コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 「恥」2019. 4.13

桜の見頃の終了を告げるように雲行きの怪しくなった夕暮れの暗い灰色の空から雨粒がポツリポツリと降り出した。
それは夜中降りつづき、翌日の午前中までかなりの雨量で九州の山地をしっぽりと濡らしている。
久々の慈雨とあって農家にとってはまさに天恵だ。

温く、重くなった大気が人の心まで暗鬱にさせるようだ。
酒も飲まず、タバコも喫わず、ロクに食事も摂らず、遊びと言ったら今やオートバイくらい。
そのシンプルな生活で心は深く満ち足りている。

少食菜食で得た痩身がそうさせるのかイライラも抑うつ気分もない。
理由の無い爽快感と穏やかさが全身を満たしていて、ひとえに薬物のチカラを借りた長時間睡眠と健康な食事の賜物と思える。

人生を心地良いモノに変えたかったら食品と薬品が最も近道だ・・・とつくづく心から思う。
余計な活動・・・たとえば夜の外出、飲食店、クラブ、スナックに出入りすればエネルギーの漏出こそすれ充電されることは滅多に無い。
「出て行かなければ良かった」と後悔するのが殆んどだ。
経験的に。

「エネルギーは高い方か低い方へ流れる」

これは物理の法則だ。
天や地から得たエネルギーを人に流す仕事をしていると考えれば(これは実のところ充電とも言える。天 自分 人とエネルギーを循環させることができればの話だ)わざわざエネルギー放電に夜の店に出向くこともあるまい。

深夜に降った激しい雨も夜明けには小雨。
午後には晴れて青空が雲間からのぞいている。
この一夜の天雨は桜の花びらをサッパリとその木枝から振り落とし、鮮やかな新緑の葉桜へと変化させる。

人生を思うに季節のうつろいほど適切な類はない。
そのはかなさ、うつろいやすさ。
「常なるモノ」はこの世に存在しない。
広大無辺の宇宙ですら寿命があるそうである。
人のそれなどチリアクタほどの重さも無い。

桜の花の咲き誇る姿と散りゆくさまは武士道の心とよく同調するようで、それを記した山本常朝の著書は「葉隠」と名づけられている。
花の散った後の清々しさなのか飾りの無さ(花の無さ)、潔さ(花の散りざま)を表現しているのであろうか。

山本常朝は42歳で隠居(葉隠?)し、69歳まで生きた。
その「口述」記が「葉隠」で、武士道の本隋を著した。

「武士道と云ふは死ぬことと見つけたり」

最も有名な一節である。
この意味は自己を捨てて考え決断せよという意味で「自分を殺す」ことが全体と自分の最良の選択になることを伝えている。
決して自死を促したものではない。

「切り結ぶ刃の下は地獄なれ 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」

これは常朝の言葉ではないが相通ずるものである。
単なる自己犠牲でないことがミソだ。
「死んで生きよ」みたいなメッセージか。
いずれにしても人は悩む時に殆んど自己中心的な思考に憑りつかれている。
全体を思う時あらためて自分の本当の価値や生き方が見えてくる。
悩める人、苦悩する人の特徴は自らの考えの「自己中心性」に気づいていない点である。

「一部が全体であり、全体が一部である」
この思想はユダヤ教の経典・タルムードにも出てくる。

葉隠は武士の持つべきさまざまなマナーの教本であり、処世の書とされている。
「浮世から何里あらふか山桜」
一種の超然とした世間の風潮に流されない凛とした孤高の思想とも思える。

全体の為に自分の生命を使い尽くすというのが武士道の思想の本義で、現代人の自己中心的で個人主義的な生き方にひとつの緩い警鐘を鳴らしてくれる。
これは武士道というくらいで特に男の人生の良い参考になる。
清々しい良い気分になる。
人それぞれであろうけれど・・・。
誰かの為、何かの為、世界の為、人類の為、自らの尊い生命を使い切るのだと決心した途端、心が一瞬は軽くなるのを感じる。
正気の人であれば・・・。

貧窮の為に子供を連れて一家心中を図った女性の話。
死のうと向かった川辺あたりで夕焼けの美しさに打たれ、死ぬのを思いとどまったと。
自然の美しさは無条件に「生命」というものの美しさを人に報しめてくれる。
地球上にはむせかえるほどの生命があふれかえっている。
その生命の循環の中でひとときの時間を過ごすのに葉隠の言葉が全ての人に役立つか不明であるが、日本の特攻隊(戦果が相当にあったらしく米兵は恐怖の為に発狂者が出たほどだが国家・国民の為に生命を捧げた)や忠臣蔵の47士(忠義の為に生命を賭した)など日本人の心の中に永く生きている。
その思想と文化の根底に遺伝子とも言うべき行動様式、思想体系、毎日の生活をもう一度想い返してみるのも充実したものにする一法ではないだろうか。

百田尚樹氏がその著書「日本国記」によれば、GHQが日本人に擦り込んだ(WGIP戦争犯罪意識プログラム)とそれに連なる武士道の否定を行うことで日本人のアイデンティティーを貶めることをやって来たそうだ。
日本人に過去の戦争についての罪悪感を植えつけることで日本人の心を操作してきた。
これは今でもつづいているNHKを中心とした各テレビ局は相も変わらず中国への「侵略戦争」「韓国の強制支配」という嘘の情報を流し、この「嘘」は今や諸外国も含め日本人の常識になるほど深く浸透している。

中国における戦争は毛沢東率いる共産主義と蒋介石率いる国民党軍(現台湾)との三つ巴の戦いで、国民党軍の謀略で自らの(中国の軍隊)の「暴虐」を日本軍のせいにしたという戦争プロパンガンダをそのまま現在でも信じ込んでいるという「笑話」である。
韓国についてはデタラメばかりの「反日教育」で国民全員が信じ切っている有様で、見ていて恥ずかしくなる。

自分が韓国人なら自らの民族の女性が「従軍慰安婦」として無理矢理に徴用されたなど声高に述べるなど恥ずかしくてやめてくれと言いたくなる筈だ。

「中」「韓」「ロ」の3国は、少なくとも行政府は「恥」というモノを知らないらしい。
日本人の文化の中心には武士道をはじめすべてにわたって「恥」の文化がある。
「そんな恥ずかしいことはできない」ことを堂々と恥も外聞もなくする人間は恐らく純粋な日本人ではなく第三国人(中国人・韓国人・ロシア人)にちがいない。

ありがとうございました
M田朋玖



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