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■ 愁 | 2019.11. 3 |
秋の心と書いて愁いと読む。 憂いとは少し違う。 秋の夕暮れは早い。 大気の密度がどんどん薄くなって粗になるらしい。 木々は濃緑から黄色味を帯び、冬枯れへと移ってゆく。 今は秋から冬の移行期。 「冬の土用」だ。 大気が不安定になり、人心も同調。 秘密事が暴露されやすい時期でもある。 何故に秋は心が沈むのか。 心理学(交流分析的には)では、幼少期に両親が自営業で多忙、或いは共働きで学校からの帰宅時に不在で淋しい思いをしたことが一因と考えられる。 秋の夕暮れは早く、暗い。 この暗さ、うすら寒さも愁心を加速させる。 暗い夕方の「独りぼっちの少年少女」 「淋しい」「寂しい」というワケである。 これはイメージしやすい。 筆者の場合、両親は常に家にいてウルサカッタ。 「三丁目の夕日」そっくりの親父とモットウルサイ母親。 夕方は近所の子供と遊びまわるのに忙しく、秋の夕暮れで「落ち込む」とか「寂しい」とはあまり感じない。 中学寮生活の秋には運動会・文化祭の季節、女子高のそれを一人で一度だけ観に行ったことがある。 熊本市内の女子高の文化祭では大変貴重な体験をした。何かの催し事で立錐の余地も無いすし詰めの教室。女子高生が充満している。 その最後列寄りに立っていたら何かの拍子に前方から人が倒れて来て筆者の上に覆いかぶさって来た。 これは夢のように素晴らしい体験で「女まみれ」という有り様。 その甘い匂い、温もり、柔らかさ、重み・・・の感覚に陶然となってしまった。 ほんの一瞬の出来事であったが今でも忘れられない。 女という存在はこんなに柔らかく心地良いものなのか。 女子高の運動会だけでなく、高校生になると独り映画館でタバコを喫ったり酒を飲んだりと思春期らしい好奇心満足の為の乱脈な行動に忙しい。「愁っている」暇がない。 ついでに試験や勉強やスポーツのスケジュールで時間がギューギュー詰め。 少年期の多忙というのは良いことかも知れない。 「愁い」というのはヒマ人の感情ではないかと考えたこともある。 秋はバイクもキモチイイし、思春期らしい心浮き立つ思い出もあったりしてどんどんテンションが上昇する。 また迫り来る冬も嫌いではない。 コートにマフラーというファッション、セーターを着る、はおるというのも楽しみだ。 数日前に落ち込んだ心が急に「上がって」来たのには理由があった。 「精力減退」である。 嘘みたいな話だが、常飲していた強壮剤を切らして1週間くらいたっていた為の「落ち込み」。と今は思える。 再注文して再服用したら体と共に、みるみる心が「元気になった」。 どうも男は単純に出来ているようだ。 性力、精力は殊更に男の重要な気分上昇の要件であるようで、心の底で疑っていた市販の「滋養強壮剤」のしっかりとした効果も確認できて良い経験になった。 「元気の出るサプリ」 バカに出来ない。 秋冷は灼熱地獄の真夏の炎天下より数段心地良い。 ヒンヤリ・・・とした冷気。 自然のエアコンディショナーが身体を心地良く冷やす。 うつ病は秋より春が悪い。 5月病という言葉もある。 春から夏にかけて不調という気味が多いという印象は昔からある。 「夕方に不調」という人には精神安定剤・抗うつ剤を頓用することをお勧めするが当然ながら奏効する人とそうでない人がある。 いずれにしても日本の豊かな四季。 秋は早寝早起き。夏のような過剰活動を控えてゆっくり休養すること。 ただしこれは大人の話で、勉強やスポーツや試験などを控えている少年少女には当てはまらない。 最後の「追い込み」の時期。 チョット頑張りのいる大切な季節となる。 秋冬好調というワケでは無いけれど夏からの万全の体調管理が効を奏してか、今年は気分が良い。 飲食と睡眠には充分注意を払っている。 仕事を楽しみに変え、ストレス解消行動を心がければ「愁」も乗り切れると確信した。 食欲の秋、読書の秋、夜長の秋。 星と月と山々に、川に囲まれた田舎住まい。 長い夜に心癒される。 ところで愁いと憂いの違いは何か。 検索すると同じだが個人的に「愁い」を人恋しさ、淋しさに基づいた感情。 「憂い」を心配、考えすぎによる類と区別している。 前者は愛する人、事、物や生き物との交流で癒やせる。 ついでに憂いは考え事を意識してやめることで得られる。 それでも止まらなかったらさっさと病院に行った方が良い。 「無思考」というのは気持ちいい。昼寝している猫を想像すると良いらしい。 ありがとうございました M田朋王久 |