コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 駐車場2018. 8.27

日本全国の地方都市の商店街が廃れて久しい。
筆者が昭和57年に神奈川から帰郷した時には当地人吉の商店街もまだ活気があって、通りを買い物客が行き交い、大手のスーパーや簡易なデパートもどきのショッピングビルも2軒ほど立ち並んで盛況を誇っていたが、いずれも10年以上前に閉店しそれぞれ一階にコンビニを構えたマンション、病院の本部事務所に姿を変えている。
勿論人通りも日夜を通じて殆んどなく、夜にコンビニ店の眩しい光だけが夜の寂れた町の暗闇をまるで青白光に輝く異星人の宇宙船基地のような趣きで照らしている。

人口も5万人に届くかと思われるほど膨れ上がったが今は3万人チョット。
この数字よりも実感としてはるかに廃墟感の漂う街並みが晩夏の白けた直射光を浴びて「人のいない街」というものがいかにうら寂しいモノであるかあらためて思い知らされる。

一方で「イオン」なる大手の大ショッピングモールの繁忙ぶりは驚くべき有様で、いったいどこから人が湧き出てくるのかと思わせるほどの「人混み」を呈している。

これらの事態をいったい誰が予想していただろう。
少しエラソーになるが携帯電話の世界的普及とこの商店街の衰退とショッピングモールの盛況は30年以上前から予想していたものだ。
人にも語っていたが当時は真剣に聴き入れてもらえなかった。
今でもだ・・・。

当時「街を活性化しよう」という若者の集まりがあって、その時はまだ30代前半でいかにも若輩らしくこのことを強弁したものであるが、それが表題に掲げた「駐車場」である。

曰く「クルマに優しくなければ街(商店街)は生き残れない」というもので、何故か誰も真剣に聴いてくれなかった。
他の活性化法を色々と論議している。
それで早々に諦めてこの話をしなくなったが、予想どおりというかそれ以上にまたたくまに街は衰えて行ってついにシャッター街になり廃墟になってしまった。

何でこんな簡単な試験問題を誰も解こうとしなかったのか今でも不思議に思う。
卑しくも経営者である。
「お客様は神様」
そのお客様がクルマに乗って来られるのであるからクルマを優しく受け入れる設備をつくるか店舗に応じて駐車場の配置をお客の心や思い、意図に寄り添って可及的速やかに対策することであったが、それらの手打ちはすべて中途半端であったように見える。

大手ショッピングモールの駐車場が完全無料でクルマから店へのアクセス、導線を研究して巧みに配置設営している一方で、商店街のそれは有料だったり買い物をしないと安くならなかったりなどで中途半端である上に普通分かりにくい、駐めにくい。
これを話すと大概資金力の話が出てくる。
確かに駐車場の運営には資金も経費も莫大にかかる。
街中なら当然だ。
当時(昔)商店街の土地は高く整備するにも高額であるし、まず駐車場に適した広々とした空いた土地そのものがない。
まさに困難・障害の山だ。
それでも商店街が生き残るためのこの駐車場問題は絶対に乗り越えるべき大問題、最優先事項であったのだ。
それを「何とかなるだろう」と看過して移転もせず居残った店舗は自然的に閉店に追い込まれ、生き残って駐車場を確保できた店と郊外店(ロードサイド店)に活路を見い出した店は生き残っているが、田舎や地方都市における商店街は見事に衰退してしまった。
それも全国一律に。
一部の東京・大阪などの大都市圏を除いて・・・。

昭和60年頃は当院も建て替え問題を抱えており、最も苦慮したのは駐車場であった。
今後発展しそうであった「農免道路」と呼称された県道のロードサイドに土地を買い求め移転寸前までいったが、建設費と土地の買収代を考慮して(予定額の2倍から3倍になる)現地に「建て替える」という方針になった。

たまたま巡り合った中川勝旺太という今から考えると「天才設計士」が登場して、この「駐車場問題」を設計の段階で見事に解決してくれた。
建築面積を最小限に小さくしつつも18床の病室の広さを確保するという離れ技を造形的にも違和感なく美しく「設計」してくれ、また表の駐車場と裏の駐車場を建物の角を削って半円にしてクルマを「すり抜け」させるというアイデアで実現した。
大したものである。

クルマに優しくする為に駐車場と道路との段差を取り除く為に3mほど建地を掘り崩してフラットにするという個人的なアイデアも盛り込んだ、まさに駐車場確保の為の苦肉の策であった。
それくらい駐車場には拘った。
これは今では店舗づくりの常識であるが当時からパチンコ店などで駐車場の狭さ広さによって繁盛度に差があることを「発見」していたので、この「こだわり」は今でも明瞭明確に「生きている」

それにつけても30年前に商店街に建設された、旅館の宴会場の「高砂」の台のように高くした歩道とその上を覆うアーケード、もしくは終日の「歩行者天国」を生み出す地方都市のアーケード街という構造そのものは常にクルマを排除しており、それを広々とした停めやすく美しく整備された駐車場を持つ「イオン」などの大ショッピングモールの隆盛と・・・誰もが予想できた未来図を30数年前に殆んどの人が実行に移さなかったというのも旧商店街については或る意味大変な悲劇であった。

「クルマに優しく」というコンセプトの元、駐車場問題は現在もつづいており「旧市街」と呼べるほど廃れてしまった地方の中心商店街のしみじみとした没落傾向を見るにつけ、高額を設定する「駐車場会社」と駐車場の無さ、買い物をしないと有料とかの老舗デパートなどが巨大な駐車場ビルを建設所有し何とかその命脈を保っているが、今後はしみじみと衰退していく筈だ。
何故ならそれに乗る「人」というものを本当には大切にしていないからだ。

小さなお店は玄関先にクルマを駐められなければ意味が無い。
それは2台か3台で良い。
サッと駐めてサッと用事を済ませて帰る。
このスタイルを「コンビニ」がつくり上げてしまった。
人もそれに馴れきっている。

クルマを寄せつけない商店街の閑散としたアーケードと歩道で出来たひとつの「構造体」を見るにつけ、行政(警察も駐車違反の取り締まりに励んでいた)、国道・県道の許可申請の問題、商店主たちのエゴイズム・・・などそれらの集合体としての今の惨状があるというのをどれだけの人が理解しているのであろうか。

ありがとうございました
M田朋玖



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