コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 黒髪2019.12.12

特に金髪碧眼の西洋人に対する憧れはないけれど、東洋人や黒人の黒い髪はどうにかならんものだろうかと時々考える。

先日の東京出張の折に事情があって帰りの便を最終にした。
18:50熊本行き。
午前中の講演会を終えて真っ直ぐに向かったのはいつものように羽田空港。
本屋とコーヒーショップで時間を潰す為に・・・。
自分としては結構優雅な日曜日の午後の過ごし方だ。
銀硬貨3枚をスリットに落とし、コインロッカーに大荷物を投げ込んで早々に本屋へ。
適当に見つくろって2冊購入。
スターバックスのカウンター席に陣取る。
それは出発ロビーを広々と眺望できる素晴らしい特等席で、マキアートとドリップコーヒーを1杯ずつ、時間をおいて頼んで2時間ほど粘った。
店内は混雑している。
席を立って譲ろうと「良心」では思うのだが本に集中しているとついつい長尻になる。

それで時々空港ロビーに目をやると殆んどの日本人の集団が何というかドブネズミ色、つまり暗い灰色に見える。それは黒髪のせいであった。
しみじみとよく観察して得た結論なので断言しておくと、中国・韓国・香港などアジアの国々を旅した時の感想があまり芳しくないのはこの人間の集団の色彩にあったとつくづく思うのだ。
とにかく「重苦しい」
これはアフリカに行った時にも感じたモノで、黒い縮れ毛と黒褐色の肌の群衆には何かしら自分の心を暗鬱にさせる力がある。
筆者もかつては黒髪に染めていたので、この感覚は自己嫌悪にも繋がっていてますますブルーになっていた・・・と今思うのだ。

これがヨーロッパへの旅行だと北ヨーロッパ、ドイツ、イギリス、フランスなどに行くと髪の色が金や銀や茶や黒と色とりどりで明るく人の集団を眺めていて少しも厭きない。
筆者の場合、旅行というと観光地ではなく人間観察が殆んどの目的で楽しみ。
どうしてもアジアではなくヨーロッパやアメリカに意識が向いてしまう。
ルーブル美術館に2回ほど行った時にはその色彩豊かな髪の色を持った人間達を観察するのに夢中で展示物には殆んど目を向けなかった。
警備の男性に「怪しい人物」として職質(?)されたほどであった。
それで絵画や彫刻を見るふりをして相変わらず人間観察をしたのであるが、これが実に楽しい。
愉快。

日本人ももっと茶髪とか金髪とかに染めればよいと思うのであるが年配者を中心にやはり黒髪と白髪ばかり。
悲しくなるほど色がないモノトーン。
ついでに衣服が地味な中間色、たとえばベージュとか茶とかグレーとか黒の多くなる冬場なのでますます気分が暗く重くなる。
これらの日本人の集団は自然の山々の冬枯れ色よりも「暗く鬱々」と見える。

そういうこともあって東京出張がいつも憂鬱なのかも知れないとあらためて気づかされたのである。
元々群衆が苦手であるのに髪が黒ばかりといいうのはイタダケナイ。
東洋人・アジア人の場合、みどりの「黒髪」をもってして若さの象徴としているので、これまた話がヤヤコシイ。何しろリクルートカットというのは黒髪短髪と決まっている。やれやれ。
個人としてみると日本人の黒髪の女性について、その「美」と「エロス」において金髪、茶髪よりも相当に優っていると思えるが、集団となるとその単一性として、たとえばモノクロ映画と総天然色カラー映画ほどの差異を感じる。

それで提案であるがもっと染髪(赤・茶・金・銀)に寛容になるよう社会全体で勧奨したらどうか。
また衣類の色についても「カラフル」とか「原色」にしたらずいぶんと世の中が明るくなるのでは・・・なんて身勝手な妄想までする始末。
天下の大歌手、エルビス・プレスリーは金髪をわざわざ黒髪にしてセクシーさをアピールしたし、マリリン・モンローは見事なまでの赤毛をわざわざ金髪にし、プレスリーと同様の目的を果たそうとした。
見習いたい。そのサービス精神を。
しかし群衆はお互いにサービスとかしませんよね。しょうがない。あきらめよう。

ありがとうございました
M田朋玖



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