コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 「世の為人の為」2018. 7.10

これは相当に生きる力の湧く言葉であるらしい。
少なくとも偉大な成功を成し遂げる人物にはこの動機を強く持つタイプの人が多い。

「与える」それも人に、世の中にそれを行える人は貧しくなることがない。
お金に困っている人、貧しい人の特徴としてお金やサービスなど自分の為だけに使う人が多いようだ。
決して人に「与えない」。逆に何とかして奪おう盗み取ろうとでもしているかのように見える。

「情けは人の為ならず」という諺があるが、人に対する「情け」(与えること)が結果的に自分の「為」になるという理屈を語っている。
筆者の実両親もこのことを知ってか知らずでか、父は大酒飲みで酒乱であったが街で物乞いに出くわすと1万円とかを与えていたらしい。また寂れた知り合いの裏通りの寿司屋に、わざわざ足しげく通い尽蕩し、その店を生き延びさせたと、最近その店の主人から直接に聴いた。
また母は働くことのできなくなった元従業員とか、早逝してしまって困窮していたその家族に子供が一人前になるまで給料を十数年間渡し続けたというエピソードを持っている。
父方の祖母は年金生活者で、自分の為には一切お金を使うことがなく、年中同じ灰色の着物かワンピースを着て家内で黙々と立ち働いているようなつつましやかで無口な女性であったが、或る時地元の神社の改修工事の為に寄付の依頼があると200万円の大金を銀行の帯封のついたままの新札でポンと差し出した。
また筆者の最初の結婚式の時には封筒に入れた50万円をコッソリお祝いと称して手渡してくれた。

また母方の祖父は裕福な焼酎屋の養子であったが、お祭りの度に集まって来た貧しい人々にお金を配っていたそうである。

ことほど左様に人に「与える」ということを自然にする親や祖先を持っていた結果として自分の豊かさや成功があると最近特に考えるようになって、結局は自分の為という御利益を願うといういくらか功利的で不純な動機であっても自分の出来る範囲で人や世の中の為に少しは「与える」ようにと心がけている。

日本国を含め世界中のお金持ちで寄付をしない人はあまりいないが「寄付が先か金持ちが先か」という仮設があるとすれば、筆者の見解では両方であると考えている。
寄付と富が良い循環をして結果として「富みつづける」ということが起こっているのではないかと思える。
こういう話しをお金に困っている人、貧しい人に伝えても何のことか分からずキョトンとしていることが多い。
世の中の富や貧しさの出来方のカラクリが理解できないのかも知れない。

それらの人に「与える」訓練としてなされるのが仏教僧の「托鉢」というものだそうである。
托鉢をするお坊さんはお金持ちの家には行かず貧しい人の家の前に立つそうで、それはあなた方は人に「与える」ことをしないので結果的に貧しいのですよと、無言で伝え無条件に「与える」ということを貧者に憶えさせるためにしている一見は修業のように見える慈善行為だそうだ。

鹿児島県出身の英雄「西郷隆盛」とかJALを見事に再建させた現代の経営の神様「稲盛和夫」もそれぞれ「敬天愛人」とか「利他の心」という言葉をとおして人々を教化しようとしたが現時点ではあまり日本人の心に浸透していないように見える昨今の一般大衆庶民の有様である。
ご存知、世界のイチローがまだ駆け出しの頃、或る大会で貰った賞金200万円をそっくりそのままどこかに寄付したそうであるが、この当時から世界的な成功を予言させるような偉大な人、少なくとも裕福になる人の特長を備えていたようだ。

こんな話をしても全然理解できない、しようとしない人が結構おられて、それは大概お金に困窮している人、裕福でも病気をしている人に多い。
お金持ちで病気をしたり急に死んだりする人はこの寄付行為のように「世の為人の為」に「与える」ということを怠っている人が殆んどで、これまたこういうことを語っても「自分はケチだから」と何の恥じらいもてらいもなく堂々と述べておられるので「ダメだこりゃ」てな感じであまり人には語らないようにしている。

世の中のカラクリに気付いているレベルからすると、実のところ「世の為人の為」というのはまだ偽物で本当のところは「恩返し」なのかも知れない。
人の為を漢字にすると「偽」となる。
即ち偽善行為が慈善行為の本態と考えられる。
どんな人も「自分の富や成功」は人のお陰、世の中のお陰なのである。
そうでないということは理論的に絶対にない。
・・・であるのでそれらの社会的、経済的に成功した人は税金と共に寄付や善行を通して人々や世の中の為に何らか「与える」という行為をとおして「恩返し」即ち報恩ということをしなければ家筋が没落していくとか、病気になるとか、早逝するとか、子孫が繁栄しないということが起こってくる。
「金持ちは三代しか続かない」と言われているが、これは祖父から孫までを三代とするので、現在自分が裕福で成功しているとすれば祖父や祖母が社会的に立派な行為、つまり「世の為人の為」に行動してくれたお陰であって、決して自分だけの力でなったのではない・・・ということをどんな富める人成功者も胆に銘じて忘れないことで何とか避けることができる。

またこれらの理屈が子孫に伝わっていかないので「金持ちは三代」しかつづかないということ起こってくるのである。

こういうことを語ってもいつもあまり真剣に聴いてもらえないのでとりあえず文字にしてみた。

世界中で最も裕福とされる民族はユダヤ人であるが、彼らの生活態度に収入の1割を税金に、もう1割は貯金に、もう1割は寄付に充てるそうである。貯金は自分のためだが、税金と寄付は「世のため人のため」である。
つまり例えば収入が10万円でも実際に使えるのは7万円なのである。
これらのことを知識として持っていない人が10万円を使い切り、かつかつの貧しい生活を送っている。
相当に切り詰めないと生活できないと感じるかそうでないかは、実のところ本人の感覚なのでとやかく言えないが。

筆者の友人でお金にあまり関心を示さない裕福な男がいる。
彼は財布の中に硬貨もお札もない超貧乏な生活をおくった経験があるのに、人間はお金が無くても生きていけるものだと確信したらしく、以来お金への執着を精神的に捨てたようだ。
にもかかわらず色々な場面でお金を取るという選択をしなくなり逆に裕福になっている。
常識的には不思議なことだが、上記の理屈では何の矛盾もない。彼の人はいつも社会や国家世界を主語に話をする。

ありがとうございました
M田朋玖



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