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■ マイロード | 2019.10.10 |
人吉と八代市を結ぶ国道219号線は同区間の高速道路の開通によってクルマの走行量が激減している。 夜の9時をまわると奥山の一本道という態だ。 本来はよく整備された幹線道路で、路面の状態も拡幅もまずまず。 それが今や夜のマイロードの感がある。 片道を高速道路とこの国道219を交互に往復するのが近々のソロツーリングの定番コースだ。 今夜は天空に三日月をいただいているが、この球磨川の沿岸道路は両脇に急峻な山林が迫り少しでも雲がかかると殆んど真っ暗だ。 高速を八代で降りて国道3号線沿いにある「趣味の店」に寄り219号線の入り口にあるコンビニで一息入れる。 明々とした「光の塊」のような店から眺める人吉方面へ向かう道路は無灯の闇に吸い込まれていてよく目視できない。 丁度1時間ほどの復路はガラガラに空いていて快適そのものだ。 しかし、こと明度については暗く裏淋しい。 いつのまに多くの人が好まない路線になってしまったのか。 寂れた道路の定番の雑草はないが、それほどに閑散としている。 40年以上慣れ親しんだ道で、どんな闇でもだいたいどの辺りを走っているのか分かる。 次々と直面するコーナーの形状もその曲がり具合も予測できて、それがまた走行を楽しくさせる。 ホンダVFR800、ハーレーダヴィッドソンXL883もその走りの愉快さについては甲乙つけ難く殆んど拮抗している。 それはその日の気分、体調、天候がそれらの要素を決めているようだ。 寝不足、過労などはそれらの一大阻害要因で悪天候は思ったほど関係ない。 万全の体調管理というのがバイク乗りの鉄則。 それにオートバイの選択だ。 現時点では上記2台にホンダCBR250はベストチョイスで、どれにまたがっても同じ程度の悦びを満喫できる。 オートバイについても「出逢い」が大切で、人や書物と同じくめぐり逢わないと喜びや楽しみを得られない。 この点で「試乗」というのがあまり出来ないのが残念。 日本製オートバイ販売の難点であろうか。 今まで乗って来たオートバイの悪口になってしまうのを恐れずに書くと、カワサキやヤマハはどこかしら理由の無いスペック以上の「重さ」と「アンバランス」があって今はやはり手を伸ばせない。 試乗の為にレンタルで乗るにはお金がかかるし面倒だ。 一度イメージが脳や体に残るとどうもヨロシクないようで、カワサキは停まっているのに跨るのさえ「疲れる」と感じてしまう。 かつてカワサキNinja14Rをツーリングで乗り出すと100mも走らないうちに疲労「感」が身体にジワっと滲み湧く感覚で、手持ちの軽バイクに良く乗り換えたものだ。 世界最高速を誇るカワサキH2SXSEですらその魅惑的でゴージャスなスタイリングや素晴らしいスペックとは裏腹にこの「疲れる」感覚が独特にあって、今は人が乗っているのを見ているのも「お疲れ様」と感じてしまう。 余計なお世話であるけれど・・・。 カラダに染み込んだ感覚はそれらの苦痛をくぐり抜けてこその今の快適さかも知れず、最初からホンダだったら逆に「ツマラナイ」と感じたかも知れないとは言える。 「カワサキで鍛えてホンダに乗る」 国産の没個性的な扱いやすさ、スピードでハーレーの「個性」に触れて感激しているのと同様に。 今のオートバイについてのこのパーフェクト感が続いて欲しいものだ。 自分の年齢やら仕事や他用を侵食しない程度に寸暇を惜しんでオートバイに毎日乗って楽しんでいる。 オートバイ乗りながら思うのはいつも優先順位だ。 乗っているバイクがいかに素晴らしい作品だからと言って自分のこの肉体、頭脳、技術の価値にはとうてい及ばない。 この精巧極まりない人間の工学的システムの妙は現代のロボット開発技術でも難しかろう。 先々ロボットとの競争では流石の名だたるオートバイレーサーも「負ける」と予測されるが、オートバイを運転するレーサーロボットの開発は相当な難題であろうと思うのだ。 卓球マシーンとプレイヤーの対決ではマシーンの圧勝であるらしいが、それと同じ理屈で卓球を「する」人間型のロボットとかオートバイを巧みに操る人間型のレーサーロボットについては難しそうな感じがする。 筆者の単なる思い込みであろうか。 人間を不老不死のロボット(修理ができる)と比べるのは「酷」と思えるが、それでもそんな時代に入って来ている。 自分の年齢だけでなくそんな時代背景もあって焦ってバイクに乗っている。 いつまで乗れるか分からない。 それも化石燃料を燃やす「エンジン」付きのバイクに乗れるのか。 これらの状況の全てが毎夜のバイク運転へと自分の心を駆り立てる。 筆者の優先順位は「時間」を中心に放射状に展開していて、やや立体的だ。 空間的にはやはり自分。 自分あっての人であり宇宙だ。 「自己中」と言われてもたじろがず「時間」と「自分」優先。 物とかお金が周辺に散らばっている感覚で優先順位としては自分の周辺の人、家族やスタッフやクライアントや感謝すべき人々で、よく深考すると世界中の人と言えるかも知れない。 決してモノ中心ではないところが自分らしい。 人とモノの関係については後述したいが、オートバイやクルマというモノにも魂や心が宿っていて「生き物」だという「考え」を人に言われても俄かには信じられない。 それでも「人」と同じように大切に扱う人の方が世間にはかなり多いようだ。 そういう考え方も嫌いではない。 むしろ好もしい。 ただし人より上位ということはない。 そんな考えでバイクと付き合っている。 それでどんな時にもそれに跨って出かける時の最大の目標は無事に帰って来ること・・・これに尽きる。 バイクの状態とかはあまり気にならない。 それは安全安心が一番でスリルの価値が年々落ちている。 優先順位として・・・。 マイロードなんて言う表現が、そもそも自己中だ。恥ずかしながら。 マイバイク、マイカー、マイワールド、マイライフ。それぞれ悪い響きではない。所有や操作や妙な企みがそこにないとき、宇宙の全てが自分の中にある。自己が統一されたとき全て「オールワン」。 マイロード。直訳すると「私の道」。誰しもが進むべき道は、言うまでもなく「それぞれの道」。別に求道者を気取らなくても自然にそうなるのだ。それぞれの人生が。ありがたいことに。 ありがとうございました M朋田王久 |