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■ 浮気と逃走 | 2018.12.19 |
これもNHKの特集番組で一度観たことがあるが、人間の本能として男女共に、基本的に、恒常的にその欲求が存するらしい。 これは個人的にはとてもオソロシイことのように思えた。 ・・・というか何故か瞬間的に軽い絶望感を味わったものである。 かく言う筆者の場合も結婚・離婚を含め、こと「別れる」となった時にその決定的要因というとやはり「浮気」であったことに気づかされる。 自分の浮気が2件、その他は相手の浮気である。 割合は2対8で相手が多い。 この結果はあらためて書いてみて驚かされる。 「浮気をされる」というのはとてもイヤなものである。 先日ネットの自己診断テストで判定したところ、浮気されやすい男の特徴というのがあって結構高得点であったことがイヤに腑に落ちる。 @相手を責めない Aシッカリと掴まえていない B態度が何となく冷たい C自分の感情を表現しない D正直でない ・・・などの項目で浮気されやすさがかなりのレベルで高得点であった。 ・・・で相手の好意をそれほど失った風でもないのに何となく浮気(相手側)が分かってしまい「別れ」に至るのである。 相手の女性は多くバレていない・・・と思っておられるケースが多いが、自分が特別勘の鋭い男とはいえないにしても何となく自然に色々小さな情報を継ぎ合わせるとそんな結果(浮気)が導き出されてしまうのである。 そのうちに誰か周囲の人がこっそりと耳打ちをしてくれて「別れ」という結論に至るのだ。 他の男性はどうか知らないが筆者の場合、相手の女性が浮気をするとどんなに好きだったとしても相手の女性の価値(?)が一気に下がってしまって表面的にいくら取り繕っても精神的にも肉体的にも受け付けなくなってしまうのである。 自分としては特に潔癖症というワケではないし神経質でもないのに概しておおらかで大雑把なタチであるのにこの浮気という行動、結果には心の底で決して許していない・・・ということを感じる。 モチロン相手の女性を激しく罵ったり、責め立てたり、問い詰めたりなどはしない。 静かに黙って離れるだけである。 ・・・であるので突然の別れにビックリする人もいれば割と冷静に淡々とそれを受け入れる方と二通りあるようである。 個人的には女性を心から信じ切っていないので常に疑い目線で見るワケで、大雑把に言って大概の女性は浮気を経験されているように思えるし、今さら特に驚くべき事実でもない。 そういう事実も含めてかなり寛容的に対応している男性も多いが心の底ではどこか許していないのではないかと想像としている。 男の心の中には慈母のような聖母のような純愛をどうしても生身の女性に求めてしまうところがあるようで、映画や小説などの物語でもあまり現実味のないとても貞淑な女性を登場させてくれるが、最近ではかなり嘘臭く感じてしまう。 世の中にはとても仲の良い相思相愛のカップルがあって極めて幸せに円満に睦まじく暮らしておられると思うが、どうしてもその反対の浮気とか不倫とかの道ならぬ恋とか世間から見ると禍々しい背徳の情事に身を投じて溺れかけている・・・もしくは遊び楽しんでいる人も結構おられて色々な事件や物語を社会に提供してくれる。 この頃は人々も世間も驚かなくなったが、個人的にはやはりこの問題は重大な問題なのである。 自分の浮気は許せるけれど相手のソレは許せない・・・なんて自分勝手も良いところであるがガラスのような繊細でデリケートな妄想と良くないイメージが一気に心を凍らせて、まるで外敵でその頭を素早く納めてしまう亀のように固い殻をかぶってジッと身を縮めてしまい滅多に・・・というか殆んど全く再び首を出さない。 こういうところは自分でも嫌になるほど心が弱いので最近まで神仏にすがったり祈ったりするほどであった・・・その苦しみ、相手の浮気の妄想に耐えきれないという程度が著しく非道くて。 こういう点において自分に相当の自信の無さを感じるし、情けないと思っているが実のところどうすることもできないでいる。 この心理・感情は恐らく幼時体験に基づいていると思える。 母親との相性の悪さ、父親の酒乱、家内の激しい騒乱など女性の愛についての不信を募らせる幼い頃のトラウマが原因と思われるのでそうそう簡単には解決できないであろう。 かなり根の深い問題が心の底に潜んでいる気がする。 家族関係、家庭問題、男女交際の問題、仕事以外に生じるさまざまの精神的葛藤の根底にこの女性を「信じる」というテーマがあって、大人になっても時々この痛みがチクチクと胸を刺す。 この時、不思議なことにそれほどの不快感がない。 こんな心理状態の時に最も多く選択しているのが「逃げる」という方法だ。 とりあえず逃げる・・・みたいな。 幼い頃、夫婦喧嘩の原因にされたり直接的に暴言だったり暴力だったりから自分を守る為の行動が「逃げる」であって何が悪い・・・といった開き直りもあるし、他の選択肢が当時(6歳〜10歳)あったとも思えない。 家内の騒動、それも気配が生じただけで早々と逃げの体勢に入る。 とりあえず寝間着を普段着に着替え、2階のトイレにソロリソロリと足音を立てず素早く移動する。 そうして小さな窓から月光に照らされて青々と輝く屋根瓦に滑り出て、いくつかの瓦の起伏を越えて何とかかんとか裸足で冷たい地面に降り立つ。 心からホッとする瞬間だ。 そうして子供心に思うのだ。 家庭というのはとても危険なところだ。 親の愛も保護もそれはそれは有難いものではあるけれど、少なくとも夜の街に彷徨って得られる自由と孤独よりもやすらかではない・・・と。 青々とした闇に沈む町の屋根々々を眺めながらしみじみと思うのだ。 女は厄介だ。 それが母親なら尚更。 それは自分の愛してやまない自由を奪い、渇望する欲望を制圧しようとはかり、プライバシーを破壊する魔物だ。 甘い郷愁などひとかけらもない激烈で過酷な存在。 そうして自分の嘘を暴き、辱め、結局は裏切る。 実際の母はとてもそんなことはない。 とても知的で情が深く、夫や子供に尽くす献身的な女性であったのであるが・・・。 しかし子供の時の或る一瞬の閃光のようなマイナスのイメージが脳裏に焼きついてしまっている。 「自分は女性に愛される価値はない」 「少なくともありのままでは」 これが所謂、幼児決断というものでその為に自信を持って女性の不貞を決して許さないという結構狭量で胆の小さい男に堕ちたままでいさせているのだ。 多分。 こういうマイナスの心理構造について人に堂々と勧めることはできない。 ありがとうございました M田朋玖 |