コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 至福の時、令和元年2019. 5.10

初夏の遅い朝の陽光が、ユリノキの葉かげからチラチラとこぼれて、柔らかい草の地面にいかにも心地良さげなほの暗い緑陰をつくっていた。

令和元年のGWは何と10連休だ。
我がクリニックは平成31年4月30日、令和元年5月1日、2日は昨年制作のカレンダーどおりに開けた。
それで急遽2日連休+4日連休というカタチでスケジュールをザッと立てた。
勿論バイクツーリング中心にである。

晴れた日には毎日オートバイにまたがった。
それは数分のこともあり数時間のことも。
5月の薫風がカラダを優しく冷やし素晴らしい爽快感を心身に与えてくれる。
まさしくオートバイは感覚の遊びだとあらためて実感する。

そしてもうひとつのGWの遊び。
それは「朝寝」である。
午前6時には起きて盆地のほぼ中心に、やや大き目の古墳のように鎮座する岡の上の公園にクルマで向かう。

元市長・永田正義氏の「田園都市構想」のプランに沿ったバブル期当時の市政。おかげで市の規模に不似合いなほど贅沢に広々とした空間を持つ公園がこれまた不似合いに立派な文化施設、スポーツ施設と同時に設備された。反対勢力には「こうえん」では誰も「肥えん」と揶揄された。実際は食べて「肥えた」人々はいる。

「政治」というものは元々そのような性質を持つようで、インフラ整備即ち「ハコモノ」は建設関係の仕事と利益を生み出し、その筋の業者と政治家本人を強く潤すようで日本中このとても分かりやすい「錬金システム」「ハコモノ行政」が流行していた。
また人々に「仕事」を創造するので決して悪いことだけではない。

選挙の度にそれを省きましょう、やめましょうと述べ立てる「市民運動家」系、野党系の候補者がかしましくその背徳性を非難するも「背に腹は代えられない」
生活の為にはインフラ整備に使われた血税は業者や市民に還流し町や人を豊かにするという側面もあるのだ。
勿論それと同時に為政者の「懐」を肥やすようで、歴代の市長さん方は皆さん一様にこの「システム」で蓄財をなさったという模様である。
それでとりあえず瞬間的にか継続的にか裕福になられるが、病気をしたり亡くなったり贈賄で逮捕されたり、また後々は市民の評価の急落下を招来し子孫も繁栄せず結果的に「ロクなことはない」ように見える。
それでも我々一般庶民の憩いの場所は公園に優る類はないので、これを心置きなく楽しんでいる次第である。多額の税金も払っているこどだし。

この素晴らしい公園。
スポーツ文化施設。
それに都市計画による美しい道路。
行政の行う社会事業は日本人の遺産として立派な「インフラ」や「仕事」を生み出すのであながち悪い仕組みとばかりとは言えない。
行政の大切な仕事と言って良い。
為政者や業者がそれでいくらか「私腹を肥やしたから」と言ってどうということはない。
そもそも誰が迷惑をこうむったというのだ。
いずれにしても個人的には公園大好き人間。
日本の首都・東京と違い世界中で最も観光客の多いとされるイギリスのロンドンは公園だらけだ。
少し歩くと大小さまざまな芝生の公園が木立とベンチと噴水と携えて無数に市内に散在している。
それで街を散策していると「食料品店で缶ビールとツマミを買って公園で寝そべる」という「遊び」に興じるワケである。
そういうタイプの日本人はあまり見かけず、皆さんイソイソと観光スポットを巡り、博物館・美術館などを見てまわられるようだ。中にはロンドンまでやって来て「走って」おられる方も見かけた。やれやれ。
そういう公園の朝寝「楽しみ」を持つ人はこと日本人に限っては極めて僅少なようで、どこの公園でもそういう日本人を滅多に見かけない。

当地のその広大な公園の頭記した木陰で午前中いっぱい、それは6時間あまり本も読まず物を食べず音楽も聴かずゴロゴロと寝そべって惰眠をむさぼったり空や木々の葉がサラサラと涼し気な音を立てこちらに笑いかけるような陽光が、チラチラと葉陰を輝かせながら一斉に動くサマを眺めたりして陶然とした幸福感に浸るのだ・・・時間を忘れて。

この気分は思考(これは過去と未来にしかない)を捨てて「今ここ」を無条件に感じている。
風が光が大地が草のほのかな匂いが鳥の声が・・・遠くで聞こえる軟式テニスのポンポンという音でさえ心地良い。

その南面に造られたなだらかな斜面は丁度草スキーのできないレベル。
北を枕に南方に向かって仰臥するのに按配がとても良い。

件の「ユリノキ」は夫婦(めおと)のように左側に少しだけ幹が太く枝ぶりが少ない。
右側のソレは男木の木立に寄り添うように少しだけ幹が細く枝が多い。
まるで男女のカップルのような外観を呈している。

その根元に足を向け薄っぺらい安物の羽毛フトンを敷いてただ横になってくつろいでいるだけであるのに5~6時間は一人で過ごせる。
世知辛い世情を忘れ自然に埋没して忘我を味わう至福の時間だ。
5月の4日と5日はそうした個人的にはとても優雅なひとときを過ごし、午後からはスクーターか軽バイク(250cc)にまたがって街に出る。

読書もせず映画も観ずロクに食事もせずこの自然との「自然」な交流をして明瞭明確に全身にエネルギーが充電されたと感じて大満足であった。

こういう趣味の人は先述したように日本人には少ない気がする。
この自然豊かな田舎住まいですらそうだ。
夜に星も見えない東京のような大都会に住まわって「ここが一番」という都会人の言葉はいつも聞き流すが、心の中では「気の毒に」と思っている。

それらの合間に仲間と、時にソロで、オートバイに乗り空いた時間に公園でくつろぐ。
こんな幸せなGWはありそうで滅多にない。
海外旅行やテーマパークや映画館やショッピングモールやテレビとかにはエネルギーを吸い取られる気が強くする。
特にテレビはそれがどんな内容であれ公園とバイクには敵わない。
ひんやりとした涼しいそよ風にあたりながら一筆。

ありがとうございました
M田朋玖



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