コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 猥婦2020. 2.11

熊本市の名称の源は県北の菊池市隈府にあるらしい。
「隈」は「くま」と呼ぶ。
「府」とは字面のとおり「役所」「人の多く集まるところ、みやこ」となっていて、一時期九州全土を支配したとれる菊池一族が本拠地としたという歴史があるようだ。
九州には熊襲(くまそ)という人々がいて、大和王朝に抵抗したそうである。
これらの隈本(くまもと)→熊本と変遷して来たという説が有力である。

英語でワイフとは妻のことである。
多少強引に日本語に変換すると「猥婦」となる。
いきなり熟女系アダルト雑誌の表紙になりそうな響きと字面である。
個人的には結構意味深でマッチしていると思える。
何しろ一人の女性を性的に、私的に、独占的に支配し生活を共にするワケであるから考えようによってはとてつもなくエロい。
言葉の中にそのような意味合いが込められているように思える。
考えすぎであろうか。
人間の活動の中における夫婦生活の猥褻さを強烈に滲ませる語感と字面である。

元々は真っ赤な他人であった男と女がいくら契約的に結ばれ、社会的に認められて大概は一緒に住んで共同生活をするワケで、公然猥褻そのものではないかと時々思うのだ。
特に晴天の日に洗濯物が万国旗のように風にはためく団地の建造物を眺めると或る種の劣情が胸に湧き上がるのを感じる。
また街に出てショッピングモールの広い通路に設置された椅子やカフェの窓から家族連れやカップルをボンヤリと眺めながらそんな妄想をしていると眩暈がするほどのエロスを感じる。

人間の集団というもの自体が猥褻そのもので、全ての人間がどのような行為で生物としてこの世に現出したかを考えるとアタマがクラクラするほどの興奮の混じった混乱を胸底に覚える。
人間の存在の猥褻者の象徴としてワイフがあると思うのだ。
また英語のこの言葉はライフ(人生、生活、生命)とも語感が通じる。
「L」と「W」が入れ替わっただけ。
バイクはモーターサイクルを指す時、日本人の造語でオートバイではなく自転車のことだ。
「Bike」(バイク)という言葉。
ワイフ・ライフ・バイク、W・L・B。
これらの示す存在感は現世的にはライフが最大だ。それでもWomenのワイフも相当だ。
生命を産み出す愛の中心的存在。
一方、夫即ちHusband(ハズバンド)と比較して「私のハズが」と言った場合、日本語的に「恥ず」が思い浮かぶ。
夫とは「自分を締め付ける恥ずかしいバンド」なのか。
恥帯、ハズバンド。分かりやすい。
これらの妄想的「言葉遊び」はかなり愉快に感じる。
夫婦を英語的に誤訳して夫:恥帯(バンド、高く盛り上がった丘)、婦:猥婦(卑猥な女性)。
これは字面も語感も完璧な表現に見える。
隠語的にコッソリ便用して楽しめる。

人間の楽しみにおける知的側面の最大はやはり「言葉」や「文字」であって、これらの映像や音を組み合わせると知的快楽が増幅するし減衰もする。
文章や物語が映像化されてガッカリすることもあるのでこれは各個人のイメージの差異と創造した人の芸術的な力量に準拠する。
見事に映像化された映画作品もある一方で真逆もある。
それはともかく文字や言葉の創造する世界は素晴らしく、多分に妄想的で想像力をかき立てられ文句なしに面白い。

通りを行き交う人々を見て貴賤・老若・美醜を問わずどんな人もそれらの性的な活動から産出されているという「あからさまな現実」と直面し、思いをめぐらす時に言葉という思考の道具の最大のモノは多く人間の生きる喜びを高めてくれる。
使い方次第という側面もあるが・・・。

人を、特に家族連れやカップルを、その集団の流れを眺めながら色々な言葉を思い浮かべるとテンションが上昇してくる。
その時の言葉の選択には少しく工夫もいるけれど。

隣国と行われているタチの悪い「言葉遊び」で再三遡上に登る「慰安婦」等よりはるかに健全に思える。何しろ国際問題にはなりようがない。「猥婦」なら。
文句あっか!?俺の物だ。なんてね。

ありがとうございました
M田朋玖



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