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■ 良い気分の作り方について | 2020. 3.27 |
これは実に簡単だ。 しょっちゅううなずけば良い。 こんなシンプルで人生に役立つ方法はない。 それに「笑顔」。 「しかめ顔」と頚や頭の「横振り」はさまざまなトラブルの元なので即刻辞めた方が良い。 またボーダーのセーターやTシャツ、ネクタイをやめて縦縞、ストライプの服を着る。 腕を組まない。 うつむかない。 細かいところではあるが絶大なチカラを持つらしい。 試してみる価値はある。 一日を素敵な気分で過ごすことができる。 実際に実行してみた結果である。 思考というのは理性のことであるが個人である人間の理性など大したチカラは持たない。 勿論、思考の道具である言葉の力を侮ってはイケナイが潜在意識(無意識)の世界は非言語的なメッセージ、暗喩などの方が容易に入りやすい。 理性(意識)のチェック機能を容易にくぐり抜けるからだ。 理性のカタマリは「信念」とか「理念」と呼ばれるモノだが、これは両刃の剣で使い方をマチガエルと大変危険である。 世の中の大きな争いやトラブルが人間の生の欲望や衝動よりも信念、教条、理念、観念など強い「理性の思い込み」によって生じていることが歴史を読むとマザマザと、またアリアリと理解することができる。 現代でもさまざまなイデオロギー(教条)、考え方、価値観、道徳観などの理性で人間は「対立」するし「縛られて」もいる。 また自らの隠れた欲望を美しい理念や理想論で覆い飾るということも人間はやってのける。 意識的にも無意識的にも。 容易に「自己欺瞞」に陥るのも人間だ。 自分の理想論に自己陶酔することさえする。 オソロシイ。 それらから完全に心が自由でいることは意外に難しい。 何らかの幼児期からすり込まれた「考え」が「心」を形成していて、このあたりは色々な観点視点にもよるが一言では説明し難い。 人間は生まれたまんまで人間ではない。 「養育」「教育」されて「人間」になる。 なので自他が共同でつくり上げた「理性」を完全に剥ぎ取ってしまうことはできない。 ただし瞑想や座禅などの心の修養によって「純粋意識」とか「真我」とか「宇宙意識」とか「無」とかの一時的に「理性」に修飾されない「おのれ」に気づくことができる。 これらの「考え方」があるので所謂「理念教育」というのは会社や宗教団体や国家などの運営展開に必要欠くべからざる類のモノであるけれど、それに埋没することは意識していないようにしている。 どんな事柄でも人間の造ったモノには疑いの目を向ける癖があって、一度自分自身の持つ考えという考え、感情、感覚でさえ洗い流して「素の自分」を感じ取るようにしている。 話しは表題に戻るが、この良い気分というモノも人間の本来的機能、即ち「正常に働かせる」為のひとつの手段がバカに出来ない。 試しに「うなづき」ながら上を向いて「考える」ことと首を傾けながらイヤイヤと頭を横に振りながら「考える」ことをやってみて欲しい。 どちらが気分が良くて、アタマが正調に働くかどうか・・・。 また楽しいコミュニケーションにもこの「うなづき」は素晴らしい効能を発揮する。 友人の一人は奥さんとうまくいかず悩んで筆者と引き合わせたが原因はすぐ分かった。 件の奥さんは癖なのか話しの途中でさかんに「首をかしげる」「横に振る」ということをなさる。 「話し好き」の友人からするとこれはオモシロクナイ・・・というかハラダタシイ。 また或る別の友人はアタマが良いのに試験に何回も落ちる。 その人との会話でもあまりうなづかないし、しょっちゅう首を捻ったりかしげたりする。 問題や課題に対して疑問に思うのは分かるが首を縦に振って考えれば自己肯定感が高まり素敵なアタマも筆もスピーディーに進むはずだ。 昔「NO」と言えという書物がって結構流行したが、やはり人生は「YES」だろう。 筆者の人生は「YES」の連続で、イヤイヤでも人の言うことを素直に聞いて従って来て極めて順調。 勿論、悪人に騙されもしたがそれでも素直に「YES」と言っていたら奇跡的に助けられて今の現在がある。 何かに「激しく抵抗する」という経験は殆んど無い。 無かった。 それに人間は脊椎動物。 それも哺乳類。 構造的に縦に「振る」「動かす」ように造形してある。 「うなづき」で良い気分になれることは「受け合える」。 ありがとうございました M田朋玖 |