コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ ハッタリ2018. 9. 5

世の中の8割はこれに騙される。
立派な家、クルマ、衣類、ブランドバッグ、装身具、風貌、体格などなど数え上げたらキリがない。
生まれつき容姿や頭脳としてそれらを備えた人間の場合、或る意味人生の勝利を勝ち得たと思われるような少年少女とか若者を時々見かける。

美しい容姿、立派な体格、弁舌、運動神経などである。
それらの努力をしないで得ている天与の「恵まれた」見た目も言うならば充分にハッタリと成り得るので、そのような人々のケースでは敢えて持ち物や着衣でのハッタリは無用だったりするか、もしくは逆に邪魔すると思える。
チョット古い例であるがアラン・ドロンのような容姿の人物がクルマや家はともかくブランド品で身を固めたら想像しただけで「変」であろう。
逆に自分の中身の見た目の価値を下げてしまうかも知れない。

いずれにしてもこのハッタリ商売が世の中にはかなり多くはびこっていて多くの人の心を思い切り惑わす。
特にクルマ、アパレル、肩書き、家、ブランド品など。
小さなハッタリとしてブランド品というのがあるが、これは個人的な感覚では逆に貧しく見える。
即ちハッタリきれていない気がする。
ハッキリ分かる裕福な人で、バッグや時計のブランドを身につける人は少ない。
やはりクルマや家がハッタリの最優品である。
中にはボートや飛行機もあるし、昔はゴルフというのもあったが今は大衆化してこれもハッタリが弱くなった。
ハッタリというのは極言するなら虚栄、美栄であるから本質的に「中身がない」ということをまざまざと現している。
それでもステータスシンボルではなくなったとされる自動車であるが、これは適当にハッタリが効く。
特に新車の高級車であるそれらはとても高価である。
気軽に乗れる人は少ないし、相当お金に余裕がないと簡単には手に入れられない。
そういうクルマを所有することを「夢」とする若い男性も多い。
日本の税制では「経費」に計上できるらしく、儲かっている会社の経営者や役員、開業医などはそれらを「節税」と称して(実態は違うか?)それらの購入・所有がしやすくなっている。
社会活動における経済効果としても、個人の満足感としても、ハッタリとしても優れている制度であると思える。
特に専門職である医者の場合、替わりがいないので安全性という意味でも高級車は理に適っている。

個人的に今現在、個人的にクルマで悩んでいる。
レクサス、プジョー、カワサキ、ヤマハとそれぞれクルマとバイクを4台も所有しているので何かしら「後ろめたさ」と「無駄」な感覚がある。
1台の乗りやすいクルマにまとめてバイクも250ccで車検なしのバイクに乗りたいなあなどと最近はハッタリをやめて少しくマットウな慎ましい庶民のレベルに戻ろうかなあなどと考えているが、周囲の人はこれをあまり快く思っていない風だ。
安全性の問題もあるし何よりもトップであり会社のシンボルであるので少しはハッタっていて欲しいもののようである。
客観的に見ても自分のところの社長さんがあまりみすぼらしいクルマに乗っていたら恥ずかしい思いをするものなのかも知れない。

自分のとことのボス(社長)があまりにショボイ車、例えば軽自動車などに乗っているというようなのは「見た目」的にあまり芳しくないであろう。
以前に事務長にしていた男は見た目も風采がイマヒトツだったがいつも軽トラに乗っていた。
この男は結果的に詐欺師たちの手先になって筆者を裏切ったのであるが、どこか「変わった人間」というのに気をつけたが良いようなきがする。
つまり適正なハッタリ、身なりに問題がある場合「凶の人」と見做すべきかも知れない。

実際に友人の開業医が軽自動車だったり、普通の安価なファミリーカーだったりすると何となくというかその所有している人物ですら貧相で「格が落ちる」ように見えてしまう。
実際にそうでなくてもそう見えてしまうのは事実である。
この先生も結局自院を倒産させてしばらく「わたり職人」のような医者稼業をしていたがあまり良い話は聞かない。また個人的には好もしいポンコツ車も、乗っている人の運気も下げてしまうらしい。気をつけたい情報である。
以前古いボロボロのパジェロに乗っていた時、丁度10億円もかけて老健施設を建てた頃だ。建てた建設会社の社長からキッパリと「見苦しい」と言われ今でも耳に残っている。めちゃめちゃ気に入っていたのに。そういうものらしい。ハッタリが弱いとは。

このように人生生活においてその身分に応じて或る程度「ハッタリ」を持っておくのは正しいことなのかもしれないと最近少し考えるようになった。

実際に欲しいクルマはマツダのデミオで、オートバイもカワサキの250ccくらいと思っているのであるけれど、これらは結構安価であるし、乗りやすいし、乗っていて楽しいと思えるに、この「ハッタリ」の問題が残っていて決心と行動を躊躇させている。

どうも夏から秋にかけてはテンションが下がるようで、すべての所有物が「重荷」に感じてしまう。
あらゆる人間関係を断ち切って所有物の殆んどを捨て去ってサッパリしたい・・・欲求がふつふつと心に湧き上がる。

昨年kawasaki14Rを90万円以上で手放した時には結構サッパリしたものである。
その後もっと重くて大きいバイク、ヤマハFJR1300を購入した時には嬉しさ半分、また「やってしまった」みたいな罪悪感がまたぞろ生じてしまった。

車以外にハッタれる物品を所有していないけれど、筆者の最大にして唯一のハッタリは「医者」という肩書である。
これは社会的にまだブランド力があるようで、心理的にはこれに寄りかかっている。
勿論誰にでもそれを吹聴したり名刺を配りまくったりしているワケではないし初対面の人には出来るだけ秘匿するようにしているが心の中の「よりどころ」としてのこの「資格」はそれほど軽々なものではない。
世の中を見まわしてみると、多くの人はコンプレックスやひけ目、アレルギー(精神的な)虚栄心を刺激あるいは「解決しますよ」というような人間の持つネガティブな自己感覚、即ちコンプレックスを悪用したビジネスが数多く存在しているので用心したい。

このような心のカラクリで「心の豊な人」は多くのコンプレックスや罪悪感、自己不全感、偽りの自己イメージで悩まされることがなく、結果としてハッタリを求めて無駄な買い物をせず結果的に裕福になる、即ち「物質的にも豊かになる」と考えている。
心が穏やかでゆったりしているのも豊かな人間、裕福な人間への道で、さらにそこに喜びがあるなら正当な「ハッタリ」を目指す為に「頑張る」というのは特に男性にとっては「生き方」として全然マチガッテはいないと思える。

いいクルマ、いい家、いい女を所有したい、立派な肩書が欲しい・身分になりたいなどなど、究極的には「女性の愛」を勝ち得たいという願望が潜んでいることが多いのであるが、これは自然界の他の動物も同様の行動(身体が大きい、美しい羽根、声が大きい・美しい)などをするので大きく見るとこれも「ハッタリ」と総称して良いかも知れない。女性の場合にはこの理屈が微妙に違っていて、男目線では、少しもハッタリにならない。この女性のブランド好みは男性を意識したものではなく、女性同士の問題であるようだ。ブランドのバッグや小物を持っている女性を好きだという男性に出会ったことがない。
何となくお金が掛かりそうで敬遠されるし、時に個性とかセンスの良さを貶めてしまう気がする。少なくとも多くの男性が好む清楚で慎ましやかな「佇まい」が失われるように見える。

それらのあまり芳しくないハッタリ志向のある、若い女の子のいるクラブか何か行くとブランドの時計がモテるツールであったらしい。今はどうか知らないが。
こんな話は同じハッタリ話でもイヤな気分になる。

ありがとうございました
M田朋玖



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