コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 「七つの会議」2019. 2. 8

翌日が100%雨と予報されている前日の土曜日。
午前中の仕事を終え、簡単な食事を摂り、短い午睡の後、素早く着替えてオートバイにガソリンを入れ高速に入った。
午後2時30分。

雲ひとつない晴天に春の眩しい陽光の下。熊本県西方の島々、天草に向かった。
知人との待ち合わせの予定だ。
どこでミートするか分からない。
とりあえず北へ走り、西に走った。
道路の選択肢が限られているのでどこかで必ず行き会う筈だ。

レンタルバイクの彼の人と合流できたのは上天草市の「道の駅」。
熊本市内まで海岸沿いの国道で対岸の島原を遠望しながら、つるんで走る。
夜の帳がすっかり降り、前照灯やテールライトを点けたクルマの往来で、青染された夕闇をチラチラと明滅させ、国道を幻想的な電飾帯線に変えていた。

午後7時にレンタルバイクに返却。
知人と別れていつものカフェに寄り時間を調整してチケットを買って馴染みのシネコンに入館した。

池井戸潤原作の「七つの会議」
能楽師の野村萬斎主演。
この方のヒット作に「のぼうの城」というのがある。
独特の存在感だ。
香川照之なども歌舞伎役者(市川中車)としての活躍もあり、両者共に現代のテレビや映画俳優と古典芸能の役者として2つの顔を持っている。
その演技については概ね高く評価されているようだ。

テレビの大ヒットドラマで銀行のドロドロした内実を描いた「半沢直樹」の演技で注目を集めた香川とテレビのCMなどで露出度の高い野村の対決については興味津々。

それは予想どおりというかそれ以上に大袈裟で芝居じみた両者の臭い演技もこれまた大仰な舞台装置・・・たとえば広過ぎて贅沢すぎる「会議室」オフィスなど大仰に誇張された背景が良くそれらの演技にマッチしていて意外に自然に見えた。
幾分劇画調の演出で監督のセンスの良さ、巧みさを感じる。
現代版の歌舞伎芝居と思えば不思議に違和感がない。
また野村萬斎の珍しいスーツ姿を拝見できた。なかなか似合っておられる。

何しろ映画なんであるから。
いくら社会派ドラマであっても娯楽性は大切である。
池井戸先生の作品は文章の美しさよりも物語の展開、即ちストーリーテラーとしての筆力で売れていて、前出した「半沢直樹」以来ブレークしておられるが、テレビドラマにしろ映画にしろ大袈裟な演出が定番になっているようで、自然にしていると地味になりがちなサラリーマンの日常や物語に男女の彩りや妙味と共に重要書類のやりとり等で、その醍醐味を際立たせている。リアルさにおいて劣るもののフィクション、それも小説の映画化作品としては全体として「そつなく」しあがっていると思えた。
その上それぞれの画面に迫力と美がある。

原作者の社会正義や会社・組織への忠誠心、各個人の金銭や地位への欲望が、第三者的に良く客観視されており、ストーリーテラーとしての池井戸氏の才能や倫理観の向かうところが筆者のそれに合致していて爽快であった。

また国家や社会への影響も巻き込んでいるラストのクレジット画面に重ねて日本人の体質気質まで主人公に語らせていたが、物語の主題である「リコール」「不正」「隠蔽」というものは世界中の企業でより巧妙に大規模に行われていて、こと日本人に限ったことではないと個人的には考えている。

会社と社会との関係をあらためて考えさせてくれる物語である。
事に際して会社人としての「在り方」と人間としての「在り方」にズレが生じることが誰にでもあるものだ。
また当然ながら職業人として、組織人としての倫理観と地位、身分とそれに伴う責任の範囲のレベルなど、各個人の心理的構えが微妙に異なってくるものだ。

人間としての在り方、ふるまい方についてもそれぞれの国や地域の文化、立場、宗教、それに影響を与えうる組織のルールには、多種多様あって数限りなく、事に直面した時に大いに迷う。

正義の貫き方としてはやはり人間として
「社会全体の奉仕する者」
としての倫理観が望ましいが「戦争」などの異常事態においては敵を殺す、撃退する、時には殲滅するなんて人間を「害虫駆除」かなんかのように抹殺することを是とする状況に立ち至ることもあるようだ。
それで「人間としての」倫理観とか良心が傷まないかどうか不明であるがマトモな人間においては「トラウマ」として残ることが多々あるらしい。
米国の帰還兵の中には心理治療を受けている人が多数いたりもするようである。

表題にあげた映画の主人公の正義感、倫理感が社会全体に広がりを見せている一方で、会社や自らの帰属する部署や集団への忠誠心が「忠」「孝」という武士道の本義に関わる一種の「セクショナリズム」で、個人の保身を最重要とする「エゴイズム」とは一線を画すものの、どのように振る舞うべきか、「人間の理想像」について考えさせられる。

これらの迷いは或る意味どんな人間にも起こることで、それに出世競争における恨みつらみ、嫉妬などの低次元の感情などの渦巻く「醜い世界」と「無欲恬淡」とした八角民夫(主人公)の生き方。それを上手く対比させて一種の清々しさを感じさせてくれる。

不正の「発覚」と「八角」(やすみという名前で社員にアダ名としてハッカク)をかけていてこれも作者の遊び心を感じさせられる。

社内恋愛、不倫の有様やら営業マンの経費の処理やら下請けとの関係性、零細企業の苦境やらとにかく次々に生々しい自営業者や組織人としてのサラリーマン、宮仕え者の悲哀など池井戸大先生のストーリーテラーとしての面目躍如といった作品となっている。

「もう一度観に行きたい」と思わせる痛快な映画と思える。
「仁」「義」「礼」「智」「信」「忠」「孝」
武士道に影響を与えたとされる儒教の教えもその教えのとおり世界に対しての「仁義」が組織への「忠孝」よりも重いのだとあらためて実感させられる物語であった。優先順位が上記の順番になっているようだ。

ありがとうございました
M田朋玖



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