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■ 易占医者事始 | 2019. 3. 6 |
去年の今頃の愚コラムを読んでみると殆んど全く同じ文体で同じ事が書いてある。 「小指の思い出」の内容も大変参考になるが、今年は右手の小指を同じくバスケの練習で傷めてしまい小指を立ててバイクのグリップを握っている。 懲りないというか、ワンパターンというか。 世間で言う「小指」の象徴である自らの女性関係の歴史の恨みつらみの結果であろうか。 自分としては女性に悪意を持って悪行をした憶えはないのだけれども・・・。 基本的に「人のこと」を書く訳にはいかない。 自分のことで、失敗談が一番オモシロイが今急には思い付かない。それに、後から失敗でも全て結果的にプラスに作用しているので明瞭明確に純然たる「失敗」と呼べるかどうか分からない。 人間の失敗とか成功は、そう呼称しなければ本質的にソレにならないらしい。 自分の人生を振り返ってみると良きこと、悪しきことを含めすべてにその存在理由があり価値があると考えるようになった。 複雑な形状のピースがうまくはまってゆくジグソーパズルのような按配で「自分の人生」という「絵」が出来あがっていくという感覚だ。 「あ~、あの時のアレはこういうことだったのか」という、どちらかというと喜ばしい実感である。これらは「易」の知識を得て気づけた事柄が殆どのような気がする。 すべての出来事には「意味がある」と考えて生きているのと「単なる偶然に過ぎない」と思って生きるのでは結果や感じ方にかなり差異があるように思う。 ♪すべての偶然がアナタへつづく♪ 秋元順子のデビュー曲で紅白出場のきっかけにもなった作品「愛のままで」の歌詞の一節。 夫婦関係や職場の人間関係なども長くつづけているとそんな境地になることがしばしばある。 人間がいくらか高尚になり霊的感度を高めていると自分の夢や成功にとって好都合な偶然が増えてくるそうだ。 そういう偶然の増加が自らの運気の上昇を知る良い予兆になるとのこと。 何事もトントン拍子という時には「日が良い」「方角が良い」「心がけが良い」と三拍子。 先述した事柄が頻繁に起こる。 まさにトントントン拍子だ。 素晴らしく遠大で壮大な夢で自己中心的でないそれを心の中に強く持ってその目標に向かう時、全ての事柄が追い風になり向かい風ですら自身を空中に飛翔させ成功実現の速度を一気に早めるチカラが宿っているとのことだ。 本題である。 「あそこの先生」は占いまでする・・・といかにも「怪し気なドクター」との評価をところどころでされるらしいが、これは全く気にならない。 近代医学は日本の場合、緒方洪庵が始祖と呼べる人物らしく「適塾」という大阪にあった大阪大学の前身となった医学校の創設者らしい。 この塾の出身者には幕末から明治維新、変革の時代を築いた偉人を多数輩出している。 吉田松陰の「松下村塾」とはまた違った歴史上重要な教育施設である。 西洋医学の良いところを取り入れた、当時としては革新的な存在であったらしい。 それでも医学の歴史としては200年足らず。 最近代医学についてはその歴史は100年にも届かない。 それにくらべ東洋思想における易の始祖は伏儀と言って想像上の人物らしいが、それでも中国5000年の歴史を持つ。 儒教の教祖・孔子がその教科書「四書五経」のひとつに取り上げ「易経」としてまとめたものが易学である。いくらか難解ながら平易に数理的に宇宙のすべての事物の本質を追求する哲学的な学問体系になっている。 それらの知識のさまざまな流れは日本国においては内容の一部を便宜的に解釈して「易」「占」に受け継がれ多くの人々に現在でも親しまれ研究しつづけられているようだ。 つまりそれほど歴史が長く普遍性があり広く受け入れられているということになり、且つまた統計的に(この表現は実のところあまり適切ではない)立証もされているということになる。 即ち人間生活を順良に保つ為の「生活の書」とも言える。 それらが日常の医学に役立たないワケがない。 また役立てるべきだと個人的には考えている。 「科学」的と称する事柄を最上のモノとする現代の「科学信仰」はかつての宗教・哲学に替わるほど尊ばれてきたが、量子物理学を中心にそれらの限界が指摘され、意識され「神」の領域が確実に存すると考えられるようになって「易学」が単なるオカルト的な学問ではなく宇宙の哲理と神的な事柄、霊的な現象の謎を解明してくれた学問ともとらえる人々も出現してきた。 この学問の日本における先駆的な碩学、故安岡正篤に言わせると沈みゆくヨーロッパを救ったのもこの易学に出会った哲学者によるとキッチリその著書で述べておられる。 この素晴らしい英知に富んだ学問を医学のみならず日常の生活や診療に応用するのに「ためらい」は微塵もない。 何故なら有益でありこそすれ何の副作用も有害さも無いからである。 ぞれぞれの人々の運気を知り、体質を知り、相性を知ることがどれだけ治療に有益か分からない。 実際にそれを知った人の喜びを何度も目にして来た。 昔から医者は色々な役をこなす要があり、それは教師(教え導く役)、哲学者(人間を幸福へと導く役)、役者・芸者(演技をもって病者を喜ばせる、楽しませる)、科学者(医学の研究者としての役)、そして易者(未来を予測し過去や生い立ちを分析する者)としての役だ。 「良医」というもののイメージは元々そういう柔軟な思考の一般医のソレで華々しい医学界で名を成し神の手を持って重い病者を治す医師でも最新の遺伝子工学を駆使した再生医療を担う者でもない。 市井でありふれた疾病を最も簡単な手法で治す者と考えている。 とにかく人生の後半期には小さな判断決断にその全てが委ねられることがある。迷いのとき、時間短縮には持ってこいだ。易占は。 ありがとうございました M田朋玖 |