コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 同級会2018. 8.28

今年も立秋を過ぎ、お盆も過ぎ、台風が次々と日本列島に襲いかかり、例年ことであるが多くの日本人を警戒させ苦しめている。
これで経済が成り立ってきたという歴史・・・スクラップ&ビルド・・・自然災害による破壊と新造が繰り返されて来たのでヨーロッパなどのように数100年前の石の建造物に人間が住まうという文化と木と紙と藁とで出来た住居で暮らす人間とではいくらか精神構造が違うのは当然と思える。

「はかなさ」
すべての物事や事象のうつろいやすさを日本人に植えつけたのもこの四季の豊さと同時に毎年いくつもやって来て何らかの厄災をもたらす台風という名のひどい悪天候だ。

それはともかく8月13日(月)、お盆の午後5時から小学校の「同級会」が市内を東側から見下ろす高台に建つ「華の荘」なる名称の所謂「老舗」でなはない白亜のホテルで開催された。

集まったのは30名弱の男女。
遠くは愛知県、近くは勿論人吉市内。
近所で時々顔を合わせる友人以外は殆んど顔を記憶していないし、また思い出しもしなかった。
不思議なことに名前だけが微かに記憶の底を刺激するようで、それぞれの参席者の胸に付けられた名札が眼を射て何かしらの過去を呼び覚ますのを感じて少しじれったい。
6年生の時に隣席に座したと述べておられた当時からとても利発であったと記憶している名前の女性が地元の国立大学の医学部を出て女医さんになっておられて「じぶんは6年2組で筆者が隣で前にこの人とこの人が座っていた」などとキッパリとのたまわれるので心から驚いてしまった。

本田真美という女医さんの書いた「頭の良さテスト」なる書物を読むと、子供時代のことを憶えているというのも「頭の良さ」の要件になるらしく、件の同級生の女医者さんはこの論と合致するように見るからにアタマが良さそうで同じ心療内科の開業医であらせられるらしいけれど専門医の資格もいっぱいお持ちだったりカウンセリングルームを立ち上げておられたりと筆者からすると元々の脳力に天と地ほどのちがいであるようにお見受けした。

各テーブルを活発に泳ぎ、立ち歩いて色々な人と盛んに楽しそうに交流をなさるお姿を拝見するにつけ、どちらかというとボーっと自席に座って見知らぬ人を見るように同級生と称する人々をうろん気に眺めているという自分の有様とくらべても大変な差異である。
特にコンプレックスは感じなかったが自分は正直に書くと小学校どころか中学も高校も大学も同級生のことを殆ど憶えていない。
というより思い出さない。
まるで「鍵を紛失した」小さくて堅い手提げ金庫のように持ち歩いてはいるが、少年時代の記憶は極めて断片的でまとまりもなくバラバラに大脳の深部に固めて秘匿されているようだ。
愚コラムで記した「少年時代」も弟や妹の話を聞いてウロ憶えにしていることをテキトーに書きつづったものである。

それらの65歳か或いはまだ64歳かの同級生の男女を眺めていると女性の方がかなり若く見える。
頭髪が生えているし染髪している為かも知れないが緑の黒髪で意外なほど皆さん若々しい。
それでも物故者もかなりおられて、また男性の場合膨満した腹部と寂しくなった頭や筆者のような白髪、もしくはそれとハッキリわかるカツラの為にいかにも「65歳」という高齢者の印象はやはり男性に多い。
わざわざ若造りをする必要を感じていないのも男の特長ではあろう。
もしかして何人かの方は「男」をやめておられるのかも知れない。
そちらの方が「お盛んな」同級生はそれと見てすぐ分かるが「オシャレ」の度合いとそこはとなく醸し出される色気みたいなものが出ていると男とそうでない群とに分かれているように見えた。

いつものようにそれらの集まりに心からの楽しさを発見できないままアルコールを一切口にせず同級生の夫婦(愛知の人)をホテルまでお送りして二次会の席を後にした。

今秋10月には大学の同窓会が宮崎で開催される。
こちらも付き合い上、お世話になっている後輩の人格者の先生が会長であらせられるので恭しく馳せ参じるように即断してしまった。

少年時代から青年時代、壮年、そして老年と自らの過去を一望してみると、とにかく「運が良かった」の一語に尽きる。
素晴らしい人達に圧倒的に素晴らしい人々に出逢ったことは人生最良の喜びである。
小学校の彼らもその中の一部なのであろうけれど、或る意味「記憶にございません」というのもフザケタ話だ。
同級生からすると多分そうだろう。
仕方がない。
本当に憶えていないんだから・・・。
自分の印象は「背が高くてよく勉強する少年」だったそうだ。
自分の中の記憶ではそんな実感は全くなくて「ズタズタの心を持ちつカワイソウな少年」
楽しいことはあまりなくて、その楽しい思い出の殆んどが「夏休みの思い出」で、それは川で好きなだけ泳ぎに行った記憶である。
何故かこの「泳ぐ」ことについては不思議なことに両親も敢えて禁ずるということは無かった。
夏の終わり・・・夕闇の迫る初秋の遅い午後、川辺の崖縁に影を落とす、うっそうとした森から鳴り響く蜩の音を聞きながら弟と二人で暗くなるまで、何かから逃げ出したいという一心で、必死で、まるで生命までかけているかのようなひたむきさで「泳いでいた」・・・とうことを少し思い出した。
同級生のことなど全く思い出せないほど精神的圧力(・・・アタマは大したことない自分なのに医者にならなければ・・・)で押し潰されそうであったことを当時の無邪気な同級生の少年少女達は想像もしなかったに違いない。

何かしらのそれらの記憶が少しく呼び覚まされたようで日頃の鬱々とした気分をいくらか増やしてしまった集いであった。
これらの会合に行くと何故自分はこうも落ち込んでしまうのか少し理解できた気がする。

ありがとうございました
M田朋玖



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