コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 空間2019. 5.25

その家の裕福さの度合いは空いている床の面積に比例するらしい。
そう言えば貧窮している友人の家を訪問すると足の踏み場もないほどに部屋にモノがあふれている。
それも殆んど無価値な物品。
即ちご本人の自覚のない「ゴミ屋敷」というワケである。
一方、裕福とまでは言えないまでも収入の割にお金を「持っている」友人宅を訪れると部屋の中にモノが少なくスッキリとしている。
しばらく前に流行した「断捨離」の信奉者で片付けの達人みたいな人が多い。
モノを買わないことと同時に捨てるということをドンドンなさる人達である。

そもそもモノにしろ、ヒトにしろ「所持」しているとお金がかかる。
たとえばクルマとか家とか家族。
これは説明不要だろう。
庶民のレベルだと物凄くお金がかかり、みるみるお金が飛んでいく。
衣類やら生活用品の所持は無関係と思えるがスペース(空間)を取る。
ゴミが出る。
持っていることがその所有者の負担になることが多い。
自覚的にしろ、無自覚的にしろ。

クルマと家を所持しないだけで裕福になれるかも知れない。
ついでに携帯電話とかパソコンとかを捨ててしまえば殆んど「お金が出て行く」ことはなくなる可能性がある。
外食とか付き合いとか余計な遊興事をひかえて仕事に精進すればだいたいの人はほどほど「お金持ち」になれる筈である。
収入の殆んどの「余分」が残っていくからである。

逆にモノを持っている、モノを捨てきれない人はそれを保持する入れ物、即ち倉庫やもっと大きく言うと家を所持する必要が生じて莫大なお金が霧散してしまう。
先述した「床面積と裕福度」について相関関係・因果関係がキッチリと説明できる論と思える。

モノもお金も両方所持できる真に豊かな人が時々おられるが、そういう幸運な人ですらモノの選択、購入には極めて慎重で「衝動買い」などということは滅多になさらない。
またその価値の減じないか、上昇の見込める「金」や「株」や「不動産」や「稀少な貴金属」などを用心深く買い求め大切に保持しておられる。

元々「富」というものはさらに富を生み出す物品やビジネスを指すので大金持ちの人々はこれらにお金を投資するらしい。
それでそれらの人々は益々富み栄え、貧しい人々はどうでも良い無価値な物品をメディアや映画や雑誌の流す広告的情報に踊らされ、そそのかされて「買わされて」しまうのである。

理想は固定資産税のかからないこじんまりした家を中古で購入し、物品を殆ど必要最低限しか持たず、飲食を慎んでつつましく暮らせば誰でも豊かになれると思うのだが・・・。

世の中はそういう人ばかりだと益々不景気になるので、人々にドンドン「物」や「飲食品」を買って貰って「経済」が成立しているというグローバルなトレンドがある。
これらのカラクリを遠望するといつもひとつの社会の構図が見えてくる。
それは

「多くの貧しい人々(購入者)の土台の上に稀少な富裕層(販売者)が乗っかっている」

というものである。
富裕層の仲間入りをしたければ自らの空間を確保するべく、まず心の中の空間を創造することである。
無欲恬淡。
無欲という心の空間はあらゆる事柄や物品を受け入れる「器」となって富を受け入れる準備状態となる。

そうしてしみじみとどうでも良い無価値な物品に別れを告げていくのだ。
それはまずとても身近な携帯電話でありパーソナルコンピューターであろう。
必要もないのにただ個人の楽しみの為にこれらを所有していて、お金も無いのに絶対必要な通信機器として個人の必要経費としている若者を見ていると或る種の同情の念を覚える。
元々世の中に存在しなかったそれらはあたかも生命維持の為の水や空気のように貴重な物品と考えている人も多い。
「携帯依存症」という言葉もあるくらいだ。
本質的には「無駄」の最大のものである。
それにクルマ。
田舎に行くとこれまた絶対必要と考えている人がいるが詳察すると「自転車で充分」というレベルの人が多い。
クルマがないと駐車場も要らず、車庫も要らず、これだけでも「空間創出」に大きく「役」を買っている。皆さん
贅沢が常態化しているのだ。

それに家である。
これはコンパクトな仮設住宅のような類に住めばこれまた経費的に楽である。
モノさえ多く所持しなければ大変便利で快適な生活を送ることができると思える。
以前「レオパレス21」という賃貸のアパートに3~4年住んだことがあるが、この時は年中同じスーツを一着と靴一足とジーンズとTシャツと数冊の本だけを所有して設置されている洗濯機・冷蔵庫・電子レンジ・水道光熱費コミコミの家賃5万円だったので収入の殆んどが残って行き、この数年間でいきなり結構な富を蓄積できた。
それなりに快適な生活だったと記憶している。
モノを持つと心理的な負担が半端ではないとしみじみと考える。
「シンプルライフ」
それは「心」と「住環境」に「空間」を創出することから始めることではないだろうか。

結果的に「豊かな人生」を得られる・・・かも知れない。
いかがであろうか。

いずれにしても、世の中にあるモノというモノについてよく警戒を怠らないことだ。
それらは自らの「空間」と同時に大切な富を奪ってゆく。
現代の「情報」というものが或る意味モノを売る為の単なる広告に堕しているという類が多いとつくづく感じる昨今である。
「ワンクリック」でモノを買えるオソロシイ消費時代。
所有しているお金が羽のように飛んで行く不気味な社会を私達は生きているのだ。
購入チャンスを減らすという意味では諄諄しいが、まずケータイとパソコンを手放しショッピングに出かけないで家で静かに瞑想か読書でもしていれば・・・ついで必要以上に飲食もしなければ・・・。

やっぱり無理か・・・イヤそんなことはない。
誰でも実行できる極めてカンタンなプチお金持ちになる方法と思える。

空間はとても大切である。人間という言葉にもキチンと間が入っている。「空の間」。「人の間」。結構深い問題を含蓄している。

ありがとうございました
M田朋玖



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