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■ 敗北の方程式 | 2018.11. 4 |
これは大きく言うと「油断」とか「傲慢」とか「驕り」とかの精神的な堕落で、どんな勝負事にも該当する定番的な心理状態から生まれる。 「これで良い」と言った安心感は逆効果のことが殆んどだ。 不思議ではあるけれどひとつの方程式と言える。 平成30年10月28日の日曜日。 ほぼ地元である同じ郡市に所属する多良木町の町営体育館で行われた熊本県のリーグ戦の結果は名の知れた強豪チームでもないのに昨年の敗北の雪辱も果たせず「惜敗」してしまった。 試合前の全員によるミーティングでも戦略もあり手筈も整えて、とりあえず「準備万端」であったのにゲームが始まると最初から空回りであった。 シュートが入らない。 つづけざまに5本以上落としている。 こういう現象はプロバスケのアルバルク東京、千葉ジェッツ、栃木ブレックス、川崎ブレイブサンダースと言った強豪チームなどでも時々起こるようである。 たとえば千葉と川崎の戦いでは千葉の第1クオーターのシュート確率は何と10%、即ち10本打って1本しか入らない。 167cmと短躯のスター選手、千葉ジェッツの富樫勇樹のループシュートたった1本にとどまった。 これは他の選手にも連鎖的に伝染するようで、見事なほどプロとは思えないシュートのハズれ方だ。 録画している他のBリーグのゲームをよく分析してみると、第1ピリオド(通称1ピリ)に10点前後と低い得点だと結果的に20点以上差をつけられる「惨敗」のパターンが殆んどだ。 これはシューターもその他のメンバーも「シュートが入らない」ことを恐れて「シュートを打たない」「シュートまでの時間が遅くなる」という「心理反応」即ちシュートに慎重になる・・・ということが攻撃についての「消極性」を生じさせ結果として自軍のロースコア(低得点)になってしまい相手方は点差の関係で悠々とシュートを放ちハイスコア(高得点)を実現させ所謂「楽勝」パターンとなる。 一方我らが人吉クラブのメンバーは時間を意識して速い攻撃をつづけジワリジワリと追い詰め第3ピリオド、第4ピリオドはあと1ゴールで同点というところまで漕ぎつけた。 大したものである。 ただ残念なことに最後の1本が決まらず結果的に敗戦となってしまった。 一方敵方には170〜175cmくらいの痩せて小柄ながら動きの俊敏で全試合時間を通じてスタミナの全く衰えない攻撃のかなめとなるポイントゲッターが一人いてこの選手だけが確実にシュートを決めてくる。 相手方の総得点の50%以上、即ち49点を入れたらしい。 それも1対1(ワンオンワン)で・・・。 どうしても抑え込めない。 そのディフェンスに夢中になって自分達の得点についておろそかになったのかも知れない。 いつもの勝利パターン、100点ゲームが最後まで実現できずに惜しくも時間切れとなってしまった。 課題はやはり「消極的な心」と絶対的に「決め切れるシューター」の不在なのではないかと思える。 ゲームの最終局面で「決める」自信と能力のある選手をまず選択、決定しその為の練習が必要かもしれない。 バスケットボールは構成メンバー5人と少人数ながらシュートを打つのは当然ながら1人だ。 また相手方はそれをしていた。 聞けば前回当たった強豪チーム・玉名クラブに20点差をつけて勝っているとのことであった。 前記した「楽勝パターン」でやられたのだ。 その点我がチームにはまだ救いがある。 楽勝はさせなかったし敵方も相当ハラハラドキドキであったとうかがえる。 心理的にも相当に追い詰めた筈である。 実際に何回もタイムアウトを取らせた。 少なくとも試合全体を眺望すると1ピリ(第1クオーター)以外の3ピリ(第2,3,4クオーター)は我がチームが点数的に勝っていたワケであることだし・・・。 負けは負けであるがそれでもこの敗戦から学んだことも2つある。 @第1クオーターの入り方 これはシュートをハズし過ぎたら・・・それは3本から5本ならただちにタイムアウトを取って「立て直し」を計ること。 即ち「入るシュート」の為の工夫をすること。 少なくとも「流れを変える」ということをするべきであった。 ベンチの「リーダーシップ不足」である。 1ピリの得点は10点ソコソコ。 これでは完全な負けパターンだ。 相手は25点も入れているのに。 A第4クオーターの負けている局面の工夫 これは同じディフェンスだけでなく1本を決めるプレイ。 プレイヤーの選択と決定と練習だ。 「必ず入れる」 この練習が要ることも痛感したゲームであった。 アテンプト(試投)を減らさないことと同時にシュートの精度を上げる練習も本格的にするべきである。 後者は毎週の練習の個人の目標であるが、これまた考えた以上に難しい。 プロですら大変なのに・・・。 ただし、ひとつだけ言えることがある。 「俺が得点する」という強い決意と技術のある選手が勝利側に必ず存在するということだ。 これは厳然とした事実。またそれを認めるメンバーの犠牲的精神も要る。 選手、メンバーの多さではない。 一人の飛び抜けたメンタルと上手い選手の存在も絶対的に必要なのかも知れない。 ありがとうございました M田朋玖 |