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■ 遊ぶ | 2019. 5.15 |
ご存知のとおり1日は24時間だ。 そのうちの1/3、即ち8時間は睡眠・・・これを取られなければ日中のすべてのパフォーマンスが落下してしまうらしい。 起きている16時間の半分の8時間は今の一般社会では労働。 残りを家事や用事やら遊びに使うワケであるが小さい子供を抱えている男女の場合、睡眠と労働以外の8時間を殆んど全て子育て或いは子育ての準備に消費してしまうことになるらしい。 詳細不明。 今年初の10連休のGWなどがあれば子供と公園で「遊ぶ」などと言うことができる。 これは人間の幸福の典型なカタチで、筆者もその時はそう思わなかったけれど思い返してみると「幸せだった」とウッスラ追憶することができる。 子供は勉強と同時に「遊ぶ」必要がある。 遊びを通じて学ぶことがとても多いのだ。 これは大人もそうである。 かつて「遊ぶ」ことに罪悪感を持っていた頃があって、医者になったからには24時間「医者」で、どんな時にも社会や個人の要請に応需しなければならないと医師法にも謳ってあってそれを意識して仕事に携わっていた。 開業当時は医療機関の数も少なく救急医療体制も整っていなかったのでそれこそまさに24時間応じていて深夜の急患や看取りなどざらであった。 老人保健法も未整備で、高齢者で寝たきりの人々は田舎の大きな屋敷か公営住宅の粗末な納戸、タンスに押し詰められた倉庫のような暗隈の部屋で寝せられていた。 実に気の毒な状況にあった。 それらの人々は或る意味「死ぬのを待っている」状態で、ご本人も周囲もそんな認識であられたので急変頓死の場合「呼ばれて死亡診断書を書く」という医者の仕事の重要部分を請け負っていた。 また小児科の救急が多かったり携帯電話の未普及もあったりして日常的に非常に多忙であった。 それこそ「24時間営業」という態であったと記憶している。 そんな状態であまりに多忙でキツくて仕事を辞めたいなあなどと思っていた頃に或る心理研修があって「そんなに頑張らばなくても仕事がまわることや「休んで良い」ついでに「遊んで良い」と自分への許可をできるようになって近頃では心置きなく「遊ぶ」ということをしており職員の人々にも「遊び」や「休養」については積極的に取り入れることを勧奨している。 ウィークデーには8時間で用意、家事を済ませ遊ぶワケであるからせいぜい3時間、4時間、事情があって少ない人の場合30分前後ということもあるかも知れない。 単なる休養の人も多いかも知れない。 いずれにしても、こと「遊ぶ」場合には仕事とかけ離れた類、真逆の類が良いらしく肉体労働の人は読書や映画、デスクワークの人はスポーツ、運動など体を使った趣味遊びが良いようだ。 基本的に仕事が終わってスッキリする類が良いようである。 上記のようにザックリと一日を3分割して睡眠・仕事・趣味(遊び)に専念できるのは身のまわりのお世話をしてくれる人々や仕事のスタッフなど色々な人の「働き」のお陰といつも感謝している。 筆者の遊びもこのころはひどく限定的で、それはオートバイとクルマとバスケと読書とこれらの組み合わせで欲張りに全部をウィークデーの夜にしてしまうこともある。 これらの事情からホンダCBR250Rというバイクはとても良い遊び道具で、夜チョット思いついて10分くらい走っているだけで相当にスッキリする。 音とスピードと風と夜の冷んやりとした空気が心もカラダも優しく冷却してくれ、熱くなったアタマもストレスで重くなった心も確実に軽減してくれる。 バスケットボールは約1時間チョットの運動。 それは走り、飛び、投げるなど全身の運動が練習を終えた後の爽快感には言い尽くせない喜びがある。 その点クルマは前記からするとかなりスッキリ度は落ちるものの夏の暑さ、冬の寒さなど外気温の厳しい時にはその快適さと移動性によってしみじみと山々や星空や雲をサンルーフを開けて気に入った音楽を聴きながらドライブや昼寝、朝寝を楽しむことができて嬉しい。 昔シンガーソングライターの井上陽水という男性がニッサンセフィーロという当時にはかなりスタイリッシュで小粋なクルマのコマーシャルで「食う寝る遊ぶ」というコピーで「皆さんお元気ですかあ」と走るそのクルマの窓から顔を出して叫ぶ(?)シーンが心に残っていて、そうか時間があったなら「これだよね」と当時深く得心したものである。 暇な時間に「食う」ことはしないので、その分「遊び」に時間が割けて有難い。 1日のウチに「食う」となると最大30分、実質は10分程度なので実に遊びの時間稼ぎには好都合な生活習慣を持っている。 ちなみに入浴は5分と決めている。 ついでに身づくろいも5分。 男は便利だ、化粧しなくて良い。 食事をするのに1時間、2時間、時にはアルコールも含め半日以上をそれらに費やす人々を目にするがこれは筆者では絶対あり得ない。 そんな時間があったら寝てるか本を読んでいるかオートバイだ。 飲食時間が人と比べて極端に短いというのは個人的に凄く気に入っている。 その時間を遊びに当てられるだけでなく精神的に「自由」な感覚を味わうからだ。 アルコールフリーならぬフードフリー。 基本は1食もじつに好都合。 連休の過ごし方も無限に広がる。 それでも選択肢はたった3つであるけれどその味わい方が違う。 海外旅行をイヤがっていた理由も今は少し違って見える。 通関手続き、長いエコノミークラスの飛行機内の苦痛とか旅行特有の緊張とか時間制限とか・・・もあるが何よりもバイクとクルマに乗れないことが最大の理由だったかもしれないと今は思う。 海外でも「レンタル」というのがあるらしいがそれだと「自由に心おきなく」とはいくまい。 数年前に接触した占い師によると筆者は「健康の神様」とのことであった。 「健康のありがたさを自覚し、人々にその知識や情報を提供する役目を持っている」そうだ。 この神様は別名「遊びの神様」だそうで、一生懸命に遊ぶことが運命を拓き元気と運気を向上させるらしい。 そう言えば遊びまわっている時の方が仕事も人間関係もうまくいく。 元々仕事人間、マジメ人間になりやすいので以来、努力して懸命に遊んでいる次第である。 これは自分の遊びの言い訳では絶対なく何回も試みて得られた実感と経験に基づて導き出したひとつの「結論」で本来なら仕事も遊びに変えるべきと考えているが、これは実現できているという感覚がある。 「遊ぶ」ことと同じくらいか、それ以上に楽しいもの。 遊ぶことに少しでも罪悪感を抱いたり、仕事ばかりでストレスをためたりしている人々への有益な情報と受け取ってもらえるとありがたい。 ありがとうございました M田朋玖 |