コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 女系家族2018. 9.14

どこの子供も母方の親族の影響を強く受けてしまうようだ。
理由は分かっている。授乳期の母子関係がその因だ。
一番大切な人間関係の基礎がこの授乳期に強力に形成される。30センチの視線距離と美味しいミルクの組合せが蕩けるような甘い関係性を脳内に構築する。
筆者自身ですらほとんど90%程、子供時代は母方の叔父叔母の影響下にあった。
今でもそうである。
父方の親族も数多くいるにはいるが殆んど交流もないし強い親近感もない。

これは世界的にどこも同じ傾向にあるらしく、油断していると一族は母方一族へドンドン流れていく。
それを押しとどめているのは霊的行動、即ちお墓の存在とお墓参りであるようだ。
墓石に刻まれるのは姓字である。
つまり父方の姓ということになる。
これは実際の心理状態と霊的状態が分裂しているとも言える。
これらの関係性は特にお嫁さんと子供にとって非常に迷いやすいことで、或る意味血族と霊的集団との分裂があるとハッキリ認識しておいた方が良いだろう。

賢しい嫁は直感的にこれらのカラクリを理解し、家族一族が分裂しないように慎重に行動するものであるが、或る程度、知識・情報としてこの問題を諒解していなかったりすると、時々とてもヤヤコシイ事態に立ち至ったりすることがある。

母方の一族、つまり嫁の実家の影響下にある自分の子供を心理的に操作することはできないが単に知識としてアナタは〇〇の姓名を持っているのであるからこの姓名のお墓に参るべきであって、みだりに実家(母方)のお墓に参るべきではありませんヨ・・・とか安易に嫁が実家に帰るものではない・・・と昔の日本映画にあったように厳命しておくべきであるが、ここら辺の事情を呑み込めないでいると自然にしていて女系の実家に吸収されてしまうようである。

筆者の両親を例に挙げると父方は、戦前は大地主で神社の宮司と公務員を・・・役場勤めをしていたらしいがご存知のように戦後の農地解放で土地を奪われいくらか貧窮した時代があった。
一方母方は造り焼酎屋でいくらかゆとりがあったようで、今は一時期の焼酎ブームの天風に乗ってさらに裕福になっている。

父方は武士の家系で、豪農とまではいかなくても地主ではあったらしい。
母方は、身分は知らないが巨きな屋敷を持つ素封家であったようだ。
そういう比較的恵まれた一族の間に出来たのが、筆者なので或る意味、強力に霊的に守られていると考えられる。そのことに関しては実母とその父親(祖父)のチカラは極めて大きいと思える。つまり母方の知的レベルの好影響だ。
以前にも書いていたが母が嫁して来て潰れかかった家を再興したと言える。
その時に発揮したチカラの一番が霊的行動なのではないかと考えている。

実際は母方の叔父叔母の力を借りながらも霊的には父方の力を拝借したと言って良く、それは母が独学で仕入れて来た本の知識のお陰といえる。

過日、強引にとり行った両親の法事(40年忌、15年忌)も集まったのは9割がた母方の親族であった。
この現象は思い出しながら唖然としたものであるけれど、その時には誰も不思議に思わなかった。
この父方の親族との縁の薄さの一方で自らの姓とは異なる母の実家との付き合い、御縁がつづいているというのも何とも不可思議なものの、この叔父たちへの親しみは特別なもので、今でも会うととてもホッとするし癒やされる。

一方父方のそれはどこかしら異星人のような違和感があって、容姿なども異相と感じる。
どちらかというと父方の方に容姿の優れた人が多いのにである。
父方の親族、叔父や従兄には背が高く俳優さんのような美女美男が多いのに親近感を少しも感じない。
一緒に過ごした長さにもよるだろうけれど、何しろ親族が神奈川県や東京に在しているのであるから。
接触頻度の問題があるとしても全体としての流として自分自身が母方のエネルギーに強く引っ張られている感覚がある。これは我が子等にも言えることで、配偶者(妻)側の親族との交流の方が本家の親族のそれよりもはるかに頻回のようである。
これは今現在、特に感情を害することなく眺められるのは知識情報として「知っている」からであって、これを知らなければひょっとしたら心穏やかではなかったかも知れない。

最近凝っている「家系学」的な個人や家族の分析では明瞭に、霊的には「父方」現実生活については「母方」と割り切っている。
実際に筆者自身も母とその一族には大変お世話になっている。
ただし仕事とか公的には意外に父方の血族・部族が深い御縁があって患者さんの来院傾向とかスタッフの就業関係については不思議に父方の勢力が圧倒的に強いような感触がある。
ビジネスでは父方と言えるのは或る意味理にかなっていて「父」は多分に象徴的に仕事や社会の代替者であり「母」は家庭・家族・一族の代表格と捉えると諒解しやすい。

「兄弟」は仲間であるがやはり仕事的、社会的であり兄弟仲良いことも、ことビジネス上は相当に有利と思える。
兄弟不仲の為に本来は順調に成長発展するべき筈の事業が停滞したり、頓挫したりする事例は結構多く社会に散見されるようだ。

日本経営合理化協会の会長である牟田学さんの言でも「一族郎党」大切にすることが事業の永続発展に欠かせないとあったが、霊的問題を考慮すると心底「腑に落ちる」論ではある。
ご先祖が喜ぶことをするという意味では一族の社会的名誉を高めると同時に兄弟を含め親族血族を保護、援助することは個人の人生だけでなく携わっている仕事や事業にも好影響を与える・・・と考えられる。
そういう意味ではあまりに女系に流れていると少なくとも社会的、仕事的成功は望めないかも知れない。
子供時代は母方、大人になったら父方と分けて考える方法も良いアイデアと思える。

女系家族は一般的に貧窮している傾向があるように見える。
思いちがいかも知れないが、やはり霊的な加護が弱くなってしまうからかも知れない。
残念ながら父方の一族はどうも女系に流れているようで、成功したり裕福であったりはしていないようだ。
少なくとも父の兄弟の長兄(実父は二男で実祖父の長兄の養子になり一族の長となった)の長男、即ち従兄は、とりあえず結婚はしたが相手方の養子のようなカタチであるらしく、また子供もいない。
長男の長女は60歳を過ぎているが全き独身である。

つまり確実に「絶家」に向かっている。
勿論。本家のお墓参りをする人々ではない。
残念な事実、現象である。

その一族一家の盛衰は、その「嫁」が握っているのであるから、大きく考えると人類の未来も女次第と言えるかも知れない。女系家族の問題点を極言するなら「霊的混乱」という言葉で表現できる。近頃はこれが日本国内で頻生している。自国の衰滅の予兆を見せられるのは辛いものである。女系云々は良しとして、何とか出来ないものだろうか。

ありがとうございました
M田朋玖



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