コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 改名開運法2018.11.17

11月になっても暖かい日がつづいている。
仕事着もまだ半袖だ。
絶好のバイク日和とも言える。
気持ちの良い秋の日を楽しめる良期も地球規模の気候変化のシステムのひとつ「エルニーニョ現象」によると聞けば少しく季節の色調に異なる彩りを見てしまう。

今年は例年になく体調も良いのでバイクよりバスケにストレス解消行動のひとつである「遊び」の方法がシフトしている。
人生には限りがあるし自由に活動できる期間と言えば人によっては極端に少ない。
疾病、刑罰による留置・拘留・入獄、夫婦、子供、親、仕事など人間の自由を奪う事物は縄やロープ、手錠、足枷ばかりでなく数限りない。
とりわけ病気や刑務所はその最たる人間のよろしくない状態でくれぐれも用心して避けるべき重要な自由奪取要因だ。
社会のルール(法律)をよく遵守して飲食や睡眠、休養に気を遣うことで相当な自由を得られるが存外不用心な人が多い。
特に飲食には。

またこれらの用心をしていても不幸にしてそれらに見舞われる人もある。
これは「運が悪い」としか言いようがない。
先天性の病気、100%相手が悪い交通事故の例えば横断歩道を渡過中のクルマの襲撃、対向車線からの自動車やトラックの自線への侵入衝突、飛行機の墜落など。
頻度は少ないがそれらの事故や疾病の「種類」は数限りない。

しかしながら多くの人々はそれらの禍々しい出来事から免れてフリーでいられる。
或る意味、奇跡だ。
ありがたいことだ。
中でもその人物の持っている運気というものが強力に後押しすることがあって、名前における字画に潜む数字、ナンバーは世間で思われているより強力なようだ。
「姓名判断」というものの易学的な位置づけは現在ではかなり正確に定着されているように見える。
また経験的にも不運な人々の個人的な調査研究では明らかに凶数・凶名を持っておられて生年月日による判断と併せるとその個人の運命をかなりの高確率で的中させることができる。

たかが名前如きで・・・と思う方も多いのであまり口説口説しくは述べたくはないがそれでも近頃さらにそれらの傾向をハッキリと認知される人々が多いのであらためて書きつのっているワケである。
特に苦労のつづいた人については「改名」への進言を素直に聴き入れて貰って人生が思いもよらず好転してひどく感謝されることがある。
字画については今はネットで簡単に調べられるし、年末年始に書店に高積みされている易の本、たとえば「高島易断」とかを読めば割とハッキリと吉凶を「断」じてある。
特大吉、大吉、吉、凶、大凶などまさしくキッパリと書いてあって清々しい。
占う対象が人生という場合には掴みどころがなく茫洋として実態が定かではない。
それをいささか強引に数字的に分析して断じるワケであるし、それも生年月日と名前の字画という動かしようのない「数字」を観て判定できるのでこれほど人間の評価分析に適したものではないかと思うのであろうけれど「占い」というモノの世間的な認知の怪しさ、疑わしさがあって医学でも教育でも経済でも、つまり理系でも文系でも正しく認知・理解されていないのが現状だ。
それでも成功した経営者などはこれ(易占)をその経営に取り入れておられるようだ。

自分の持っているナンバーで絶対動かしようがないのが生年月日で、これに生まれた時刻でも加えたらその人間の持っている運気・運命のみならず職業選択や配偶者選びなどに相当に有益で役に立つ。
また基本的な潜在能力などその人間の殆んどの情報を得ることが出来るらしい。

この動かしがたい数字に対して名前というのは戸籍上はともかく改名によって「改める」ことが可能だ。

芸能人の持つ芸名、作家の持つペンネーム、ネットにおけるハンドル名など自分の呼称を変えるのは基本的に自由に出来る。
これらのアイデアを親から貰った名前だからと頑なに「改名」を拒む人がおられるが、これは極めてモッタイナイ。
改名は実に簡単な開運法で自分の持っているナンバー変更だけでこれにより病弱が健康に、貧乏が裕福に、不幸が幸福に、不運が幸運に変化できるかも知れないのに・・・と思える。

親がテキトーにその時の思いつきで付けた名前なのにそれに固執するなんて「アリエヘン」と思えるがどちらかというと強烈に不運・不幸な人々に改名について「頑な」な傾向が強くて、この「改名できない」ということも不運の中に含まれているのかも知れないと考えている。
比較的運気の強い人の場合、割と安易に「改名」のアイデアに乗る方が多い。
そして運気が上昇する。
人生の後半生にこれが起こると相当に嬉しいらしく感謝される度合いも大きい。

たとえば悪い名前の筆頭は意外にもあの偉人とされる吉田松陰だ。
「総画」を占うとハッキリと凶とあって改名を勧めてある。
彼の人の人生を評伝で読むと確かに立派な人で立派な言動が数多く見られるが一人の人間の人生としては「どうかな」と思える。
最終的に立派な犯罪者として獄死というか刑死したワケであるし、年齢も29歳と当時も今も明らかな早逝だ。

歴史上の人物として「立派な人」とは思うが事に当たって言動、行動が「軽率」という印象が強い。
また発する言葉もどちらかというと過激だ。
親からすると危険な感じがして怖いと思われたかも知れない。
当時(松陰の時代)では典型的な思想犯に当たるので「過激さ」は売りであろうけれど自分の長生長命というものも、それそのものが時には親に対しての「孝」であり、国家に対しての「忠」と思えるがいかがであろうか。
比較的改名が盛んであった江戸時代でも恐らく改名の意見具申を拒むタイプの人物であろうと推測している。

ありがとうございました
M田朋玖



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