コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 夏の思い出2018. 8.11

真夏の炎天下、我が古ぼけた11年物のレクサス600hを独りで都会の街路を気持ちよく転がしているとステレオから松山千春の「浪漫」というアルバムが流れて来た。
それはとても懐かしい、青年時代の楽しかった夏の記憶を思い出させてくれる音楽で心が一瞬で「あの日」に飛んで行った。
大学の同級生の一人が医師国家試験にメデタク合格して学生時代から付き合っていた女性とその春に福島県の会津市で結婚式をすることになった。昭和56年のことである。
その同級生は会津市の男でお相手は何と鹿児島県出身の女性である。
ご存知のように会津福島と薩摩鹿児島は宿敵としてそれぞれ官軍・賊軍として血みどろの戦いをした因縁の間柄である。
先年NHK大河ドラマ「八重の桜」で綾瀬はるかが演じていた会津女子の勇ましさが記憶に新しい。
同藩の「ならぬものはならぬ」の教育方針が新鮮であった。

このような霊的には「怨念」を抱きやすい筈の男女の組み合わせにはいったいどんな意味があるのだろうか。
当時の結婚式のスピーチでもそんな内容の話が合った。
その時は無学にて何のことか分からなかった。
多分国家試験に合格して浮かれてバカになっていたのだ。
所詮他人事。

その時に知り合った独身の女性参席者たちと集団デートをすることになった。
昭和56年7月最後の週末である。
結婚式の司会をした女性は新婦の友人で何とモデルさんであった。
身長が175cmあまり。
色が白く鼻梁が白人の女性のように高い。
モデルらしい体形で胸が薄く手足と首が異常に細く長い。
真直ぐな黒髪を肩ぐらいまでそろえていているので一見知的に見える。
彼女らを含めた女性たちとこちらは大学の卒業生。
新米医者との集団お見合いのような段取り手配であった。
誰が音頭を取ったかは不明であるが発起人みたいな存在の男のクルマ(いすゞ117クーペ)を筆者が運転してその男が助手席に座り、その司会役の「モデル」とその友人の女性の4人と他の数台のクルマの分乗して夏の軽井沢の別荘までの一泊旅行に向かった。
誰の別荘だったかは忘れた。
そのドライブの往復路、117クーペの中で無理矢理聞かされたのが松谷千春のアルバム「浪漫」であった。
往きも帰りもそれがテープで流されつづけたので嫌でも覚えてしまった。

その旅行が物凄く楽しかったかというとそうでもなかった。
只、印象的なのはそのクルマの運転くらいである。
車中の会話も結構楽しいものであったと記憶しているが内容は全く憶えていない。
夜の酒宴にも加わらず独り部屋で本を読んだ。
何を話していいか分からない。
面白い話を次々と繰り出して周囲を笑わせるチカラのある男がいるが恐らく過去も現在も未来にも自分には残念ながらそのような才能を神様は与えて下さらなかったようだ。
実父はそのような座談の名人であったのに。
自分は恐らく母親似だ。
長男の多くは母親似だそうである。
内気で話し下手で人見知り。
ついでに本に逃げ込む「根暗」というタイプ。

いずれにしてもその自動車旅行の楽しみは117クーペの「運転」と女性の話す「声」と「松山千春の歌」という絶妙なアンサンブル。
帰りの中央高速は大混雑で日の暮れかけた青々とした薄闇の真夏のパーキングエリアで少しの休憩を取っただけで、黙々と運転をつづけた。不思議に少しも疲れを感じない。

どういうワケかその後その数人の女性の中で最も好みのタイプ・・・その女性は横浜に住んでいて小さな色白の顔に目も鼻も口もすべてが小作りの大人しい人であったがお互いに「話す力」が弱かったようで1回のデートで何となく終わってしまった。
本当に内気で恥ずかしがり屋であったのだ。
今は信じてもらえないけれど・・・。

それで、より積極的な女性の「モデル」から連絡があり六本木でデートをすることになった。
バーで少し酒を飲み彼女の乃木坂の狭いマンションに一晩泊ったがこれまた何の風波も立たず自然消滅してしまった。
モデル仲間の人達と一度だけ集って部屋で軽い会食をしたことがあったけれど一人だけ身長が165cmくらいで体系的に丁度いい体重の人がいたがその女性は既婚者であった。
女性のモデルはあまりモテないらしいことがその「集い」で分かった。
女性の三高(背が高い、学歴が高い、収入が高い)は人気がないということが少し理解できた。
モデル、それも女性のモデルさん達の体形はやはり異質だ。とても美しいとは思うが。
残念ながら女性に見えない。

その年の「夏の思い出」と言ったらただ高原へのドライブであり、117クーペの固い乗り心地や低いドライブポジションと松山千春の歌、それらが全てであった。

他には最も印象的であったのは湖のボート乗り。
二人乗りのボート漕ぎは大の得意であったので次々と何人かの女性を後ろの乗せてボートをあちらこちらへ漕ぎまくったのであるが、一人の女性がヒラヒラのミニスカートでボートに乗って来て真っ白なパンティーを漕いでいる間中殆んどモロに見る羽目になったというのは大変な幸運であった。
残念ながらその女性は大変な美人であったものの全く「好み」ではなかったのでその純白の下着と花柄のスカートの映像だけが脳裏に焼き付いただけであった。
どうも美人がエロチックであるとは限らないようである。

それらの記憶の全部を思い出させてくれた松山千春サマに大感謝であるが彼のフアンだったことはない。
友人に誘われて地元人吉でコンサートがあった時に初めて彼の人を生で観たがスキンヘッドにメガネなし。
歌声は全盛期を過ぎ、あまり「出て」おられなかったが「トーク」のヘタなお笑い芸人よりは面白かった。けれども選挙演説のような長々とした語りには少しく辟易させられたりもした。
歌よりもトークというのが最近の松山千春という歌手の印象である。

それでも真夏の日中。
クルマの中でそれを走らせながら聴く松山千春はナカナカのものである。夏の田舎の風景に風景によくマッチしていると思えた。
期間限定ではあるものの、あの「夏の思い出」をありありと懐かしく再現させてくれて有難い。
それは独身時代の唯一人に語れるあまり恥ずかしくない「青春の思い出」と呼べるモノで、それ以外には人には語れないほど恥ずかしい記憶ばかり。奇妙な心の痛みと言い知れぬ孤独感、虚無感に苦しみ毎夜の深酒と早朝の覚醒と数々の悔恨と表現のできない自己不全感にや自責感に悩んだ時期であった。
35歳時に受けた日本創造教育研究所という自己啓発セミナーで初めて自分というものをいくらか知ることが出来、人生の大まかな方針を得ることが出来たと思える。

ただ最近はそのセミナーを人や会社のスタッフに勧めることはしなくなった。
自分では素晴らしい価値を持つと考えてもそうは感じない人もたくさんおられるようで、中には全く無駄だったと思えるような人もかなりいることを知ったからである。
彷徨える「魂」いやただの欲望が、最近ムクムクと顔を出し、真夏の日夜をクルマでの放浪を求めているようでそれを満たしてあげている。
自分に。
心ゆくまで。

ありがとうございました
M田朋玖



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