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■ あらためてクルマについて | 2018. 7.10 |
プジョー208というフランス車に乗り始めてから筆者のクルマに関する好み、感性が大きく変化したように思える。 これまで有難がって乗っていた1000万円以上する国産高級車レクサス600hもそれほど楽しいクルマではない・・・ということにあらためて気付かされた。 これは10年前に新車で購入した時も感じていたことで「ドライブ」に出かけた時に少しも楽しくない。 運転することに喜びがない、楽しみがない。 これは或る深い「傷心」を癒やす為に長距離のドライブにいくらかの旅行用の荷物をトランクに載せて出発したのに、あまりのその「ツマラナサ」にすぐに帰って来てしまったという事実が鮮明な記憶として残っている。 トヨタ系のクルマに楽しい類はない。 経験的に・・・。 これはカローラ、アクア、などのコンパクトカーからカムリ、マークXなどのミドルクラス、クラウン、レクサスなどの高級車やランドクルーザー、FJクルーザーなどのSUVを含めどれをとってもツマラナイ。 乗り心地は良い。 運転し心地が悪い。 とにかく楽しくない。 時々相当車格的に落ちるマツダのアテンザとかアクセラとかデミオとかに乗ると「オヤッ」と思うくらい運転が楽しい。 この感覚はプジョー208を手に入れ乗りまわすようになってその「差」を歴然と感覚してしまって、もうトヨタ系の、少なくともラグジュアリーカーに乗ることはあるまいとさえ思うようになってしまった。 その上トヨタのクルマは高い。 これは日産もそうであるが少しも楽しくないのに高い。 ただ「ブランド力」というのは凄くてレクサス、クラウンなどトヨタの高級車の運転を始めた時のトロケルような甘い乗り心地もまた秀逸で忘れ難い何かがある。 昔のベンツにあった「高級感」というものである。 またまた女性に例えるなら「奥さん」タイプだ。 あんまり「楽しくはない」けれど「安心感」と体裁を取り繕えるだけのブランド力がある。 これは結構捨て難いモノで、トヨタのクラウン、レクサスなどのたたずまいにはベンツやBMWを凌ぐほどのそこはかとない「品」が漂っているからある意味凄い。 ひとつのトヨタ系のクルマの「味わい」なのでこれはこれで確かに売れるクルマ造りのコンセプトであろうと思える。 先週の日曜日に発売されたばかりの新型クラウンの試乗に出かけてみた。 それは少しレクサスよりコンパクトであるものの、しっかりとした造りで内装も外装も豪華さやハッタリは申し分ない。 ただし何度も述べているようにこれらのトヨタのクルマで「長いドライブ」をしたいと思えない。 クルマの運転の楽しさがどういう「味つけ」で生み出されるのか不明であるが、少なくとも現在乗りまわしているプジョー208の楽しさには及ばない。 何かしら強烈な楽しさがあって、それは人と車の一体感・・・これも違うな・・・ハンドルの切れの鋭敏さ、加速感。 とにかく自分の要求どおりに動いてくれ、その上感度の素晴らしい女性と言ったらやっぱり不謹慎であろうか。 性感の鋭い女性と鈍感な女性と・・・・ 性欲の強い女性と弱い女性の組み合わせでは・・・。 これはもう前二者の組み合わせの勝ちと思うのであるが、そうでない男性もおられると思うので好みの問題ではある。 スタミナと体力とデリケートな性感と情緒を兼ね備えた女性というのはそれほど多くはないように思える。 それらの女性とひきくらべるのは多分にお下品であるが、トヨタ系のクルマは時々乗るやや鈍目の長く付き合う故障の無い安心安全なクルマで、マツダのクルマを中心としたアンチトヨタ系のクルマはその逆、つまり鋭敏な感覚と走りの性能(性能力?)を兼備したとても魅力的なマシンであるように思える。 そのイメージとは異なりかなり男性的なクルマなのである。 ところでクルマの選択においては、少なくともトヨタとマツダのそれでは前車はブランド好き、ハッタリで後車は走りの楽しさ、長距離のドライブに適している・・・と考えれば今の年齢を考えると周囲の人の勧めであるトヨタ系より個人的にはマツダが選択される。 何故なら「毎日乗って楽しい」というクルマの本来持っている移動の手段という機能に「楽しさ」が付加されていた方が「カーライフ」と称する人生の貴重な時間を共に過ごす生活そのものを味わい深いものにすると思える。 ただ日本人の多くはトヨタを選ぶであろうし、今や世界的ブランド力を勝ち得たレクサスブランドもあきれかえるほど日本的なトロイ乗り心地であるのに、とりあえず世界中のビジネスマンやセレブに受け入れられたワケであるし、主に日本人向けだけに造られているトヨタクラウンもいくらか世界のテイストを取り入れているらしく、その「走り」について少しく成長が見られたようにも思える。 しかしながらプジョー208の楽しさ、軽快さ、愉快さには遠く及ばず、最近はクルマの価値づけについてその価格とパフォーマンスを考えた時にその異常な高さに尻込みをしてしまうのも確かである。 フェラーリ、ポルシェ、アウディとホンダ、トヨタなどが出している純然たる「スポーツカー」など本当のその値段ほどの価値があるのかと自問した時に答えはいつも大概「否」である。 販売店の人に聞くと新車を現金で買う奇特な高齢の人が時々おられるそうで、それは退職金の何分の一かを出されるそうであるが、数100万円もする高級車にいたっては600万円から800万円する自動車に大切な現金を充てることは筆者ではしばらく無いであろうと今は思える。 クルマは好きであるがやはりあくまで人生を楽しくする道具に過ぎないし、大金を出して購入する豪邸とかと同様に高級車というものに最近は殆んど価値を見出さなくなってしまった。 極めて安価で手に入れたプジョー208の生み出す「自動車を運転する深い喜び」を知ってしまったに他ならない・・・と思える。 それは敢えてオートバイに乗る必要が無いくらいのもので、週に1回は乗るレクサス600hのツマラナサとトヨタ系の新車の高額さとパフォーマンスの低さ、即ち楽しさの貧弱さ、簡単に言うと「コストパフォーマンスの悪さ」への感覚によると思われる。 幸か不幸か自らのカーライフを大きく鋭く変容させてしまったプジョー208に感謝と愛と尊敬との混じり合った不思議な「気持ち」を持っている。 しかし一連の愚コラムの流れ、それもクルマ関連の文章を読むとどんどん心変わりをするので我ながら呆れてしまう。 何と気まぐれで浮ついた心のサマよと。 しかし、気に入ると何年も大概乗り潰してしまうまで乗り込むので飽きっぽいということもなく、我慢して乗るつづけることはできるし、そもそもクルマは真新しい「新車」より古ぼけたややポンコツに近いクルマの方が深い味わいがあって好きなのだ。 念のために断って置きますと、我が愛車レクサス600hをツマラナイからと言って愛していないわけでは決してない。この独特のツマラナサも一つの魅力なのである。 ありがとうございました M田朋玖 |