コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 図書館2019. 6. 8

ドイツ人の映画監督、ヴィム・ヴェンダースの作品「ベルリン・天使の詩」は傑作の誉れ高い。
まだ東西が分裂している頃のベルリンが舞台だ。
そこで、とても現代的な美しいデザインの図書館が印象的であった。
天使たちが集まって読書中や勉強中の人間に寄り添って慰めたり教えたりしている。
お互いに目配せを送りながら。
天使はあらゆる「場所」に出没することができるらしい。
電車、街路、飛行機、ビルの屋上等々。
それで映画では天使たちの「たまり場」が図書館であるらしく、秘そやかな会話、静かで落ち着いた穏やかな空間を演出していて素晴らしかった。
実際に図書館には天使たちが集まっているのかとさえ思わせる場面だ。
人間達の言葉(内なる言葉)が飛び交い、それを聞いて楽しむ・・・ということを天使たちがするという設定なのである。

筆者は滅多に図書館は利用しない。
「借りた本を読む」ということができないからである。
自然にしていて本を汚すからだ。
読んでいる途中で思い付いたことをそこにメモしたり、線を引いたり、破って小さくしたり、ハードカバーなど新品でも厚紙をハサミで切り取ってソフトカバーにしたり、入浴中に読んで本が濡れたりと「本様」にとったら散々な「読者」だ。
本を本棚に飾っておくものでなく、使ってナンボ、読んでナンボと考えているので、良書や大事な本は2冊、3冊と同じ本を買っておいたりする。
読むと傷むのでスペアとして保存しておくわけだ。

そうした理由から基本的に大切に扱わなければならない「借りた本」を読むことが苦痛になってしまうので図書館の本は殆んど読まない。
手に取って眺めるくらいだ。
筆者の妻や子供達は「本を大切にする」質(たち)なのか、図書館から本を借りて読んでいるようである。
経済的には有難い。
基本タダであるし。

それでも図書館という空間の利用はする。
そこは勉強する場所に適している。
静かで人目が適当にあり、自室と違い適度な緊張を利用者に強いるからだ。
ファミレスも良い。
こちらは多少ウルサイが軽食とドリンクバーとかを利用して空いている時間帯に2時間くらいは「勉強」や「会議」ができて有難い。
それらの場所の騒音は殆んど気にならない。
「慣れ」であろうか。
喫茶店やレストランでの勉強は家より集中できる。
家だとバイクや趣味の雑誌などに手を出してしまい集中を継続できない。
大学時代は学生食堂、喫茶店などと同時に図書館をよく利用しある程度の成績を獲得できた。
特に国家試験のリハーサルに利用した。
時間は正規の試験時間の半分にして「過去問」を5年分くらい、1週間くらいかけて実行した。
本番の気分でチャレンジして自己採点で95点〜98点以上を確認し、そのことを心の拠りどころとして本試験(医師国家試験)に臨んだ。
結果は75点。
ギリギリだ。
過去問の限界だろう。
それでも合格は合格。
出身大学も成績も試験点数も医者になってしまえばこっちのもの。前記した事柄などどうでもよい。

取り組んだ試験の道具はすべて紙なので燃えるゴミとしてゴミ置き場に捨ててしまった。
数冊の本を除いてことごとく・・・。

この時の爽快感は今でも鮮明に憶えている。
それらのゴミは借りた軽トラ2台分はあったと記憶している。
以来、図書館を利用したことはない。

ところが先日、熊本市内での来生たかおコンサートが「森都心ホール」で開催され、トイレの混雑を避ける為に同じビルの階下にあった図書館のソレを利用させてもらった。それで図書館にまつわる先述のことが不意によみがえって来てこれを書いている。

中学高校時代には主として好奇心満足のために図書館を訪れた。
それはアメリカ人校長の居室の階下の1階部分で、とても美しい中年の司書がいて、この女性は校長の「女」だったと卒業後に聞いた。
真偽のほどの定かではない。

図書館の本で最も官能的な文章は「日本風俗史」の中にあった。
それはホンノ1ページ足らずの内容であったが、何度も通って読むくらい性本能を強く刺激された。

四国の讃岐地方の風習で、「不倫した男女は公衆の面前で全裸にされ、膝を屈しないで地面にばらまかれた豆を箸で1つ1つつまみあげ用意された籠の中に入れる」・・・というもので、こんな猥褻なシーンはないと子供(中学2年)ながら驚然としたものである。

図書館についてはこの本の一節と美人司書の容貌しか記憶にない。

大学の図書館は「武見文庫」と呼称されていて、当時の日本医師会長であられた武見太郎の蔵書・・・それは夥しい数の専門書、英語で書かれた類が殆どで、重々しく整然と蔵してあった。勿論借りて読んだことはない。
また入り口脇には「沈思黙考室」と書かれた札のあるスペースが設置してあっって、カトリック教会の懺悔室のような按配でエンジ色の分厚いカーテンで仕切られた狭く暗い空間で、のぞいたことはあるが入ったことはない。
元々出身校がカトリック系のミッション校であったので、瞑想とか祈りを重視する宗派で、このような類には特に違和感はなかった。

当時はまだ特に勉強家でもなかったので図書館の利用は極めて少なかったと記憶している。
読書や勉強は昔から「馬上」「枕上」「厠上」と言って乗り物の上、寝床、トイレとなっている。
それで勉強の場所もクルマや電車の中、喫茶店、レストラン、野外とあらゆる場所で常時携えていた勉強道具を開いていたので友人達の顰蹙を買いながらそれにもめげず勉強をした。
時には麻雀の最中にもそれをしたので親しい仲間に呆れられた。
当時からどこでも読書や勉強の集中力を保てるようであった。
これはとても便利な性向で、場所を選ばずチビチビと勉強や読書を継続できて成果も概ねあった。
学業不振による留年が無かったという成果だ。

図書館はその名のとおり本を蔵してあり、そこで読むことができ、借りることができるとても便利な施設であるが、どこの図書館も人口の割にその利用者は意外に少ないようだ。

最近は都会の本屋では座って読めるスペースがあったり、コーヒーショップが隣接してあったりしてやや「図書館のような」デザインをしてある類が散見されるようになった。それでも田舎では相変わらず「立ち読み」「座り読み」を禁じてあって、特に漫画コーナーでこの禁札が多い。

本屋で見かける女性の中にはとても美しい人がおられて、立って本を読んでいる後ろ姿のうなじとか髪とか背中とか瞬間的に思わず発情してしまうことが何年かに1回くらいある。
元々本屋とか図書館というのはとてもエロチックな空間なのかも知れない。
天使達のたまり場になるくらい・・・。因みに国道沿いに「本」とか「書房」とか「書店」と大きく看板が立てられているのは大概アダルトショップである。本とか図書というモノはとてもワイセツな部類に入るようだ。ということは図書館って、、、。少なくとも人間はそれらの場所で下半身をいくらか刺激されるようである。

ありがとうございました
M田朋玖



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