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■ 駐車場問題 | 2018. 9.11 |
愚コラム「駐車場」のつづき。 町の活性化策としてさまざまな建築物が建てられているが、この駐車場を中心に据えた類を見たことがない。 これは何度も述べているように大手ショッピングモールの完勝だ。 たとえば駅前の活性化。 我が町、人吉市でも最悪の駅前広場を造ってしまって平然としている。 それで周辺の飲食店、お弁当屋などは大変な迷惑をしていると聞く。 それはクルマを完全に排除しているからだ。 コンクリートか石造りだかの広々とした無駄な空間を駅前玄関正面に占拠させてしまっている。 「カラクリ時計」と称する地元の伝承芸術品をその中心に飾っているのは良い。 観光の目玉のひとつになっている。 だからと言ってクルマを排除して良いということにはならない。 人口5万人に満たない田舎町の駅舎だ。 別に不必要に立派につくる必要はないと思う。 クルマを横づけでき荷物をいっぱい持った乗客の利便性をはかるのがスジであろう。 またクルマで乗り付けて鉄道を利用するお客さんも多い筈だ。 駅前はそんな配置であるのに駐車場は10m以上離れた場所に、それも「有料」で設置されている。 勿論利用者は殆どいない。 大都会の駅なら多少は許されるかも知れないが、そんな駐車場を利用する人などいるワケがない。 当然のようにこれを実行した時の市長は落選した。 いったい誰がこの駅前の「構造体」を設計したのであろう。 諄いようだがクルマを運転するのも「人」なのである。 日本人の考え方、思想の中に人とクルマを分けるという感覚があって、この造形が出来上がったのかも知れない。 「クルマは危険」「人にやさしく安全に」というコンセプトであろうか。 今の日本の社会ではクルマにやさしくないと街の繁栄はないと断言して良い。 特に田舎町ではすべからくそうなっている。 今でも地方都市の駐車場不足はつづいている。 鹿児島駅、熊本駅、福岡駅、宮崎駅などいずれも駐車場については充足しているとは言い難い。 これは全国の空港の方がはるかに洗練されている。 勿論立地的に自由度の大きい郊外に空港が存するという理由もあるだろうけれど。 殆んどの空港の玄関前には広々とした駐車場が広がっている。 大都会の空港、たとえば羽田空港ですらその大規模さに応じてとりあえず量的には巨大な駐車場ビルが整備されているようだ。 それがこと鉄道となるとこうも遅れているのは何故かと考えた時にやはり歴史の長さというものが人々の潜在意識の中に過去の辛く重苦しいトラウマのように鎮座しているのかも知れないと考える。 「駅とはこういう風な形態だ」というような思い込みである。 しかしながら「新」と冠につく新幹線の駅には充分な駐車場が完備されていることがある。 分かっているのだ。 理屈として。 ただこれまでの歴史のしがらみと呼ばれるような亡霊に侵された都市にある駅はさまざまな土地の所有者や行政人たちの、主に金銭的な思惑が交錯して全体から見ると極めて奇妙キテレツな「駅前再開発」という呼称のいびつな建築物群が自然的に生じるのだ。 そこに人の動き、特にクルマの動きを配慮して経済活動を促さない構造が生まれる仕組みが出来上がっているのであろう。 再開発という言葉の中には最初から不純な動機が潜んでいるものなのかも知れない。 「首長」を中心に蠢いて建設業者、不動産業者など種々の利益追求者たちが集まって来て正当でない「利」を授かろうと暗躍している・・・というような妄想をしてしまう。 それらの結果として駐車場問題が置き去りにされるのだ。 恐らく。 それでも自走式の立体駐車場や地下駐車場などは立派な構造物、建築物であるので所謂「利権」問題にも整合していく筈であるから、普通の商店主や物販業、飲食殿との利害調整さえうまくいけばひょっとしたら駐車場を中心に据えた美しく理にかなったまっとうな町の活性化、駅前再開発が実現できるかも知れない。 「クルマにやさしく」を実現しているのは今やワールドブランドのコンビニエンスストアやイオンなどのショッピングモールである。 それでもまだ充分でない。 長いヒサシや屋根付きで雨の日も濡れないとか段差を極力小さくして、たとえば外国のスーパーカー・フェラーリとかランボルギーニとかでも難なく駐車できる素敵な、フラットな駐車場があればセレブのお客様も高級な品々を買いに来れるかも知れない。 かつても今も日本、イヤ世界中でクルマにやさしい町づくりを実現している町は少ない。 アメリカの高級住宅地ですらバンプと称する意地悪な隆起が横断歩道などの手前に造ってあって普通の乗用車ですらよけて通りたくなる。 ましてやフェラーリが通ることはできない。 人間生活は常に共存なのだ。 特に利便性を追求するなら人間の運転する、運搬する「乗り物」の代表であるクルマに配慮した家づくり、町づくり、都市の設計が不可欠なのではないだろうか。 駐車場問題は少しずつ進化しているように見えてその歩みは遅い。 田舎町ではまだ古色蒼然としている。 市内にある老舗の飲食店では「夜の店」と併存しているのに我が物顔に自店の駐車場にワザワザ鉄柵を張ったり鎖を張ったりする。 閉店が早いので開放しておけば夜の店のお客さんも助かると思うのであるが、それらを「地域の人に使ってください」というようなセンスはお持ちでないようである。 筆者の「店」ではロープは勿論、立て札すらない。 通りから通りへの渡り廊下のように私道(駐車場)を地元の人々に「通って下さい」と言わんばかりに開放している。 ありがとうございました M田朋玖 |