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■ 省 | 2019. 1.31 |
ご存知のようにこれは「省く」と読む。 即ち無駄なこと、余計なことを取り除くことと言い換えても良い。 行政府の防衛省とか厚労省とか経産省という呼称も、由来はこの省くという意味から来ている。 あ〜それなのに。 今や各省庁は「少ない目」から「多い目」になっている。 つまり国民や会社、自らの個人組織を問わずあらゆる対象を監視しらんらんとした有能な警察官の「目つき」で監視しているように見える。 一時期流行した規制緩和のかけ声など「どこ吹く風」 逆にさまざまな規制をつくって嬉々としておられるように思える。 これは役人、即ち公僕の人達の本能であらゆる業界で迷惑がられているにも拘らずそれらの傾向にさらに拍車がかかっている。 勿論それらの規制によって「利」を得ている個人や企業もあるようだ。 その字面のとおり「目を少なく」が省くと捉えるならば薄眼を開けて寛やかに国民の動くさまを眺めているぐらいが丁度いいのに何でもかんでも口を差し挟みたがる。 これは単なる習性とか本能とかの問題と看過しておくべきではない。 本来ならば省くべきところをどんどん「加えている」という有様は国民にとってかなり迷惑であるにちがいない。 分厚くなった交通法規のテキストがその象徴。 交通法規はまだ良い。 昔の都会の電話帳みたいに細かく厚くなっている我々の業界のテキスト「保険診療の手引き」などを読んでいると頭が痛くなってくる。 物事が円滑に行われているのを助けるのが「手引き」と思ったが、新しい電気製品や新型の自動車の取扱説明書などと同様に分かり辛い。 これらも新車の購入をためらわせていると思える。 その価格と同じくらいに。 本物のリーダーシップというのは「寛にして慄」 寛容なようでしっかりしている状態。 決して「細かい」という意味ではない。 あまりにも粗雑でも困るが、あらゆることに細かいというのは実のところ大問題だ。 人々の活力を著しく削いでしまう。 今のところ中国と日本と比べた場合、国としての成熟度は我が日本国に軍配が上がると思う一方で、活力というと未成熟な中国に圧倒的に「ある」 また同国の方がより革新的で進取の気風が強いし政府もそれを後押ししている。 細かいか細かくないか省き方がいかなるものか不明だが日本国の場合、整然として美しい制度であるものの一方で成熟という表現のとおりピークを過ぎ衰えていく過程を思わせる。 その上窮屈になった制度がそれらの意識を鈍化させている。 こういう場合「省く」という言葉が参考になる。 一度も交通事故の無かった或る複雑な交差点には信号が無いという事実がある。 そこにはカーブミラーすらなく人々は用心深くソロソロとそこ・・・交差点・・・に侵入せざるを得ず、結果的に「事故0」を実現しているとのことだ。 また同じように或る道路山林の中の道路でカーブミラーを無くしたところ逆に事故が減ったという結果が得られたらしい。 前記した交差点と同じ理屈であるようだ。 このように省くことでより安全に、より正確に、円滑に進行することがすべての物事にありはしないかと筆者は考えるのである。 「一利を得るには一害を除くに如かず」という言葉もある。 以前に我が社の「乗っ取り騒動」が起こった時に入り込んで来た事務方の男は会社の就業規則を棚から持ち出して来ていちいち細目を作って職員に通達していたことがあった。 勿論一気に職員の人々とのモチベーションが下がってしまい退職者続出となってしまった。 所謂「藪蛇」 そういうこと(就業規則)も経営上大事とは思うが「省く」ことを宗とする人間の統率の仕方から見ると愚法と思える。 因みにその乗っ取りに来た会社は、正社員は妻と息子二人だけ。 年商が大きくて儲かっているからと言って他人の社員がいないのに人に誇れるような会社と言えるのであろうか。 それでエラソーに指図するワケであるからチャンチャラオカシイ。 乗っ取り屋、詐欺師にはこういう輩が多い。 人を信用できないのだ。 人を騙す仕事だから当然とも思えるが。 それ以前に居座っていた、より悪質な詐欺師は何と一人社員の会社社長で、役員に九州大学を出た会計士と東大出の弁護士・・・それも名前だけの役員で社員と言えば女性の秘書たった一人であった。 こういう連中にやれ経営だのリーダーシップだのと述べて欲しくないものだ。 卑しくも、うやうやしくも我が社には正社員と呼べる人々が100人近くいて、それらの人々は血縁者でもない、突き詰めると「赤の他人」なのだ。 それらの人々に働いてもらうにはどうしても或る程度のリーダーシップ能力が要り、それは「省」という言葉に象徴される一種の伸びやかな統治(ガバナンス)であり手法であると思える。 人間の場合「自由」という状態が最も落ちベーションを高めるらしい。 ありていに言うならば人に言われて「する」より自主的に「する」ことを是とする考え方である。 日本人の民度から慮るとこの方法がまかりとおるが、たとえば米国などその他の先進国・・・多くの多民族国家ではとおらないことがあるかも知れない。 それでも海外進出している多くの日本企業が概ね成功しているのはそれらの国々の国情や民度に合わせてルールを柔軟に変容させているからで、結論的に述べるならば我が日本国もグローバル化の波にのみこまれてしまって東洋思想の流れを汲むこの「省」という思想が薄れてしまっての現在の惨状かも知れない。 どうせならみんな省より庁に格下げしてしまった方が現状をよく表現しているかも知れない。 庁の語源として「検非違使庁」「非ざる」か「違う」かを「検ずる」のが庁の役割とすると省がその上位にあることをあらためて考えさせられる。 リーダーとしては省とか相とか首とかの漢字は長たるものの方向性を示してくれて有難い。 ちなみに首相の相は「相談の相」「木の上の目」だそうだ。 「遠望する人」という意味である。 省いて遠望する。イメージ的には「樹木の枝払いをして遠くを見渡す」。これがリーダーの存在価値である。為政者は常にこのことに心を配らなければならい。もっと「反省」しなさい。と言いたい。 ありがとうございました M田朋玖 |