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■ 抱負 | 2020. 1.19 |
年頭には「今年の抱負」を語るのが慣例になっている。 ひとむかし前の日本人のよろしき習慣。 今年は何故か自然にしていてこれが心に生じている。 個人的には最大の「娯楽施設」としている書店通いでそうなったのだ。 本屋に行くと表紙を眺め、ほんの束の間の立ち読みをしているだけで言葉や文字が目や脳を鋭く射る。 これは好不調のどちらかというと「好調の時」と捉えている。 日常生活全般に「快」を感じる時の特徴だからだ。 とは言え、本屋が先か「快」が先か不明。 降って湧くように生じる「鬱気」の陥穽が一見は平穏な生活の間隙に存していて、まるで悪意の人の作為によって「造られた罠」のように隠されている。油断しているとそこに落ちてしまう。 「用心」という言葉と「精勤」というそれが、そんな自分の心を救っている気がする。 そして「読書」だ。 読書は常に自分を救って来たという実感がある。 人生の旅路に整備された道は無い。 それは漆黒の闇に包まれた宇宙空間か、水平線に陸の見えない大海原を行く宇宙船か小舟のようなモノだ。 航路図か海図、或いは羅針盤のような「旅」のツールが「書物」であると改めて思うのだ。 これを読まずして(使用せずして)大海原に漕ぎ出したりロケットのように宇宙空間に打ち上げられたりしたらそれこそ単なる「藻屑」になってしまう。 少なくともまともな旅は出来ない。 孤独な「世迷い人」、漂流する小舟に置き去りにされた「船乗り」のようなものだ・・・と思える。 そうしてそのような危険な状態の人が存外多いのには驚かされる。 それらの人々は賢愚の判定の難しい「衆」の流れに無意識に乗せられ無理矢理に集団行動をさせられている風にも見える。 「衆愚」という言葉もある。「常に大衆は正しい」という説もあるけれど。 いずれにしても個人の人生の旅を豊かにするのも貧しくするのもその個人の「考え方」「心構え」次第。人生はそれらの心のレベルに随って流れて進んで行く。 心の栄養滋養になる言葉も得るのに読書程ほど手近で親しめる類はない。 「たった一言」で人生が大転換することもあるのだ。 ・・・で今その抱負は実に実に単純に「本屋」に行くこと。 週に最低3日以上。 別に買わなくても良い。 表紙読みでも「立ち読み」でも良い。 本屋は知恵や知識、情報の宝庫だ。 図書館と違いそれを蔵して楽しむこともできる。 グーグル検索では得られない珠玉の言葉に出逢える。 それは著者と直接「対面」できるからだと思う。 本屋は素晴らしい「知」の宝庫だ。 田舎の町にはまず映画館が消え本屋が減った。 都会でもそうかも知れない。 「良書を読む」という行為の中に既に霊的で高尚な祈りが込められている・・・と筆者は考えるのだ。 無心にモノを書くという作業にも・・・。 毎日それらの書物の中の言葉がアタマの中で明滅して時に強力に照度を上げ人生行路を明るく照らしてくれる。 「本を読まない」なんてモッタイナイ。 識字率世界一の日本人の未来は読書の多寡にかかっている・・・と思える。 今年の抱負。 「豊富に本を読む」でした。 ダジャレ、オソマツ。 ありがとうございました M田朋玖 |