コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 東京秋物語2018.11.22

平成30年。
今年は来年の天皇様のご退位の予定があり平成最後の秋、11月となる。
その中旬のウィークエンドに東京で講演会に参席することになった。
たまたま母校・東海大学医学部のバスケットボールクラブの納会とОB戦の予定と重なったのでかねてより夢であったそれに参加することにした。

土曜日の昼に到着した羽田空港には知人の黒いワゴン車が迎えに来てくれている。
首都高速から東名高速に入ると40年前の学生時代よりもはるかに混雑している。
それでも懐かしい風景がクルマの窓外を流れてゆく。
筆者を乗せたクルマは厚木インターを出て一路、東海大学附属病院へと向かう。
偶然にも大学の同級生にバス停で会ったので声を掛けたら「病院長」とのことであった。
禿頭と長身が若い頃と変わりない。
お互い立派な高齢者然としている。
ありがたいことだ。
試合開始前10分の午後2時20分に同病院の体育館に着いた。
「先輩です。OBです」と名乗ると全員が集まって来て直立して挨拶をしてくれた。
流石、大学生。
医学部とは言え意外に体育会系にしつけてあるようだ。
すぐに着替えて軽くウォーミングアップをしてゲームが始まった。
5分経過した頃「先生出られますか?」との声かけであらためて試合に出場することになった。
丁度、負けている展開であったのでそれらの流れを変えるべく「アシスト」と「ディフェンス」を意識してプレイした。
「ナイスシュート」「ウマイ」「ドンマイ、ドンマイ」など何でも良いのである。
プラスの言葉を大声でかけていると段々自然に盛り上がってくるようで最終的に52対78でOBの楽勝であった。

半分以上出場したが2回のアテンプト(試投)に対して1本のゴールを決めたのみであったが、それでも心から満足。
殆んど全員20代、即ち息子か孫くらいの年齢の若者と真剣にプレイできる我が肉体に心から感謝した。

若い後輩達も「信じられない」「驚異的」との言葉を発しているし、相手方の現役メンバーも年齢に関係なくしっかりとディフェンスしてくるのでシュートチャンスが意外に少なかった・・・それも或る意味嬉しいことではあるが。

大学病院を後にして再び知人のクルマで予約している東京のホテルに向かった。
夕暮れの東名高速を東京方面へ。
首都高速の六本木ランプで下りて赤坂のANAコンチネンタルホテル東京の玄関口で降ろして貰った。
お礼にいくらかのお札を渡して知人に別れを告げた。
家から持って来ていた玄米おにぎりと野菜スープと睡眠薬を飲んで早々に眠った。
コンビニで買って来た週刊文春を読みながら・・・。

翌日の講演会は「虎ノ門ヒルズ」メインホール。
午前10時〜12時。
ウトウトしながら聴いていると割と面白い。

終わって同じビルの中の「3rdカフェ」という3階にある茶店で娘と落ち合ってコーヒーを2杯飲みながら小1時間ばかり話をした。
彼氏のこと、結婚のこと、婚約のこと、母親のこと。
いくらか説教染みた論言を披露していたら両側に近接していた隣席の女性が静かに席を立って行った。
そりゃあ聞き苦しいだろう。
父親と娘のあからさまな会話など若い女性にとってこんなに不愉快な内容は無い。
真実をまざまざと見せられるのは誰でも嫌なのである。
自分の姿を鏡で映して見せられて喜ぶようなナルシストはそうそう多くはない。
痛いところを衝かれて傷つくというのが普通の父娘の会話と思えるが、我々は少しく変わっている。
筆者も小津安二郎監督の映画に出演する鈍くてダサい「お父さん」と同じなのである。
娘のことになると少しくアタマが突然「発狂」したような按配になるもののようだ。

お互いに帰路につく時間になり、同じビルのホテルの玄関前のタクシーに乗ろうと車の出入口に徒歩で入ったら警備の男性が二人で制止する。
つまり入口でも出口でも・・・。
これにはムカッと来た。
そこにタクシー乗り場があるのにグルっとビルをまわって玄関から入りなおせというワケである。
何と大人気なくもお下品に「ウルセー」と彼らを振り切って直接車の出入口を逆歩してタクシー乗り場に無理矢理辿り着いた。
このような不愉快な目には東京の中堅どころのホテルでは何回も味わせられる。

スペースの関係であろうが車廻しの玄関前の道路が狭小だと歩道が造れないのだ。
それで警備員を二人、出口と入口に配置して人が入らないように見張っている。
人件費がかかるだろうに。
狭細な歩道でも造っておけば良いんだろうけれど「都」の条例かなんかでも規制してあるのかも知れない。
「東京の人」はこれに従って大人しく玄関に向かうんであろうけれど田舎モンで65歳のジジイのこんな理不尽(?)なサービスに我慢がならない。

こんな感じは、不愉快な気分は飛行機に乗る前から始まって乗っている時にも起こり、東京についても延々とつづいてゆく。
東京という街の不愉快さはロンドンやパリよりイヤラシクて、それは一言で表現すると「杓子定規」という言葉に集約される。
とにかく融通がきかないのだ。
すべてにわたって。
1千万人以上の人口を擁し外国人の往来も多い為か治安・安全の為の予防的な措置、仕組がイマイチ面倒臭く田舎者の神経をトゲトゲしく逆撫でして観せる。

それで典型的な九州の山の中の田舎町に帰ってくると心からホッとするのである。
「東京」・・・冷っとする大都市。
親しみの無い作り笑顔。
ベテランのタクシーのドライバーとの歓談がいくらか心癒やす。
それと空港の入りにくい閑散とした書店のカウンターの女性。
「文庫なのにこの本高いわネェ」
人間の本物の言葉を久々に聞いた。
本当のコミュニケーション、心の通じ合い。
これは東京ではあまり普通には得られないもののようだ。

伝染しているのか鹿児島空港の老タクシードライバーすら「ツッケンドン」であった。
皆、人間であるのを早くやめたいようだ。
そんな風に思えるいつもの東京旅行の顛末であった。
娘の顔が見れたのがいくらか慰めであったが、その娘すら自覚のない東京病にかかっている。
「不純心」とか「非素朴」とか表現できる「心の病」。これは多分言い過ぎだ。ただ個人の印象としていつも感じていて共感してくれる横浜の友人もいるのでまんざら根拠のない論でもなさそうだ。

ありがとうございました
M田朋玖



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