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■ ふたたび海へ | 2019.10.22 |
バイクに水着とタオルとビーチサンダルを積み、夕方4時に出発。 西へ向かう。 丁度夕日を追いかける格好で日没前のサンセットビーチ、我らが「脇本海水浴場」をめざした。 10月10日(木)には夕日を眺めに少年少女の集団と高齢者の数人が浜辺に集まっている。 その計10~15人程度の「ギャラリー」を通り抜けビーチパンツにゴーグルをはめて何のためらいも見せず真っ直ぐに海に入る。 今年は幸いクラゲがいない。 方角も「恵方」となっていて、とにかく毎週の海行きが週課(?)になっている。 ホンダのレブル250、同スクーター・フォルツァ、同VFR800、それぞれは海までの二山を越えるのにVFR800以外、相当にエンジンに負荷をかけてしまった。 ギアダウンして「ぶんまわす」わけなので。 「山登り」と「追い越し」で250ccのエンジンが金切り声をあげる。 ホンダのエンジンの頑丈さを信じてレッドゾーンぎりぎりに山坂道を攻める。 1時間30分あまりのソロツーリングの末に辿り着く美しい浜辺は黄金色のきらめきをたたえながら青、紺、白、灰色、緑とあざやかな空と雲と山と海の大パノラマを目に映じさせてくれる。 水は澄み波もおだやか。 夕陽とたわむれながら魚かイルカのように遠浅の海を楽しむ時、心はまさに桃源郷。 バイクと山と海と・・・。 このマッチングは絶妙で往復3時間、海水浴10分の計3時間半の娯楽も今年の夏秋の思い出として65歳の祝宴のような実感だ。 メモリアルイヤー。 最終的に海行きはVFR800に固定されたが、この白色の愛車はパニアケースをフルに装備すると便利この上ない。 何しろ「何でも入る」 夕陽が真っ直ぐな水平線上に没し、そそくさと家路につく頃、夜のとばりがゆっくりと音もなく降りて行く。 鹿児島県北西端の同地は九州南国。 日本列島でも最も遅い夕暮れだ。 阿久根市、出水市の平野に散らばる民家と田畑をゆるやかな青山の稜線が南東部から囲んでいる。 高速道路から見下ろすそれらの街の灯が微かな炊臭を漂わせ心をメランコリックに沈ませる。 今年ラストは10月14日(月)の祭日。 いつものように夕方4:00前に出発。 到着午後5:30. 太陽は西の空の下限にあり海面をキラキラとした黄金色に反射させながらそのオレンジ色の真円の威姿を地平の彼方に静かに隠そうとしている。 その今年最後の海での面影を後方に背中で眺めながら東の山、黒々とした闇の中にオートバイを進める。 山越えは殆んどバイクの前照灯だけが頼り。 合計11回の「海ツーリング」は今年の春には予想だにしなかった。 その悦びの感覚が脳裏に残っていて、仕事中も就寝中も思い出してその「快楽」を味わう。 「人生は感動」と度々口にしている知人がいる。 彼の人は大の旅行好きで海外旅行も豪華客船でのクルージングとのことであった。 筆者の場合、旅行と言ってもクルマかオートバイで行ける距離。 せいぜい一泊か二泊かの限定コースが好み。 過去に行った海外旅行もそれなりに思い出として楽しめる。 「記憶」は苦しみにもなり喜び、楽しみの元にもなり得るのだ。 辛い記憶も時間と共に変質して楽しい類になるそうだ。 年を取るということはそういう悲喜こもごもの「記憶の厚み」が増えるということなのだ。 それを楽しみの元にするか苦しみの元にするかは本人の「心」次第。 前者が好もしいのは言うまでもない。 今日から、今から人生の記憶を豊かにするべく心構えと考え方・行動を変えて行こう・・・とあらためて決心した次第だ。 それにしても海の水の癒やしの効果は相変わらず素晴らしい。 その塩味を帯びた、意外にサラサラとした液体に身を沈める時に味わう感覚は単なる入浴や良質な温泉よりも「優しい」と感じる。 これに毎年の夏秋に入らないなんてそれこそ人生でモッタイナイ・・・心から思えた令和元年の長い晩秋であった。 ありがとうございました M田朋王久 |