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■ 自立 | 2019. 8.22 |
こんなテーマで書くとは想像もしなかったが、ちょっと考えることがあってこれを書いている。 子供の時からの実感として親の関わり過ぎ、過干渉しすぎということがあって家族の絆など真平御免。 一時期は愚かなことに「孤児」に憧れたりしたものだ。 全くおバカとしか言いようがない。 親の愛情深さほどありがたいモノはない・・・と今はつくづく思える。 精神疾患を患っている人には今の日本では「自立」支援制度というのがあってこの手続きをすると医療費の一部助成を受けることができる。 ありがたいことだ。 子供の教育の目標として、この「自立」があると考えている。 子育ての段階で幼児期から少年期において自立を促すようによく工夫して取り組むべきと思える。 ところがそういう明確な目標を持たず漫然と子育てをしていると自立できない、自立しない人間が出来あがることがある。 自立を阻害する要因にはいくつか考えられるが、とりあえず子供の「自立」にとって有害な事柄をランダム列記してみたい。 @甘やかし A基本的な躾の欠如 Bテレビ、ゲーム C自由 D金銭 E夜間外出 F携帯電話 特にC、D、Fは重要である。 これらは成熟した大人に与えられる物や事柄で近々ニュースになった煽り運転の被疑者の男など不動産所有による不労所得・・・それは100万円ほど、不労の為自由時間・・・これらがこの人物の自立した立派な人間としての人生を奪っている。 即ち大人らしい人格の成熟をもたらしていない。 人は仕事によって磨かれ鍛われる。 どんな仕事にも人格陶冶という側面があって、懸命にそれに携わることによって適正な健康管理能力、時間管理能力、金銭管理能力、忍耐力、継続力など人生を生き抜く上での必要欠くべからざる能力を得ることができる。 件の「煽り・・・」の人間は法によって裁かれ、その罪の深さによって適正な処罰を受けなければならない。 今現在、警察のお世話になっているようだが、刑務所に収監され人間としての「自立」を奪われるという結末。 全くもって信じ難い愚人の有様だが油断していると誰でもこのような罪を犯す機会を持っている。 恐らく食生活の放埓、乱脈・・・たとえば酒と肉と糖質の過剰摂取による「堪え性の」無さ、短気(キレやすさ)、クルマの運転や社会生活で身につけるべき適正な忍耐力を欠いてしまった人物と言える。 またそれらを助長させる女性の存在など実に悩ましい。 自立を欠くと孤立する。 一見、矛盾した論言と思えるが自立と孤立は或る意味、対立語となる。 真の意味で自立した人間は孤立することはない。 仕事やボランティアなどを通じて社会と繋がり、家族を扶養する運営し展開する能力を持ち、社会人としての義務と役割りを果たし、その成果としての自由でのびのびとした自由時間と金銭を得てそれらの価値を楽しむことができる。 一方、自立していない人間、依存心の塊のような人間はその意図に反してどんどん孤立を深めて行く。 依存心の強い人間の面倒を進んで見ようとする奇特な人は滅多にいない。 自然にしていて人から嫌われ、軽んじられ、早晩見捨てられる。 このコラムで依存については語らないが「孤立」と「依存」には深い因果関係、少なくとも相関関係がある。 後述したい。 さて「自立」の為の最も身近な方法は何か。 それは「仕事」をすることである。 その一身を捧げて自分の仕事は打ち込めばどんな人間も立派に自立していく。 そこに工夫と成長と学びと経験の深まりと真の意味でのプロフェッショナル、達人、職人などと呼ばれる人々はさまざまの賞賛の言葉をその身に受けることができる。 総じて確固とした「仕事人」は結果として多くの人々の尊敬と愛を勝ち得る。 「仕事を好き」と言ってはばからない人間がいるが、男女共に魅力的な人物であることが殆んど。 その顔相を整え、身体を締まらせ、時に眉目を秀でさせる。 人生の幸福の最良の方法が「仕事への没頭」 その仕事への強い傾倒・造詣を深める為の勉強などそれに対する心の姿勢は「本気」にすることがその人間にどれだけ益するか分からない。 ・・・である筈なのに最近は仕事を忌避する人々、特に若者を多く見かけるようになった。 週末や休日はウキウキするが仕事の始まりは憂鬱であるというワケである。 所謂ブルーマンデー。 結果、簡単に仕事を休む、辞めるということをなさる。 自分の人生であるからどうぞご勝手にと思うけれど「自立」する力を自ら放擲する所業であるのに何のためらいもない。 「子供返り」 即ち自立をやめて親か親らしき人や制度や事柄に依存しようという潜在的企みを感じて少しく嫌悪を感じると共に或る種の同情を禁じ得ない。 自由と自立、孤独。 それらは「大人」の味わうことのできる甘い蜜の味。 一方、不自由と孤立と依存はまるで人生の牢獄。 そのことを了解したようであらためて自らの仕事への「取り組み方」「心構え」を一度自問してみるべきであると考える。 すべての人間は・・・。 ありがとうございました M田朋王久 |