。

昔「コムスン」という名称の大手介護会社があって、不祥事の為に当時「時の人」でもあった折口雅博が経営陣から退いて同業他社の「ニチイ学館」に譲渡したカタチになった。
折口氏も経営者としての才能があられて、ジュリアナ東京(ディスコの名所)を立ち上げ、その後も活躍したがスキャンダルで個人の借金を数千万担がされたまま再起してグッドウィルグループ(コムスンの親会社)の代表となった。
けれども先述した経過でいったん転落してまた再起。
アメリカで頑張っておられるようだ。
当時はベンチャー企業の「雄」として「孫正義」「南部靖之(パソナ:人材派遣会社代表)」「渡辺美樹(ワタミフード代表)」と並び称されるほど成功した。
自衛隊出身で防衛大を卒業しているので秀才ではある。
彼のやり方はいくらかブランド主義なところがあって、幹部にMBA(経営学修士、ハーバードビジネススクールなど)を据えて現場から遊離した「経営ごっこ」に終始したように見える。
結果的に失敗した。
「専門家丸投げ」と同様のアヤマチを犯したと言えるのではないかと推測している。

今回のコロナ騒動でも日本政府は「感染症専門家会議」なる諮問組織に問題を「丸投げ」しているフシがある。
地元政治家の「通信誌」を読むとその会議の知識情報がそのまま転載されている。

それでその会議のメンバーを調べてみたらお医者さんが大半であとは弁護士と保健関係の人々だ。
これでは国の「防疫」には不充分だろう・・・というのが個人的見解である。
勿論閣議決定で出される「宣言」ではあろうけれど。
「専門バカ」という言葉があるとおり専門家と呼ばれる人々に「おバカな人」が多いのは世間の常識である。
たとえそれらの人々がいかなる立派な肩書きをお持ちであろうと妄信してはイケナイ。
「専門家」と呼ばれる存在のいい加減さを知っているからである。研究者=専門家=「視野が狭い人」と考えても良い。

これは悪口ではなくホントのこと。
筆者の母校は東海大学。
草創期の医学部長は大変立派な人でお人柄、見た目や振る舞いも表出されるほど「徳」のある先生であったが、残念なことに在任中に他界されてしまった。
ご自身の専門である「心臓病」で。
次になられた学部長は同じ程度の肩書をお持ちで、世界内科医学会長。お人柄にやや剣呑なところがあられたが、好人物とは言えた。
勿論、日本の各学会の会長も兼任され循環器疾患の権威であられて紛れようもない「専門家」のお一人あったが臨床実習に立ち会わせていただいたところ(これは週に1回午前中だけ)教授回診という類にも付き合わされたがチットモ勉強にならない。
臨床の「役に立った」とすれば「この程度でいいんだ」という「安心感」だけであった。
この先生も同じく循環器の病気でそれ程長命を得ず他界された。
巷における専門家と呼ばれる人々は日本の場合、特にそうであるが或る分野について深く研究をされ多くの論文発表をし、それで学会に認められるコトをしてその「専門家」の称号を授かる訳でいくらか近視眼的であられる傾向がある。
専門家の成り立ちと成り方のカラクリはとりあえずアタマに入れておきたい。
また日本にも「専門医制度」があってあまり機能していないが、専門医だからと言ってただちに「臨床の実力」があるワケではない。
せいぜい「医学博士」くらいのレベルである。
つまり「足の裏のメシツブ」となぞらえるくらいで「取っても取らなくても」というレベル。
世界中にある専門医制度にも個人的にはいつも疑問符がある。
何かを「仕出かす」のは大概彼らだからである。
これは世界中の傾向。

安倍総理大臣もあまり専門家などをアテにしないで自分で少し勉強をしてドンドン口を出して話し合った方が良いと考えている。
案外素人の方が物事をよく見ていたりする。
「負けるな総理」と言いたい。

以上は経済についても大いに言える。
筆者も知らなかったが経済学も医学と同様完成された学問ではなくまだまだ発展途上で単なる「論」に過ぎないらしい。
いずれにしても常に謙虚に学び、進取の気質を持たなければ専門家の集団も国の「厄介者」になる可能性がある。
中国清朝時代のエリート官僚「宦官」たちが典型的な政治の「専門家集団」。非常事態にあった同国政府の足枷となって国運を大きく傾かせ滅亡させてしまった。

逆に明治維新を完遂させたのは御存知のように、政治や経済の専門家ではない。殆どが下級武士で「適塾」や「松下村塾」など私塾出身か独学者であった。

ありがとうございました
M田朋玖



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