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■ 「青春の蹉跌」 | 2020. 3.30 |
昭和49年に映画化され上映された石川達三の小説のタイトル。 同年に東海大学医学部に入学した。 当時頻繁に出入りしていた喫茶店のママ(50〜60歳)と友人との三人でナイトショー上映されていた同作品を神奈川県平塚市の映画館で観た。 その日はたまたま七夕祭りで街が賑わっていた。 昭和40年代の活気と熱気が通りに満ちていて若者達の生臭い息吹を感じたものだ。 たまたまBSのWOWOWで放映されていたので録画してあらためて観賞した。 萩原健一、桃井かおり、檀ふみの出演。 主演の青年が当時のパンタロン風パンツ、デカ襟のシャツ、ストールでカッコヨク決めている。 「ショーケン」こと萩原健一。 昨年の3月26日に他界したがとにかくカラダの動き、ファッション、演技がカッコヨカッタ。 当時憧れのスター。 物語は弁護士志望の大学生が見事司法試験に合格したものの大きな利害関係のある大会社のお嬢様と結婚する為に付き合っていた妊娠中の「オンナ」を殺してしまう・・・。 昔からある「愚かな男」の身勝手な考えに基づく行動と結末で、人生のつまずき・失敗(蹉跌)そのものだ。古典と言って良い主題。 当時、他にも実際の事件で千葉大学の新米医者(千葉大学出身ではない)の夫婦が豪華な新居を親から建ててもらって、カタチとして幸福な筈なのに夫がフィリピン人の女性に走って女医でもあった新妻を殺害して逃亡するという事件があった。 別に殺さなくても良いと思うが、割と「厳格」な親族より作られた環境にいると男は息苦しくなって発狂するものであるようだ。映画「青春の蹉跌」のように。 共感はできないが心理状態は理解できる。 追い詰められた感じがするのだろう。 自分の意志で築いたモノでない環境は。 同様に或る若い歯科医師など離婚の際の慰謝料、養育費などの圧力によって誘拐事件を惹き起こし子供を殺害し長い逃亡の果てに工事現場の宿舎に潜伏しているところを警察に逮捕された。 それぞれ青春(若者)の蹉跌(失敗)だ。 若い男は性欲に弱い、お金やストレスに弱い。 それらの圧力、プレッシャーに耐え切れず混乱し、発狂し愚行に走るのだ。 一見知的とされるエリートにこういうタイプが多い。 要するに挫折を知らず順調に周囲の援助で社会的身分を勝ち取るので上記した色と欲(女性やお金)の圧力に負けてしまうのだ。 また若い女性は男にそれと知らず「圧」を加えてしまう。 若い男は普通「肚をくくれない」。 真の男としての。余程世慣れているか鍛錬されていないと。 経験不足による度胸の無さが判断ミスを誘う。 不良や非行少年あがりが土壇場に強かったりする。良い意味で「馬鹿」になれる。昔風に言うと。男は何度か修羅場をくぐらないと「物」にならないそうだ。モノの本によると。 それにしても件の映画は懐かしかった。 大学(神奈川県)を思い出し、当時のファッションを思い出し、風俗や時代背景を思い出した。 そうして当時心の中で決心したのだ。 「青春の蹉跌」を踏むまいと。 主人公(萩原健一)は道を踏み外した。 現実の俳優としても。 恐らくは覚悟の無さ、無知の為。或いは思慮深さを欠いて。油断しているとどんな立派な男にも起こり得る。 人間は苦境に立たされた時、その本性が露わになる。 常に用心すると同時にあらゆる危機的状況に備えておかなければならない。 個人的にも何度か道を踏み外しかけた。 それを踏みとどまらせたのはこの「青春の蹉跌」という映画作品だったのかも知れない。 どんなに追い詰められたりしても人を殺したり自殺したりするほどのことはないと。またどれほど酷い状況も時間の経過と共に好転していくことが多いものだと。「放って置けばいい」或いは「じっとしていること」。昔の諺にも 「待てば甘露の日和あり」 と言うではないか。 誰の人生航路にも生かせる人生訓。 逆に「焦り」。これは大失敗の前兆だ。大概。 今は勿論、青春時代ではない。 しかし老年期に入ってもマチガイを犯す人が時々いる。 若い時と同じく色恋や金銭トラブルで・・・。 それらの人々に共通しているのは知識の少なさであり経験の乏しさに見える。 見込み違いは誰の人生にもあるものだ。 反社会的行動に走る人の多くがその特徴として行動や思考の選択肢の少なさ。 結果として「イチかバチか」のギャンブル染みた行動をしてしまう。 発作的、衝動的に。 いずれにしろ神奈川で過ごした8年間は実に楽しいモノであった。 素晴らしい友人に囲まれ、彼らの援助で勉強や遊びを満喫した。 深く感謝をしている。大学にも友人にも。 今の仕事をする自分の原点がそこにはあった。 そして表題の映画がシンボリックに自らの青春の苦悩を和らげ、反面教師として正しき道に導いてくれた。 そんな気がしている。 ありがとうございました M田朋玖 |