コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ カオス2018.12.30

年末に自室(院長室)をスタッフに手伝って貰って片付けた。
スプリンクラー設置の要が行政の指導と補助金付きで生じた為にとりあえず整理しておこうとしたわけである。

自室の状態は長年・・・それも10年以上恥ずかしながら混沌(カオス)の有様であった。
足の踏み場もない雑誌と書類の山。
まさしく紙公害の態。
何しろ捨て方が分からない。
これは何年も前から爆弾かなんかで爆破でもしたいという気分であったところ、当科の婦長様は片付けや整理整頓の天才。
ひとつ頼んでみるかと申し述べてみると快諾を頂戴した。
さすれば何と予想どおりというか予想以上というか一気呵成に問題(カオス)を解決してくれて正味丸2日でキレイに片付いてしまった。
彼女は物の収納においても天才的で造り付けの棚に殆んどの本を詰め込んで余計な棚や金属ケースやテレビ、パソコンなどすべて部屋から叩き出してくれて、壊れて使えなくなったエアコンと院内電話とドア交換と水害で水に浸かって汚れた床もクリーニングして貰うことになった。
ありがたいことである。

年明けにはまた簡易なソファーと絨毯とでチョットした書斎というか応接室とかに変貌する筈だ。

またそこで勉強をしたり書き物をしたりして「学びと創造の部屋」にしていくつもりでいる。

ところが空虚に整理された我が部屋に入ると何かしら或る種の虚脱感と精神的なエネルギーの急激な落下を感じたものだからそのことについて考えたことを書き綴ってみたい。

カオスとはグーグルで引いてみると『物事の創造の前の「原初」の状態』とあった。
それは宇宙の創造とか世界秩序の創造とかゴチャゴチャになった事柄、混乱して無秩序の状態から物事の分化、生成、分類を繰り返しながら、言うならば整理されていく過程の前の状態と言って良い。
その状態は或る種の高いエネルギーを発していて、筆者自身の心についてもそのカオスにあった院長室が何かしら不思議な精神的緊張を強いていたようで、それが整理された途端に緊張の糸が切れて弛緩してしまったようだ。ついでにいつもの乱雑ながら調子の高い心のエネルギーを失ったような按配なのである。
これは思いもかけない心の状態で、カオスにもチャンと意味があるのだと感じ、考えた次第である。

筆者の親しんでいるスポーツのバスケットボールにもこのことが当てはめられる。
特にオフェンスだ。
守備と攻撃が瞬時に入れ替わるバスケットボールという競技には瞬間的に攻守交替の瞬間に「カオス」の状態が生じることがある。
この高いエネルギー状態、混乱状態にシュートを打ってしまうというのが最も効率的な攻撃法ではないかと考えるのだ。

これは理にかなっていて、敵方のディフェンスが「マンツーマン(1対1で守る)」にしろ「ゾーン(陣形で守る)」にしろ、一瞬崩壊していてとても守りにくい状態にある。
この隙をついて攻撃するという戦術。
プロのバスケットボール「Bリーグ」にしろ「高校総体」にしろ「大学リーグ」にしろ、ゲーム(試合)を観察しているとこのことがよく理解できる。
彼らはショーバスケなので観客に「見せる」為にカオスより「5対5」の攻守で個人が一騎打ちをしている。

即ち攻撃のカタチを整えようとしてゆっくり攻めている・・・たとえばポイントガードのゲームコントロールの為の「待て」のドリブルとかで攻撃の時間が長くなるとお互い(敵と味方)のひとつのカタチが出来上がってしまい「守りやすいけれど攻めにくい」という状態になる。
もっと具体的には5対5の攻撃になって時間もかかるしシュートの確率も下がって味方の動きも鈍くなって良いことはない。

この状態を突破できるのは一人の格段に優れたプレイヤーのワンオンワン(1対1)が最も効率的で単純で良い攻撃スタイルの選択肢と思える。また普通5対5の攻守ではそれぞれ責任感が数字上は1/5に分散されて、結果得点できないことが多くなる。

これらのカラクリは人間社会に限らずすべての分野に適合される。
たとえば国家のつくる制度である。
運転免許の更新時の講習を受けると法律がどんどん増えて行って文字数が増加し教本が分厚くなる。

医療制度のみならずあらゆる分野で整理整頓が進み、結果社会全体が窮屈になり身動きが取れず人々の心のエネルギーは年毎に委縮して衰退していっているように見える。
これが所謂先進国における社会状況で、人々は気力や活力を失い、為に繁殖力をも落下させ縮こまって生きている。

ついでに「監視社会」という言葉もあるらしく、街路にも家にもいたるところに監視カメラが設置され、車にもドライブレコーダーが取り付けられ営業車、たとえばタクシーやバス、トラックのドライバーの気持ちや「ヤル気」を著しく萎えさせている。

あの戦後すぐの「動乱期」は何だったのか。
幕末から明治にかけての「激動期」は何だったか。
それらの時代を生きていた人々の心を揺さぶっていたのは混沌(カオス)から整理整頓に向かうエネルギーだったのではないか。
中国、インド、ベトナムなどの経済の成長発展はこのカオスが残っていてエネルギーを高めているのではないか。

ここで提言である。

「敢えてカオスを作り出す」

これを人間の心にも社会にも、はたまた自然界にも応用してみたら何かしらのエネルギー上昇が得られるかも知れない。
少なくともスポーツにおいてはこの「カオス理論」はよくマッチすると考えている。

ビジネスの場面でもドンキホーテなる雑貨屋のチェーン店では一種のカオスを店内に作り出して販促している。雑貨屋というくらいで「雑然」とかカオスが売りなのかも知れない。
また仕事の出来る作家とか医者とかの部屋が書類や文献や書籍雑誌がうず高く壘壘と積み上がっていて個人的にはとても「安心」する。これもカオスと呼べるかも知れない。

ありがとうございました
M田朋玖



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