コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 科目2019. 8. 6

医療機関もとりあえず専門というのがあって、キッチリ分科しているのは歯科・眼科・脳神経外科・整形外科などで所謂外科系という科目だ。
内科系はいくらか分け目がボヤけてくるようだ。
しばらく前は臓器別の科目分けが流行したが、いくらか問題もあり近々は分け方の明度を下げている。
即ち心臓科・循環器科・肝臓科・消化器科・胆のう科・呼吸器科・脳神経科・血液内科・泌尿器科・腎臓内科・耳鼻咽喉科・乳腺科・甲状腺科・皮膚科・精神科・婦人科・小児科・糖尿科・代謝内科・内分泌科・・・いちいちメンドクサイのでこの辺で・・・。
とにかく同業者でも困惑するくらい分化されており、大学の卒業時、即ち国家試験の科目割りよりもさらに勝手に科目を創出して仕事をやりやすいようにしておられるようだ。
今は疾病名の科目もあって糖尿病科・リウマチ科、昔からある国立がんセンターなんて科目ではないが特定の疾病に絞って検査・治療しましょうという施設まであるようだ。

主として治療者側の事情によって勝手に科目分科が進んだのであろうけれど、これらの傾向は受診者側、即ち患者さんや一般庶民をかなり当惑させる傾向もある。
つまり治療を受ける側として選択肢とその権利が増加したと同時に「迷い」も生じさせていると想像される。
それぞれの専門の先生ですら科目によって診る範囲、治療する範囲がそれぞれに錯綜してお互いに侵食し合ったり離合したりしているという印象を持たれる気味もある。
即ち患者さんの奪い合いと同じに譲り合い、即ち科目のタライ回しなどが生じる。

患者さん個人からすると全身はひとつ。
我が身大事ならば統合された一個の人体であるべき各臓器を各疾病で分けるなんて予億考えてみれば言語道断と言える。
まず各臓器は人体内で絶えず精緻で妙なる連携を取り合いながらまとまった生命活動をしている。
また小児科・婦人科などは前者が発達段階過程、未成熟との特徴。
後者は女性の生殖器を主に診るという点では泌尿器科と対比されるが同科、男女の泌尿器科を診ることを考慮するとこれまた分け方が微妙になる。

いずれにしても科目ごとに人体を切り分けて診ることや疾病のみ診るという考え方は生体ではなく死体の解剖や分析では適当と思えるが、生きて生命活動の旺盛なる健常な人体を診察・治療するのには或る点で不適当な考え方であると思える。
それは人体の諸活動において重要臓器を中心に基本的にどれひとつ「欠けては」健康は存在し得ないという点である。

これは当たり前のことを当たり前に表現していると思えるが、世間一般も医療業界内部でもこれらの科目分けの傾向の甚だしさにあらためて着目し議論することは無いようである。

それぞれの医療機関やお医者の都合で適当に検査治療上便利なようにアレンジして科目を作っておられるようだ。
この科目については一般に向けた広告宣伝の効果もあって素人に分かりやすくさせるという狙いもあるかも知れない。
いずれにしても医療者(医療機関、ドクター)の都合と受療者(患者さんの選択のしやすさ)の心に配慮された痕跡がうかがえる科目名になっている。
或る意味進化成熟しているとも見える。

人体を精密な機械と捉えて、かつてはそのシステム系統の中心は「脳」と考えられてきたが、これにも全的肯定できない別の考え方が存することが最近発見されたようである。
たとえば腎臓がすべての臓器の調整役を担っているとか、腸内細菌がそれら人体の全システムの中心的影響力を持っているなどの諸説があらためて確認されて、これまでのように脳によってのみ人体が統御されているという考え方が通用しなくなっている。
それでも脳神経系が全身に与える影響力が小さくなったとは言えず、心理的な「問題」が俗的には「ストレス」として人体の全てに大きな影響を与えていることは万人周知のとおりだ。

要するに人体・・・少なくとも生きている間「ナマモノ」である筈なので科目別・臓器別に取り扱うのも良いけれど、しばらく前に流行った全人的医療(ホリスティック医学)のような視点も適宜には必要なのではないか。
科目分類は科目別・臓器別・システム別(脳神経系・循環器系・内分泌系)などと同時に、より多面的・有機的な視点を組み合わせや、より柔軟に捉えるべきと思える。
また科目に捉われない態度も。

欧米の医療で専門医制度の充実があるとのことだが、今現在患者さんにとってうまく機能しているとは言い難い。
文化的にもトラックやバッグでは日本人には風呂敷の文化というのがある。
何でもかんでも自在に包み込む。
やれ旅行用だとトランクやバッグ、ポーチとかリュックなど名称は違っても目的は只ひとつ「物を入れて運ぶ」
風呂敷というアイデアは世界的ファストファッションの最大手ZARAでも取り入れられていて、開店記念品で配られたのはまるで日本の「風呂敷のような」素材と生地の手提げ「袋」であった。

専門と風呂敷とで話しが繋がらないかも知れないけれど筆者としては現代医療をもっと単純化して人間と医療を捉えている。

「水と食物の通り道」としての人体は、そこを通らせる物質についてより深考して(実はこれくらい大切な事柄はないのに存外ないがしろにされている)精密に摂取物を調整し、排泄分泌を盛んにし、主として脳神経系を鎮静させたり賦活させたりして上手に体(人体)を使って行こうじゃないかというアイデアで、別に専門を否定しているワケではなく専門であればあるほど全体を知るべきと考えているわけである。
結果、個人としては専門にかからないことにしている。
怖いからだ。

歯科にしろ、眼科にしろ、皮膚科にしろ、マイナーな科についても出来るだけ専門は避けてホームドクター的町のお医者さんにかかるようにしている。

ありがとうございました
M田朋王久



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