コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 桜の頃に2019. 4. 6

今年の桜は、目立ったほどの降雨も無く、見事なほど絢爛と柔らかい春の陽光の中で、その美し花びらを風に揺らしている。
それでも晴天の割に、冬日のように風は冷たく、所謂「花冷え」がつづいている。

4月と3月の「春」の呼称と「明るさ」に騙されて薄着の外出をすると風邪をひいてしまう。

春の暖雨の為に無残にも美しい花びらが散らされてアスファルトの道路に汚れて貼りついているのを見せられるより、冷たい風にフワフワと揺れている豊かな花房の方が、人も桜たちも余程心地良さげに見える。
それにまずバイクに乗れる。
桜並木の下を花吹雪を散らしながらオートバイで駆け抜ける喜びを味わうのに空気の冷たさなど全く気にならない。
また春の厚着もオツなものだ。
マフラーにコート、セーター等の冬装束を楽しめて、しばらくこの花冷えがつづいてくれたら個人的にも趣味としても嬉しい。

ペ・ヨンジュン主演の韓国映画「四月の雪」はアメリカ映画でハリソン・フォード主演の「ランダム・ハーツ」の盗作と訴えられた。
その顛末は不知だが両作品ともよく仕上がった佳作で、結構好みで何度も見る映画だ。

四月に雪を降らせるほど寒気を含んだ北方からの高気圧が南下して「花冷え」となるらしい。

先述した両作品も数奇な運命に翻弄される男女の愛の物語で古典映画の名作「心の旅路」を時間短縮したような男と女の巡り合いと絡み合いをさりげなく描いていて所謂「花冷え」の季節にふさわしい男女の物語と思える。
「心の旅路」で心に残るラストシーンも桜が最も重要な小道具となっているが、このシーンは「花冷え」とは言い難い。

春に降る雪や寒さにはどこかヨーロッパ的な情趣を感じる。
その陽光の割に冷え冷えとした寒気はロンドンで何回か経験した。
その冷たさが感覚として記憶されていて時々清澄な、キリっとしまった気分にさせてくれるのだ。
ついで花・風・雪とくればさぞや酒が旨かろう。

日本のゴールデンウィークは空気が温く緩んでオートバイの楽しさが減じてしまう。
「寒風を突いて」それを駆るのが筆者の好みなのだ。
そのうえ大型のバイクはそれそのものだけで結構暑苦しい。

花冷えが終わる頃、春の長雨がおとずれる。
恒例の月1ツーリングはここ数年4月だけ、降雨で流れている。
そして夏の土用、ゴールデンウィークとつづく。
今年は天皇様の御退位と新天皇様の御即位の為、10連休となるらしい。

ここ1~2ケ月が1年のうち最も良季と思えるが、それは光の多さによると思える。
また夏への期待で胸が膨らむ・・・。
それは思春期の悩ましい息使いとも思える。春の花冷えの頃の精神状態は多くの人の心を理由のない不安と抑うつ、焦燥へとかきたてるようだ。
桜の花を眺めて悲しい、淋しいとか「辛い」と口にする人も多い。

それでも暑くならない陽光はカラダには心地良く、春の行楽シーズンで、百花繚乱に咲き誇った花たちは、人々の五感を懸命に喜ばせようとしているように見える。

芝生や草原で車座になり「花見」と称する飲み会を楽しむ
のが日本人の文化。
これこそ日本国民が平和そのものの中に浸り切り、それも心おきなく謳歌している象徴的なありさまとも思える。

「戦争は悪だ」「平和は善だ」・・・これは特に日本人の心に染みついた深い思い込みで、この言葉・概念は対立的なモノと多くの人が考えている。
ここで戦争や平和を論じるつもりはない。それでも桜をしみじみと眺めるにつけ日本人の魂、日本の文化、戦争と平和、武士道、それに連なる特攻隊などに想いが及ぶ。
日本人の心と桜の深い関係を感じる。

米国・ワシントンのポトマック川の河畔には日本から贈られた桜の木が植えられているそうだ。
それらの桜は日本のそれと同じように咲いているのであろうか。少しく違和感がある。

個人的に最も忌み嫌う人間の行為の最大が「暴力」で、その集団的・国家的行動が武力行使であり戦争だ。
日本にも軍隊とは呼ばない「自衛隊」なる武力が保持されており、世界的に見て国家の規模なりのレベルにあるそうだ。
それらが外国の侵入を阻止していることには間違いが無く多くの日本人がそれを信じている。
平和の為というスローガンは戦争を正当化する時に使う為政者たちの常套句だ。
騙されてはイケナイ。
平和、平和と声高に叫ばれている時代ほど戦争の危機が迫っている証であり、正当な緊張状態が強く戦争を抑止していることは歴史の教えるところだ。

桜は潔く散るから美しく見えるのであって、造花のようにいつまでも咲いていたらそれほど有難くは思わないだろう。

美しく平和な時代が昭和の戦争の上に築かれており日本人も少しずつそのことを忘れつつあるようだ。
「昭和」という元号は読み方によっては平和を「昭(やぶ)」るとも読める。
一度昭って、後で昭(照)らす。
それが昭和という時代であった。

「平成」はその字面のとおり平らか成り。
経済成長の滞ってしまった平成不況の時代であった。
少なくとも日本国では全てが伸び悩んだ時代だ。
新元号「令和」
どんな時代になるのであろうか。
平和を「令」する時代。
良い意味で憲法改正への意図を感じる。
即ち平和を築く為に律令を変える・・・そんな風に感じられて個人的には結構好もしい。
少なくとも昭和よりはマシな気がする。
戦争をひき起すような元号名ではなさそうだ。
昭和、平成、と生きて思うことは、日本人の平和へのこだわりで、謀らずも戦争への道程を歩んだその元号のとおりの昭和。歴史は「遠くになりにけり」だ。

ありがとうございました
M田朋玖



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