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■ 「自己中の損」 | 2019. 5.29 |
明るいオレンジ色に彩られたトンネルを抜けるとそこは美しい濃青色の空気の海であった。 地平には街の灯りがチラチラとさんざめき、垂れ込めた灰色の雲も空も大気の全てが見事な青一色に染められている。 初夏の夕暮れにはいつもながら心を深く慰められる。 ホンダの4気筒エンジンは気持ちよく軽く吹き上がり、股の下でその絹のように柔らかくキメの細やかな振動を変速機の階層に応じて乗り手にしっかりと喜悦を与えていた。 八代平野の東側を抜ける高速道路。 左手に製紙会社の煙突が数本の白雲の線列を斜めに吐き出して風向きを報せている。 南西の風。 午後6時40分。 九州自動車道はほどほどの混み具合で、軽自動車や夕方らしく商用の白いワゴン車に混じって陸送の大型トラックが心なしか先を急いでいるように見えた。 愛車のオートバイの赤いタンクに胸だけ伏せて、ヘルメットごしに上目遣いで前方の直線の勝った道路を見つめる。 その瞬間の合間に目に飛び込むすべての景色が鋭い閃光のように脳を射て、とろけるような快楽を覚えさせてくれる。 「いつまで乗れるんだろう」 ボンヤリと考える。 今年は春から10年ローン、12年ローンと重ねて新車のオートバイを購入してみると、あらためて自身の年齢に考えが及ぶ。 通したローン会社も大したもんだが、売ったバイク屋も見上げたものだ。 経済に時間の概念とかを入れ込ませるのにローンほど有難いシステムはない。 現物が先で代金は分割して何年もかけて支払う。 何と素敵な制度か。 何しろその長さと自分の年齢をひき較べられる。 もしかして現金で購入したらその所有の喜びも使用する楽しみも購入した瞬間だけになるのではないだろうか。 現金で単車を買うと扱いがぞんざいになる・・・という気がする。 それで敢えてオートバイはローンにするワケであるけれど、その支払い方に少しだけアタマを使うのでこれまた楽しい。 それらを頭の中で計算しながらオートバイに乗ると喜びが長くひく。 少なくともこの先10年とか12年とか乗ろうとする意志を持ちつづけると決心してソレに乗るのと単発で乗るのとでは大きな違いがあるのではないだろうか。 毎日確実に時が過ぎてゆく。 これはどんな悲惨であるか幸福であるかを問わず、貧者も富者もこの「時間の流れ」という厳然たる物理的な進行を止めることはできない。 今のところ全人類に完璧な平等さが保たれている。 恐れ多くも悲しくも、いくらか心穏やかにさせてくれる真理だ。 さて「ジコチュー」なる言葉がある。 即ち自己中心的な性格、気質、人物を指す。 生まれ年で言うと五黄土星、二黒土星の人に多いらしい。 特に五黄の方に本人を前に「アナタは自己中ですからネ」とか周囲の人に漏らすと殆んどの方が首肯される。 それでそれらの方々が自己中一筋にその人生を全うすると殆んど確実に「不運」と呼べる「生涯」を形成してしまうようだ。 そのカラクリというかメカニズムについて少し述べてみたい。 ご存知のように人間は一人では生きていけない。 多くの人のお互いに支えがあって「今ここ」の人生を味わっている。 時間的にも空間的にも。 その中でわがままに、自己中心的に生きていくと一部の例外を除いて必ず人に嫌われる、人と衝突する、人の助けや援助を得られないということが起こる。 結果、経済的に困窮する。 人が離れてゆき孤独になる。 ついでに易の本に必ず出てくる「強情」とか「頑固」とか「傲慢」とかの性格的特性を備えておくと客観的に見て不運そのものの人生となる。 ・・・ということは先述した自己中の星の人々は「不運」な傾向にあるかというと、少なくとも社会的に鳴かず飛ばずだったり、放埓な飲食の為に自らの健康を害したりなさることが多いようだ。 「自己中の損」というと社会の中で生きなければならない宿命にある多くの人(一部の天才的芸術家や技術者は別にして)は社会や会社におけるその存在が軽んじられ、疎まれ、卑しめられ、結果的にロクなことはない。 それでどう生きれば良いかというと自己犠牲的・・・もっと言うなら「世の為、人の為」に身を粉にして働く、活動する・・・ということをなさると良い。 戦後の総理大臣で唯一「国葬」までされ、国民から尊ばれた吉田茂は素封家で名家の吉田家の「養子」であった。 その養子・吉田茂はいかにも「五黄土星」の人物らしく大変な資産家であった吉田家の富を芸者遊びなど遊興事で蕩尽しスッカラカンにしたらしい。 そういう一見自己中心的な行動もよく詳察すると芸者やそれらに連なる、どちらかというと貧窮している人々を喜ばせ、楽しませ、生かした・・・と見ることもできる。 所謂「遊び人」とか「粋人」とかが幸運だったりするのはこれらの「人の喜ぶことをしている」という事実に他ならない。 また歴代の総理大臣はの中でも日本国や世界の平和にその一身を奉じ、国家存亡の危機を救った。そういう事実は子孫まで繁栄させたようで、その末裔であらせられるどちらかというと凡庸な人物、麻生太郎氏を総理大臣という身分。政治家としては最高位まで上り詰めさせ、ついでに豊かな富をも保持させている。 大したものである。 同じ「自己中」でも無目的な自らの贅沢の為・・・例えば豪邸とかブランド品、貴金属の収集やギャンブル、利己的な蓄財などをしているとご自身の人生も子孫も大変な不運を味わうことになる。 これはフィリピンの元大統領夫人・イメルダさんとか東ドイツのチャウシェスク大統領夫婦とかイランのパーレビ国王とかロシア最後の皇帝・アレクサンドル・ロマノフなど自らとその家族の贅沢だけの為に生きた結果、家族共に革命軍によって処刑されるなど悲惨な末路を味あわせられている。 全く「不運」そのものではないか。 このように一見「損をした」と思えるような自己犠牲的な世の為人の為的な行動は自分自身と子孫の繁栄をその個人と一族にもたらすようで、先述した「星」の人々や自己中心的な行動をして不運に陥っている人達の最良の生き方として「自己犠牲」と「世の為人の為」に生きると心に決めて、敢えて損をするという行動を選択すれば、どれほど自分に「お得」を、言い換えるなら「幸運」をもたらすか分からない。 一方真の意味の自己中心主義者は、それも利害得失に関わる「自己中」は結果的に大損をしてしまうのである。 胆に銘じておきたい。 極端な個人の贅沢(イメルダ夫人の数千足の靴の収集)や金製のトイレット用品など(東ドイツの大統領夫妻)、江戸時代の大富豪(淀屋など)などは慎んでおきたいところだ。 貧者の救済や世界の平和などの大仰な類でなくてもいつも笑顔でいるとか、美しいマナー、素敵な挨拶などやチョットした親切なども自己中ではない人々の行動である。 五黄土星の人物であっても吉田茂のように「世の為人の為」に持ち前の気前の良さを発揮してお金と時間を使いまくれば「偉大な人物」となることができるし、裕福にもなる潜在力を社会に示すことができるのだ。 そういう意味で残念な人が多いのもこの星の特徴で、いくら「自己中の損」を説いても何のことかサッパリ理解できない人もおられて結構悩ましい。 知能も高く高学歴の人物ほど「馬の耳に念仏」といった態で、これらのカラクリに全く無関心で結果的に皆さん一様に子孫に恵まれず寝所を潰しておられる。 その因果律の具現者として損得が極端に現出されておられる。お見事としか言いようがない。 ありがとうございました M田朋玖 |