コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 半ズボン2019. 1.24

少年時代には半ズボンに抵抗して小学校の中学年には黒い長ズボンを穿いていた。
それが大人の象徴だったからである。
早く大人になりたかったようだ。
親元に住んで自由を奪われ、厳しくしつけられた結果だろうと考えている。

ところが大学を卒業して帰郷し、当時市内でも繁盛していた「メンズブティック」に買い物に行ったところ「グルカショーツ」という名称の半ズボンを年上の男性店員に勧められた。
当時は大人の半ズボンがメズラシイ時代で、黒々とした脛毛とブコツな膝を露出して大のオトナが街を闊歩するなど「アリエヘン」というくらい恥ずかしいという時代であった。

意外に我が肉体のしっかりとした下半身だったのか、お世辞で褒めてくれたおかげか、衝動的に買ってしまった。

その格好で福岡の医学会にも出席したところ注目度が結構高い。
懇親会の時にはコンパニオンが次々と寄って来て話しかけられる。
これは気分が良い。
着心地も悪くない。
それでしばらくは半ズボンとサンダルというイデタチは筆者の夏の定番になった。

今では夏場には殆んど男性が堂々と半ズボンでいる。
普通の光景だ。
それでもファッショナブルに着こなしている人は逆に少ない。
でっぷりと突き出たお腹とヨレヨレの半ズボンだと見た目は良くない。
最近は年配の男性のジーンズと同様にこの半ズボンスタイルにはスーツにネクタイより用心深くセンスに拘わって穿くようにしている。
それでもジジイの半ズボンは大概に評判が悪い。

ただ春夏だけでなく一年を通して半ズボンは楽で気持ち良い。
ファッションを「キメ」やすい。自己満足だけだが。

女性のミニスカートを思えば男の半ズボンも極暖のヒートテックかタイツでも下に穿けばそんなに寒くはないと思うので、一度試しに真冬の夜でも着てみようと考えている。
足元が自由な半ズボンの楽チンさに独特の喜びがある。
それは子供時代、少年の気分を味あわせるからであろうか。

セレブの何人か、たとえば世界的な画家のパブロ・ピカソは公衆の面前、それも正式なパーティーでも黒の半ズボンを穿いていたそうである。
超裕福な人がみすぼらしい格好をするのは「逆セレブ」とかと表現するそうで、アップルのスティーブ・ジョブズが自社の新製品のプレゼンを何の変哲もない黒いタートルネックのシャツにブルージーンズを悪性の病気で痩せこけてしまった肉体にまとって壇上で朗々と語っておられた。
これらのファッションも自分は着る物などに拘っていませんとのメッセージかも知れず、アメリカ人特有のカッコつけを嫌い、素朴さを好む、性向の為かも知れず違和感はないが見ていて気持ちが上がることはない。

半ズボンをひとつの強力なファッションアイテムとして取り入れたのが「ZARA」である。
このワールドブランドのアパレルメーカーは春夏のファッションのコレクションにパイル地に柔らかい伸縮性のある繊維に厚みを持たせた半ズボンのジャケット、スラックスを創造した。
チョット間違えれば極めて妙チクリンなスタイルになってしまって、これを着て夜の店に行ったら最初は「変な格好」と年配の・・・60代…のおかみさんに指摘された。

暦の上では春。
気温はまだ真冬のモノだか光の量が急に増えて来てソロソロ半ズボンファッションへの欲求が抑えきれずにいる。
適当な黒タイツでも手に入ればチャレンジしてみたいとひそかに考えている。

子供の時からの「カッコウを気にする」性向は健在だ。
気に入ったセーターを年中着ていた・・・というような小学校時代の証拠写真を発見している。
昔はギャバジンとかの生地の粗悪な黒の長ズボンを穿かされていて、これを少し憎んでいたものだ。
何しろ着心地が悪いし、行動が粗暴でドロとか砂であちこち汚れて母親に叱責されメンドクサイ。

小学校の顔はタレ目で出っ歯で唇の両端がめくれ上がっていて、アダ名が「ガマちゃん」だった。
ガマというとても酷い蛙の一種の名称だ。
容姿そのものは全く不細工で前歯は出っ歯なだけでなく2本の間に隙間があって、その上丸顔で完璧なおかめ顔だった・・・。
これは当時の写真で確認している。
そんなガキのくせに自意識が過剰で今と違って鏡をちょくちょく見ていた。

あまりのブサメンで髪の毛も縮れて山嵐のようで同級生達のようにカッコヨク野球帽もかぶれない。
今でも帽子は全く似合わず(多分顔が大きいせいだ)、そういう容姿の為にファッションに拘るようになったのではないかと想像している。
何とか補ってくれるようにと、この不細工さをと。

当時みんな貧しく物も無かったので年中着たきりスズメ。
食べ物もなくお金もなく子供の生活なんて親や先生やその他の大人たちに好きなように小突かれ、卑しめられ、辱められ、まるで地獄のようだった。

時々子供のままでいたいという大人を見かけるが、その精神構造は或る程度学んで理解はしているが自分とは別人種だと思える。

大人になってジジイになって半ズボンというワケだから話だけ聞くと多少不気味なイデタチになってしまうがこの年だからこそできる。また好きなように生きて行きたい。
別にそれで「晩節を汚す」ワケでもなく、倫理道徳にもとるワケでもない。
最近は少しずつ子供がえりをしている自覚があって、半ズボンがそのシンボルかも知れない。
オートバイやクルマやバスケがことさらに楽しく愉快だ。

立派な大人の持つべき名誉欲や野心、支配欲や金銭欲がどんどん薄れていく。
これはそれこそ「晩節を汚す」遠因とも思えるのでそういうことは自分には起こらないだろうと思う。
ただ「色事で世間に恥を晒す」ことはあるかも知れない。

ありがとうございました
M田朋玖



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