コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 隣人愛2020. 2. 1

「汝の隣人を愛せよ」というのはキリスト教の誰もが知る言葉であるが、詳しくは「汝自身を愛せよ」という前文・前提があるらしい。
隣人愛と同じくらいに「自分自身を愛せよ」ということのようだ。
それはともかくここでは隣人愛について少し考えていることを述べてみたい。

世界三大宗教というとキリスト教、イスラム教、仏教となるが人口的にはインドのヒンズー教の信徒が10億人近くでカトリック教徒の数とほぼ同数だ。
また世界的な影響力という点では人口や規模は小さくてもユダヤ教の存在は極めて大きいと言わざるを得ない。
ここでは宗教を語るつもりはないがユダヤ教、キリスト教、イスラム教を兄弟・親子並みの近親距離であることをご承知おきいただければ有難い。

隣人愛を強く説いているのはキリスト教だが、なかんずくプロテスタントの人々の特徴で地域ごとに毎週教会に集って牧師の説教を聴いたり賛美歌を歌ったりするという習慣を持ち、これが社会にしっかりと根づいているのは意外にもアメリカであるようだ。
ご存じのとおりアメリカは世界第1位のGDPを誇る経済大国で一時期の凋落を忘れたかのように再生している。
ただし貧困層は分厚くて日本の比ではないとのこと。
貧富の格差は年々広がっており深刻さ増している。

ところでアメリカが何故経済大国になったかについては諸説あると思えるがユダヤ人とプロテスタントの精神の融合の結果なのではないかというのが筆者のごく個人的な解釈である。
実際はもっと複雑な要件もあると思えるがここは思い切って大胆に推論してみた。
ユダヤ人は大昔から「利子」を取って「借金」をさせるというビジネスを連綿と行っていて他の宗教人や一般人よりもズル賢く裕福であったそうだ。
またユダヤ人は戦争の際にもお金を出すだけで自ら進んで出征従軍をすることをせずキリスト教系の人々から軽んじ蔑せられ見下されていたらしい。
悪賢く金持ちの「金貸し」というのがユダヤ人に抱く世界中の人々の典型的なイメージであろうか。

一方プロテスタントの人々の隣人愛に基づいたボランティア精神やそれらと同類の行為の結果として「誠実さ」が社会経済的に金銭や商品のやりとりの上で最も重要な「信用」という概念が生まれた。
キリスト教の「隣人愛」とそれに基づく「信用」とユダヤ教徒の金融(金貸しと利子の容認など)の技術によって経済活動が活発になったことがアメリカの経済大国への道を大きく拓いたと思うのだ。
その上に移民大国という側面も見逃せない。
「働き手」や優れた「才能」がどんどん継続的に流入して来たという歴史。
即ち「人口増」だ。
これらの見事なマッチングによっていくつかの世界戦争の勃発と自ら惹き起こした戦争、局地的紛争による戦争経済を「テコ」に進歩成長した経済を背景に強大な軍事力、科学技術の世界で中心的な存在となっていった。

「隣人愛は儲かる」

他国、特に独裁国家を「民主化」させるという名目は世界中の素朴な人々を魅了し納得させいくつかの争乱と紛争を各地に意図的に惹起させ、自国の経済成長の原動力とした。
経済「援助」と「軍事介入」をミックスさせ、世界中の紛争や戦争に関わり一部の人に富をもたらしてきた。
アメリカという国家の一般の純朴なアメリカ人のこの「隣人愛」の拡大解釈によって一部の国際企業と軍事産業とそれらの周辺事業を大きく潤した・・・という理屈を展開してみたワケであるが、現実のアメリカ経済や世界経済の実状を外れてはいないと思える。

この手法を今現在、中国やロシアが模倣している。
「隣人愛」に見せかけた経済援助(実際は中国の場合は隣人愛という大義名分すらなく単なるミエミエの自国の利益追求だけを唯一の目的目標としており「与える」のではなく「貸す」という手法を採っているようだ)や借金のカタに土地や資源を取り上げるということを何の廉恥も抱かずに堂々と行っているとのことだ。

アメリカや南米、オセアニア(オーストラリア・ニュージーランドなど)が標的になっているのは勿論、台湾や沖縄など日本の領土や友好国などあらゆる親米、非親米を問わず闇雲にこれを行っているのが凄い。
ロシアや中国の場合「隣人愛」のカケラさえ見えて来ない。

「他人を援助する」即ち見せかけの隣人愛は儲かるらしい。
その愛の軸足を家族愛に置いた時、ヤクザかマフィアのようになる。
組織のメンバー、親分子分、親と子など身内で固まって社会への愛、つまり「隣人愛」よりも優先させた結果、自然的に反社会的勢力になってしまう。
何しろ身内への愛が社会へのソレを大きく上回っているワケであるから当然の帰結と言える。

所謂、綺麗事の最大がこの「隣人愛」というもので、この思想が企業的・国家的・国際的に進化発展させた時に一方でムクムクと盛り上がってくるのがエゴ・・・「自我愛」というもので、自らの欲望(金銭欲・名誉欲・物質欲)を肥大化させ「隣人愛」と「借金」と「利子」とを正当化させ、それらを効率よくグルグルと回しているのが現在の「経済活動」の実態で本来の意味(民を済け、世を経える)と大きく乖離している。
「初心を忘れる」
この流れが一時的に大きく成功した人や企業の転落・没落の定型的パターンだ。

いつの頃からかこの隣人愛もどこかしら怪し気なビジネスの大義名分の「言い訳」のひとつに堕してしまったように見える。
この言葉が逆に「小さな親切」にとどまっていれば美しいと思える。
それが国家的・企業的にはまだしも国際的な場、たとえば国連とかでの「お題目」にされた時、相当に胡散臭くなる。
とてもオソロシイと感じてしまう。
トモダチくらいにとどめておいた方が良いというのが筆者の感性だ。
それでも現代の経営の神様・稲盛和夫氏の言うように隣人愛、即ち「利他の心」を国家も個人も企業トップを中心に種々の活動の本義にしておかないと永続的な繁栄は期待できない。
人間の幸福な存在にとって大切な言葉とその本来の意味がやはり「隣人愛」なのだ。

ありがとうございました
M田朋玖



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